大河ドラマ『光る君へ』第10回は、数々の衝撃的な展開が描かれました。
藤原兼家や藤原道兼の陰謀により花山天皇が出家させられてしまう【寛和の変】だけでなく、まひろ(紫式部)と道長が月夜のもとで出会い、思いを遂げる場面が描かれたのです。
しかも道長はこのとき「二人で京都を出て静かに暮らそう」とまで言っていました。
まひろは「働く姿を想像できない」と現実的な理由から断ってはいましたが、ドラマを見ていて皆さんも色々と疑問が浮かんできたかもしれません。
そもそも二人の恋愛関係などあり得るのか?
仮に結ばれたとしても、京都を出て、どこかで静かに暮すなどできるのか?
ドラマが始まってからモヤモヤしていた方も多いであろうこの疑問。
史実や物語、あるいは当時の時代背景などから考察してみましょう。
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紫式部と道長 史実での関係は?
大河ドラマ『光る君へ』については、発表当時から盛り上がっていた話題があります。
紫式部と藤原道長は、恋愛関係にあったのか?
答えは出ています。
「わかりません」
実はこのことは、清少納言と藤原斉信・藤原行成にもあてはまります。
意味ありげな歌を読み交わしているけれども、果たしてただの遊戯か、際どい社交辞令だったのか、それとも本気だったのか……。
解釈の幅がどうとでもなり、肯定も否定もできません。
ドラマにおける藤原為時と“いと”の関係も、曖昧に思えます。
為時がいとに戯れ、彼女が嬉しそうな態度を見せることもある。
彼が縫い物を任せ、彼女の他の女を妬んでいる。こうした描写の積み重ねから、ただの使用人というよりも「妾」ではないかと推察できる描写です。
こうしたことは男女間だけでもありません。
武士の場合、同性愛関係にあることは信頼の証とされます。そのため閨を共にしたことが、顕彰として盛られることもありえます。
『おんな城主 直虎』では、井伊直政と徳川家康の関係性がそのように適用されました。
家康は護衛として、夜二人きりで話したいから直政を近づけただけで、寵愛していたとは描かれなかったのです。
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東洋の場合、他の文化圏のように「明言しないこと」がさらなる混乱を招いています。
例えば『三国志』に登場する桃園三兄弟の劉備・関羽・張飛は、同じベッド(中国語では床)で眠ったとされます。
彼らのライバルである曹操も、仲の良い夏侯惇とは同じ車で移動し、私室にも招いたとある。
他にも、同性同士の親愛表現として、手を繋ぐ、同じ食事を分け合うといったことがあります。
これを他の文化圏から見ると、「もうこの人たち、お付き合いしていますよね?」となってしまいます。
西洋史では、イギリス王リチャード1世とフランス王フィリップ2世が「同じベッドで眠り、食事も一緒でした」と書かれたため、公式に最大手カップリング扱いもしばしばなされますから、仕方のないことかもしれません。
しかしこれも、本国の研究者はため息をつきながら「わかりません、そうとも言い切れませんね」と返すしかない話です。
『光る君へ』では、道長がまひろへの思いを漢詩を用いてあらわしました。
あれは白居易が元稹を慕って詠んでいるもので、それを見た視聴者が「なんて素敵なラブソング!」と思ってしまうわけです。
「君と同じベッドて語りあった夜を思い出すと泣いちゃう」といった詩もありますので仕方のないことでしょう。
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日記に記録が残ることも確かにある
東洋は友情と恋愛の垣根が曖昧。
それでもハッキリ「できています」と断言できることもあります。
異性間ならば子どもがいる。婚儀をあげている。同居する。
同性間でも、適用できる条件もあります。
「裸で同室で過ごしていた」という記述がある。あるいは「行為の感想、状況」の記述があるなど。
前者の場合、中国の阮籍(げんせき)と嵆康(けいこう)がいます。彼ら二人の友情は特別だと、山濤(さんとう)が妻の韓氏に語りました。
すると韓氏は「同室にいて裸になっている姿を確認したい」と言います。そこで山濤は二人を自宅に招き、壁に穴をあけ、妻に覗かせたのでした。
翌朝妻は「確かに特別! あなたはあの二人とずっと友達でいなさい!」と満足して語ったのでした。
これは完全に関係ができていることがわかる例です。
日本では、院生期の藤原頼長がよく知られています。
彼は日記の『台記』に源義賢(木曾義仲の父)らとの行為感想を残したのでした。
『光る君へ』の藤原実資は、恥ずかしいことは日記に書けないと語っていますが、実際は個人差があり、バッチリ行為の感想やランキングまで書く人もいたのです。
九条兼実は『玉葉』に、自分自身ではなく後白河法皇の同性愛関係を皮肉たっぷりに書き記しています。
なにせ平清盛四女・盛子を妻とする近衛基実と愛しあい、情報を得ているのだからあまりに節操がない――そう嫌そうに記しているのでした。
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こうしてみてくると、やはり道長と紫式部は「わかりません」ではないかと思えてきます。
それでもなぜドラマではそうと描かれるのか?
そこには、物語を進めていく上で、きちんとした理由があると感じます。
文才がありすぎて、恋愛伝説が生まれた場合
素晴らしい文才を持つ作家が、よい詩文を書く――すると読者が勝手に想像し、ロマンスを生み出す例もあります。
『三国志』でおなじみの、曹操の子である曹植と、その兄嫁・甄氏の恋がそれに該当します。
果たして二人は恋愛関係にあったといえるのか?
兄の妻を弟が愛するのはスキャンダラスであり、史実面での可能性は高いとはいえません。
ではなぜ、そうした話が定番となったのか?
原因は曹植の傑作『洛神賦』にあります。女神像を幻想的に描く詩があまりに素晴らしいため、後世の人々は美貌の嫂と結びつけました。
「きっとこの素晴らしい詩には、モデルがいるんだね!」となってしまったのです。
曹植の作品は平安貴族マストアイテム『文選』にも収録されているため、まひろもきっと愛読したことでしょう。
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曹植の父である曹操は、名詩のせいでスケベ伝説が強化される不運を味わっています。
杜牧『赤壁』
折戟沈沙鉄未銷 折戟(せつげき、折れた矛)沙(すな)に沈んで 鉄未(いま)だ銷(しょう)せず
自将磨洗認前朝 自(おのず)ら磨洗(ません)をもつて 前朝を認む
東風不与周郎便 東風 周郎が与(ため)に便せずんば
銅雀春深鎖二喬 銅雀 春深(はるふこ)うして 二喬(にきょう)を鎖(とざ)さん
折れた矛が砂に沈んでいるが、まだ錆び付いてはいない
磨いてみたら、後漢のものではないか
東の風が周瑜のために吹かなければ
あの曹操は、きっと銅雀台に周瑜と孫策の妻である二喬を閉じ込めただろうね
唐代の詩人である杜牧(とぼく)は、古戦場を訪れ、そこにある武器を拾ってこう感慨深げに詠んだのです。
しかしこれがどんどん広まって、作家たちが取り入れます。
「曹操はきっと美女である二喬が欲しかっただろうなぁ」
「そうだ、曹操がスケベ心で赤壁に向かって、負けたことにすればおもしろくね?」
「それだ!」
いい加減にしろよ、なんてことをするんだ、大迷惑じゃないか!
曹操とすればそう言いたくもなるでしょうが、彼自身も詩人として名高いので「これが文の力だわな」と納得したかもしれません。
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曹操の子である曹丕は『典論』で、いかに文章が国家建設のために重大か――そんな宣言したため、日本では【文章経国思想】として取り入れられます。
平安時代中期ともなれば、これをアップデートしたい。
国家建設だけでなく、人の評価も高め、政治も思うままに操作できるとすればどうか?
道長がまひろに物語を書かせる流れも、理解しやすくなるのではないでしょうか。
歴史フィクションのフックとして恋愛を
『光る君へ』は、韓国や中国のドラマを意識しているとされます。
こうした国では若い世代でも時代劇は人気で、自由な創作を楽しんでいる。
恋愛関係を用いることで史実の味付けがガラリと変わり、日本語版もあるドラマ2作品を例に見てみましょう。
いずれも司馬懿が中心にいるドラマで、キャストやスタッフも共通点が多い。
史実準拠であるため、司馬懿が魏に仕えながら裏切り、晋の建国に向かうという流れは一致している。
しかし、印象がまるで異なるのです。
『軍師連盟』
司馬懿は、妻である張春華を深く愛しています。
魏のハラスメント政治に嫌気がさし、愛妻の死により良心のタガが外れ、晋建国へ突き進む設定。
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『三国志 Secret of Three Kingdoms』
後漢最後の皇帝となる献帝が死亡してしまい、その双子の弟が成り変わるという大胆な設定がなされます。
司馬懿はこの成り代わった献帝と兄弟のように親しくしており、彼を守る思いもあり、曹操に仕える。
司馬懿は偽献帝を庇護すべく魏に仕えたのであり、彼が無事に隠遁生活を送れるのであれば、もう忠義もなにもいりません。
晋建国の背景には、偽献帝への愛があったとみなせる展開。
この作品には張春華が出てきません。
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同じ舞台や人物を題材にした作品で、史実を捻じ曲げることはしない。
それでもここまで印象が変わるものか――と、そんな驚きを持ってしまう自由な発想があります。
まひろと道長の関係も無理があるのは確かで、幼い頃に出会ったところからして、かなり自由で大胆は発想です。
しかし、相手を思う気持ちによりドラマの出来をよくするのであれば、それは十分、歴史劇としてはあり得る範囲と考えられるでしょう。
身分差のある結婚はできるのか?
『光る君へ』では、脇役の直秀が二人を見守っていました。
二人は愛し合っていると理解しつつも、身分を考え、道長には「まひろを弄ぶな」と釘を刺す。
では、この二人は結ばれることはあり得ないのか?というと、そうではありません。
身分の低い相手を嫡妻にした例が『光る君へ』にも初回から出ています。
道長の父と兄、その夫妻です。
藤原兼家は、藤原時姫と藤原寧子(藤原道綱母)のもとへ、同時進行で通っていました。
彼女たちは身分的にそこまで大きな差はなく、どちらが【嫡妻】になるのか不透明。
そのため藤原寧子も、それとなく期待したことがあったかもしれないと、思えなくもありません。
兼家の場合、性格重視で藤原時姫を【嫡妻】にしたのかもしれません。寧子は当時でも名を馳せた文才はありましたが、何かが足りなかったのでしょう。
藤原道隆と高階貴子の場合は、才能を重視して彼女を【嫡妻】に選んだのではないかと思えます。
兼家自身は兄が二人いる三男であり、自身が出世できるかどうかは不透明な状況でした。
一方で、道隆は頭一つ抜けた実力者となった兼家の長男です。先々のことを考えて妻を決めるのは必須と言える環境。
そんな道隆にとって、貴子は魅力があった。美貌もあれば、才能もある。
彼女との間に授かった子は、花のような美貌だけでなく、知性の香りを放つ美女になるのではないか?
その美女を天皇に入内させればよい。最初は違っても、そう考えるようになって不自然とは言い切れません。
この時代、平安貴族がこよなく愛した白居易『長恨歌』にはこうあります。
遂令天下父母心 遂に天下の父母の心を令(し)て
不重生男重生女 男を生むを重んぜず女を生むを重んぜしむ
遂に天下の父母は、男を生むことよりも、女を生むことを重んじるようになってしまった
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この詩は中国では反面教師です。
諸葛亮が容貌の美しくない妻の黄氏をあえて娶ったことが美談であることに対し、楊貴妃を愛しすぎて政治を軽んじた唐玄宗は問題のある話とされます。
日本では海を隔てると、なんでもお手本にしてしまうことが往々にあり、『長恨歌』を読みながら、娘を楊貴妃にしようと考えても不思議はありません。
そして実際、この狙いは当たります。
ききょう(清少納言)が『枕草子』で絶賛する通り、定子は美貌と知性を備えた、天女のような女性となりました。
いざ入内すると、一条天皇から深い寵愛を受けるのです。
定子は美しいだけでなく、はずむような知性も持つ女性でした。母から受け継いだ才能を存分に生かしたといえるのです。
父と兄がそうできたのに、どうして道長はできなかったのか?
ドラマの設定から考えてみましょう。
まひろは出仕していない。作家デビューもまだまだ先。本人どころか、父の藤原為時も、ききょうの父・清原元輔ほどの活躍はしていない。
劇中では藤原斉信も藤原公任も「あの地味な女ね」と残念扱いをしている。
要するに、あの時点では周囲から見て、身分だけでなくありとあらゆる要素が低スペック女に思えてしまう。そんな悲しい状態です。
しかも、道長は野心家の父・兼家と姉・詮子に挟まれています。
二人は犬猿の仲なのに、道長の結婚相手については意見が一致。源倫子を猛烈に勧めてくる。
倫子の父は左大臣・源雅信で、家柄としては申し分ない。彼女も入内を前提として、赤染衛門までつけられて、掌中の珠のように育てられてきた姫君です。
詮子から結婚を勧められた後、道長はますます、まひろへのアプローチを強めています。
もはや時間切れだ! そんな描写です。
なぜ結ばれないか。ドラマは尺をとって、丁寧に描いているといえます。
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