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週刊武春 織田家

本日6月2日は「本能寺の変」が勃発 明智光秀はナゼ織田信長を討ったのか、討たねばならなかったのか?

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本日6/2は戦国史上最も謎とされる「本能寺の変」が勃発した歴史的な一日です。

首謀者は言うまでもなく明智光秀。

備中高松城を水攻め中の羽柴秀吉をフォローし、毛利一族との全面対決を意図した織田信長は、まず光秀に加勢を命じ、これに応じた明智軍13,000は6/1の夜に丹波亀山を発するのですが、その後、進路を突如京都へ変え、6/2未明、ほとんど守備兵のいない本能寺に襲いかかったのです。

このとき信長の遺体を回収できなかったこと。

畿内に点在していた織田傘下の武将(細川藤孝父子や筒井順慶、その他の諸部将など)をまとめられなかったこと。

そして結局、秀吉の中国大返しによって即座に討たれてしまった「三日天下」から、なぜ光秀が反乱を起こしたのか、その謎は依然として闇に包まれたままであり、多くの戦国ファンを今も悩ませている案件であります。

絵・富永商太

絵・富永商太

 

そこで本稿では、怨恨説や政権奪取説、武士の面目説など、これまで定番とされながらいずれも決定打のない説以外で、当サイトに掲載された記事をピックアップしてみたいと思います。

果たして光秀は、いかなる意図でかような所業に打ってでたのか?

400年前に想いを馳せてみましょう。

 

四国動乱説

◆本能寺の変直前に土佐の長宗我部元親と明智光秀との書状のやりとり判明

◆やっぱり織田信長は長宗我部元親の「四国切り取り」を認めていた! 裏付け史料を解明

長宗我部元親に対し、突如、非情な命令を下し、全面対決に進もうとした織田信長に対し、長宗我部と婚姻関係にあった明智側が本能寺の変を決行したとするのが四国(動乱)説です。

これを裏付けるものとして、最近、歴史的意義が深い新史料が提示されました。林原美術館と岡山県立博物館が2014年6月と2015年5月に発表した書状です。

本能寺の変直前に明智家と長宗我部家がヤリトリしていた内容に加えて、信長と旧知の間柄だった近衛前久まで絡むというお熱いもので、「本能寺の変・四国説」を強めると同時に、この説を否定する一面も備えておりました。

かなり興味深き一件。

戦国ファン・信長ファンの皆さまにはぜひともお目通りお願いし、共に考えたい内容です。

赤外線で明らかになった史料(右)/林原美術館公式HPより引用

 

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光秀高齢説

◆明智光秀が本能寺の変を起こして織田信長を討ったのは、老い先が短かったから!?

歴史作家・恵美嘉樹氏による、明智光秀高齢説のアプローチ。

本能寺の変当時、これまでは55歳前後と考えられていた光秀が実は67歳だったとする見方から、「老い先短きゆえに実力行使にでたのではないか?」と提言しております。

佐久間家のように譜代の重臣といえども働きが満足でないと躊躇なく解雇してきた信長を間近で見てきた光秀だけに、残された明智一族と家臣たちがいかなる末路を過ごすのか。

その将来を悲観した老将がいたとしてもおかしくはないところです。

 

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家康謀殺計画からの発展説

◆書評「本能寺の変 431年の真実」。とある前提を飲み込むと謎がサクサク解けて気持ちいい

明智家のご子孫・明智憲三郎さん執筆で、ベストセラーにもなった書籍がコチラです。

 

当書籍では、主に5つの定説に疑問を投げかけ進んで参りますが・・・

  1.  信長は、何故わずか数十人の少人数で本能寺に入ったのか。
  2.  光秀はなぜ謀反に走ったのか。
  3.  光秀は、本能寺での家康討ちが6月2日であることをいつ知ったのか。
  4.  家康は本能寺の変にどう関わっていたのか。
  5.  秀吉の「中国大返し」は何故可能だったのか。

ここで引っかかるのが3です。

突然、「光秀は、本能寺での家康討ちが6月2日であることをいつ知ったのか」という提言がありまして、これ、要は、織田信長は「本能寺で家康を討とうという計画を持っていた」という前提になっているのです。

最大の読みどころであり、かつ、最大の弱点とも言える論点ながら、人気の一冊です。

 

本能寺のその後(おまけ)

◆6月2日は本能寺の変!森蘭丸を討った男が15年後の同じ日に死亡の謎【その日、歴史が動いた】

本能寺の変で織田信長に槍で突進した武士のお話です。

番外編と言えますが、明智家重臣の斎藤利三に仕えていた安田作兵衛という武士で、森蘭丸を討ち取った功績もある人物。

呪いなんてものはないとは思いつつ、この方、15年後の6/2に亡くなるという数奇な運命の持ち主でもありました。

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