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【鄒氏】
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問題提起「曹操はそこまで変態下半身暴走野郎なのか?」
曹操の女性関係については、中国史の変態ランキングにかすりもしないと感じられます。
逆に酷い例をあげていきましょう。
別の時代まで広げるともっとややこしくなりますが、
曹操はこういうことをしていないどころか、正妻選びにもセンスがありました。
親戚づきあいが一族単位であった、そんな丁氏との離婚のあと、曹操は卞氏を正妻としたのです。
謙虚で控えめで聡明な卞氏は歌妓出身。曹操が若い頃に出会い、ずっと尊重していた存在です。
この歌妓出身というところに、曹操のセンスを感じます。
美人で歌がうまいから……ではありません。彼女のように実家のバックアップが薄い女性を正妻とすれば、外戚政治の危険性を回避できるのです。
曹操が二喬欲しさに【赤壁の戦い】を起こしたという話は、史実ではありません。
後世の詩人が「周瑜が曹操を倒さなかったら? 東南の風が吹かなかったら? 二喬は銅雀台に閉じ込められちゃったかもね♪」と、想像力で読み込んだ。
それを作家がバンバン取り上げて話がふくれあがっただけのこと。
曹操は美女欲しさに戦争するほど、暇でもバカでもありません。
鄒氏との関係に口出しされる筋合い、実はない
そうは言うけどさ、曹操は下半身のせいで、宛城で死にかけてるでしょ? ほらほら、鄒氏とのあれやこれや……画像検索かけると、セクシーな画像が出てきますねえ。
実は苑城の件について、曹操は反省しています。
「俺も油断した。次からはきっちりと夜襲できないよう、備えをするぞ!」
正史の記述を見る限り、曹操が油断した原因となる人物は、策士である賈詡ではないかと思えるのです。
のちに曹操に仕えることとなる賈詡は、切れ者揃いの陣営でも際立つ智謀の持ち主でした。
ここで張繍と鄒氏の関係性に着目してみましょう。
張繍にとって鄒氏とは?
【目上の親族の未亡人である】
このことが重要なのです。
当時の儒教規範を知ることも大事
当時の儒教規範に則して考えると、こうなります。
・同族の中で年長者である、族父未亡人の恋愛に張繍が口出しする理由はない
・もしもそんな女性に想いを寄せていたとしたら、張繍の方が非常識
・夫が生きているのであればともかく、未亡人であるからには貞操を守る義理もない
・別に鄒氏が誰と恋愛しようと、そんなことは悪いわけでもない
どういうことか?
当時の儒教や価値観では、男女よりも年齢の方が重視されました。
族父という年長者の妻である鄒氏がどう判断しようと、年少者の張繍がそのことに口出しすることそのものが非常識なのです。
未亡人の貞操、「貞女二夫に見えず」という価値観も、そこまで厳しくありません。
これについてはこんな有名例もあります。
始皇帝の母・趙姫と嫪毐(ろうあい)の関係です。
己に逆らった嫪毐と母・趙姫の関係を知った始皇帝は、激怒しました。
そこで趙姫に厳しい措置を取っていたのですが、のちに許しています。親子の情愛もなかったとは言い切れませんが、実はこう説得されていたのです。
「母上はもう未亡人です。義理立てする夫がいない。それなのに、そこを責めるのは筋違いですよ」
始皇帝もこれには納得したわけで。
始皇帝の生涯50年 呂不韋や趙姫との関係は?最新研究に基づくまとめ
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曹操と鄒氏のアバンチュールがあったとされる後漢末の価値観も『三国志演義』が成立した時代よりもこちらに近い。
フリーになった未亡人と何を楽しもうが、当時の曹操がそこまでウダウダ責められる筋合いはありません。
当時、曹操の正妻であった丁氏にしたって、
「私の曹昴(※丁夫人が亡くなった生母代わりに養育していた)を殺した!」
とは責めておりますが、そこにゲス行為云々のニュアンスがあるかどうかは不明です。
曹操本人も、前述の通り己の油断を反省しています。
悪意を込めて考えれば、ゲスな下半身事情に結びつけられるのでしょうが、素直に取れば【油断したのが悪い】だけの話です。
油断の中身だって、酒を飲んで酔い潰れていただけの可能性はありましょう。
曹操は何かあるごとにやたらとはしゃぐ性格ですので、バカなことをやらかしていても不思議はありません。それがいやらしいことかどうか、そこはわからないわけです。
ゲスなのは曹操なのか?
曹操をゲスにしたい創作者なのか?
そこは考えねばなりません。
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