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【『三国志』一緒に飲みたくない上司ランキング】
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関羽が痛みを感じないほど、当時の酒は強かったのか?
蜀と酒のエピソードといえば、関羽にもあります。
関羽は左肘に矢傷があり、完治後でも雨の日になるとシクシクと痛みます。
宴会の時、医者にこの古傷のことを聞いてみました。
「骨に毒が入っておりますなぁ。骨を削って毒を取り除くしかなありません」
すると関羽は、宴会を続けながら治療をさせたのです。
たちまち血が皿にたまってゆくものの、談笑しながら酒を飲み、肉を切り分けていたのですから、まさしく英雄。カッコいいですね!
さて、ここで疑念が湧きませんか。
当時の酒は、痛みを忘れるほど強いのか?
そうではありません。
当時は蒸留酒ではなく、醸造酒のみ。関羽が耐え抜いたのは、あくまで彼が強靭であるからの話です。
本格的な蒸留酒の確立は、中国大陸では元代(13−14世紀)頃と考えることが妥当とはされております。
四川省名物「張飛ビール」
日本各地には、英雄の名前を冠した酒があります。
歴史好きならたまらない。鹿児島県には『三国志』でおなじみの名馬を冠した焼酎「赤兎馬」もあります。
これは各国でもそうで、ウイスキーにも地元の人物名を使うものがおります。
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中国もそうです。四川省にはなんと「張飛ビール」があります。
蜀ゆかりの人物であり、豪快な張飛。それはもう、ビールにぴったり……でしょうか?
張飛はアルコール関連のトラブルを起こしていませんでしたっけ?
ただ、彼の場合はフィクションで暴れ放題トリックスターにされ、やらかしイメージが大きくなったので、そこは気をつけねばなりません。
張飛の死因は、部下の張達・范彊による殺害です。
劉備は張飛の死を告げる凶報が届いた時点で、内容確認前に「ああ、あいつが死んだか……」と察知したとされます。劉備はかねてから、張飛のパワーハラスメント気質を警戒していたのです。
・目上の人には敬意を払うが、部下にハラスメントを行い、同情しない
・処刑があまりに多すぎる
・兵士を鞭打つうえに、そうした者を側近にしている
そこにアルコールがあったか、正史からは判別できません。
張飛の酒乱イメージは、フィクション由来ということでよさそうです。これで安心して張飛ビールを飲めますね。
それに『三国志』には張飛どころではないアルハラ王がいるわけでして……。
呉の孫権、地獄のアルハラ宴会三昧
魏も蜀も、禁酒令がありました。
では呉は?
これがなかったのです。酒飲みパラダイスかもしれませんね。
気候が比較的温暖で、寒冷化による凶作の影響が少なかったのでしょう。酒も飲めて、食べ物もおいしそうです。
そんな呉の名将・程普は周瑜を評してしみじみとこう言いました。
「周公瑾はまるで美酒だ。気がつけば酔ってしまう……」
きっと呉の皆さんは、おいしい酒を楽しんでいたのかな。そう思えてきます。
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ただ、酒が美味しいのはあくまで楽しい人と飲んだらの話。
「俺の酒が飲めねえのか!」
そんな上司がいたら最悪ですね。
呉こそ、この点においては最低最悪でした。
兄・孫策の急死により後を継いだ孫権は、英明な若き君主。父・孫堅と兄・孫策時代の家臣が世を去ると、孫権の性格には様々な問題が出てきます。
曹操は若い頃から極端なテンション激動野郎ですが、孫権は年齢と共に弾けてゆくのです。
孫権は、酒色(アルコールと夜の生活)で過ちが目立つ人物です。
この要素は、漢方医学でも危険視されるもの。健康を阻害し、寿命を縮め、判断力を低下させる要素として自重が求められます。
後者は別の機会に検討するとして、アルコールハラスメントぶりを見ていきましょう。
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