本能寺の変

光秀を打ち据える信長/wikipediaより引用

織田家

なぜ光秀は信長を裏切ったか「本能寺の変」諸説検証で浮かぶ有力説は

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野望説

光秀は、心ひそかに天下の野心を抱いていた、それを実行した――というのが、そのまんま「野望説」です。

戦後ほどなくして唱えられた説で、根拠の一つとなるのが有名な【愛宕百韻(愛宕連歌会)】です。

愛宕百韻の詳細は、以下の記事に譲りまして、

愛宕百韻(愛宕山連歌会)
光秀が本能寺の前に詠んだ愛宕百韻「ときは今 あめが下知る 五月かな」の真意は?

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簡単に説明しますと……。

本能寺の変の数日前。

5月28日に愛宕神社で開かれた連歌会で、光秀が以下のように心境を詠みました。

「ときは今 あめが下知る 五月かな」

なぜ、これが【野望】となるのか?

語句を分解してみましょう。

「とき」→「土岐氏=光秀の出身」

「あめ」→「天=天下」

「下知る」→「命令」

まとめると、ざっとこんな感じになります。

「とき(土岐氏の僕が)は今 あめ(天下に)が下知る(命令するからね!) 五月かな」

土岐氏の僕が天下に命令するからね!

なんだかいかにも面白い!と思ってしまいますよね。

もうこれでイイじゃん。

そう考えたくもなりますが……。

野望説の答え合わせ

根拠となる愛宕百韻は『惟任退治記』という軍記物に掲載されています。

その作者は豊臣秀吉の側近。

当然ながら「秀吉サイコー! 光秀サイテー!」という論調で描かれており、史料的価値については疑問視されています。

愛宕百韻の原文についても「改ざんされたのではないか?」と指摘されるほど。

残念ながらこの説もぶった斬られてしまいました。

次に注目は、朝廷やその他黒幕が絡んだとする諸説です。

 

朝廷黒幕説(光秀勤王家説)

まずは光秀勤王説から。

勤王という言葉が、なんだか幕末じみておりますが、あながち遠くなく「天皇・朝廷のため!」という考え方になります。

光秀はもともと朝廷のために働いていた。

しかし、全国に勢力を拡大し続ける織田信長が増長しており、このままでは天皇の上に立ってしまう――。

と、懸念した光秀が信長の野望を阻止するために動いたというものです。

そして、その発展形が朝廷黒幕説です。

黒幕とは、つまり【背後で囁いていた者たち】がいるってことで、それが朝廷だという話です。

「光秀はん、信長はんを討っておくんなはれ」とヒソヒソ囁いたっていうわけですね。

果たして皇族と公家が武家のTOP・織田信長を殺せなんてお願いできるのか?

たとえ光秀が勤王派だとしても、信長に密告されたらアウトじゃん。

そんなお願い、普通、できないだろ――。

と思う場面かもしれませんが、この説は、著名な在野の研究者さんたちが提唱したことによって衝撃を伴って広まりました。

何より劇的な展開のため、フィクションでも採用されやすく、皆さんもドコかで一度はお目にかかったことがあるのでないでしょうか。

果たして根拠のほどは?

朝廷黒幕説(光秀勤王家説) 答え合わせ

信長は天皇をないがしろにするどころか、これを保護しておりました。

戦国時代の大乱を受け、極度に貧乏になっていた皇室に資金援助をしていたのです。

正親町天皇に譲位を迫っていた」→「信長が天皇になろうとしていた」なんて話もありますが、現実は真逆。

正親町天皇自身が譲位を望んでいました。

正親町天皇
戦国時代を生き抜いた正親町天皇~信長や光秀とどんな関係だった?

続きを見る

だったら譲位すればいいじゃん!と簡単に行かないのが朝廷という世界。

天皇の譲位には多額の資金が必要になり、その資金を工面しようとしていたのが他ならぬ信長です。

そんな相手を「殺して」なんて光秀にお願いするでしょうか。

というわけで、この説も否定されております。

ちなみに天皇ではなく、近衛前久という有力な公家もおりました。

近衛前久
信長や謙信と親交の深かった戦国貴族・近衛前久~本能寺後に詠んだ南無阿弥陀仏とは

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しかし彼もがっつり信長派であり、光秀に殺害依頼をするはずもないとされています。

 

足利義昭黒幕説(光秀幕臣説)

信長に奉じられて15代将軍となった足利義昭

途中から仲違いして、信長を討つべく「信長包囲網」などを推し進めたりしておりました。

足利義昭
信長と共に上洛し京を追われた足利義昭(15代将軍)その後どうなった?

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それが、ことごく失敗。

槇島城の戦い】で敗れた後は毛利氏の下に身を寄せ、そこから信長殺害の命令を光秀に出した――というのが足利義昭黒幕説です。

槇島城の戦い
信長vs義昭「槇島城の戦い」で室町幕府滅亡~意外と緻密な将軍の戦略

続きを見る

もともと光秀は義昭に仕える幕臣でした。

なので「幕府再興を進めるために信長を討った!」という【光秀幕臣説】を発展させた内容となります。

これは素人目に見ても、なんだか唐突な印象ですよね。

しかし、この義昭黒幕説が発表されたときはかなり衝撃的だったようです。

というのも同説を提唱したのが、中世史を専門とする大学教授の研究者だったからです。プロに言われてしまえば、なかなか一般の戦国ファンには言い返せないものでしょう。

では、なぜそんな説が唱えられたのか?

光秀に信長討伐を命じたという根拠や義昭の構想をザッとまとめますと。

・「義昭の復権」を記している光秀の書状があった

・光秀は長宗我部や本願寺、上杉など、当時の敵対勢力と連絡を取っていた

・朝廷が信長を将軍にしようとしている(正式に室町幕府を終わらせようとしている)という状況

・義昭は自ら備後(岡山県)に幕府を作り、毛利輝元を副将軍にする

どうでしょう。

織田信長を頼っていた朝廷と異なり、足利義昭は恨みを抱いておりました。

そんな状況で本職の研究者に「義昭が黒幕だよ」なんて言われたら『うーん、これはあるかも……』と思ってしまいますよね。

しかし……。

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