嘉永6年(1853年)6月3日、黒船を率いたペリーが、江戸湾の入口・浦賀に来航しました。
突如現れた物騒な船団に対し、事前に何の事情も知らされていない庶民層はびっくり仰天。
全国の若手藩士らも驚きを隠せず、その後「外国を追い払おう!」という攘夷論が駆け巡ります。
こうなると、もはや外交・政治闘争の世界へと話題は突き進みがちですが、本稿では一歩違う面からアプローチをしてみたいと思います。
それは【ペリーの接待術】です。
ともすれば
「国ヲ開キナサイ!!!」
という威圧的な姿勢で、日米和親条約を結んだと思われがちなペリー提督。
しかし、実際は彼も気をもみ、酒を振る舞い、電通マンとは言わないまでも相応の接待でもって幕府と接していたのでした。
幕末の一大事の裏で、いったい何があったのか。
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まるでお子様ランチじゃん
嘉永7年(1854年)、二度目の来日を果たしたペリー。
幕府を相手に日米和親条約の締結へと向かいます。
このときペリーは幕府の役人たちを招いて晩餐会を主催することにしました。
彼にとってもこの条約の成否は一大事。腕によりをかけて作るよう、入念に準備を整えます。
かくして交渉のため黒船に乗り込むことになった幕府の役人たちは、緊張でガチガチになっただろうと思ったのですが……。
アメリカ側には細やかなおもてなしの心がありました。
例えば家紋入り小旗のついたケーキ。
まるで現代のお子様ランチですが、幕臣たちには大変気に入られたそうで。
徐々に緊張もほどけていったのでしょう。
「おぉ! これはなんとも珍しい食べ物ですなあ。持ち帰ってみるか」
晩餐会に浮かれた彼らは、残り物を紙で包んで懐に入れ出したりしております。七面鳥の丸焼きすら懐に入れようとしたとか。
さすがにこれにはアメリカ人乗務員たちも眉をしかめたそうですが、ペリーは「慣習の違いだから」とあたたかい目で見守りました。
残り物を無駄にしない――というのは、日本では江戸時代でも当たり前だったんですね。
「この酒は美味い! 実にいい味だ!」
条約をなんとしても成功させたいアメリカ側は、幕府の役人に酒もじゃんじゃん飲ませました。
食事は好みがあっても、酒飲みは心の壁を軽く越えてしまうもの。日本人は遠慮せず、ワインやスパークリングワインをがぶ飲みしました。
口内に広がるシュワシュワの感触が新鮮だったのでしょう。特にスパークリングワインは好まれたそうです。
酔わずにいた幕府関係者は、代表の林大学頭ぐらいだったそうで。
しかめっ面になっている林家の堅物――なんて、いかにも面白い様子が想像できてしまいますね。
中でもべろんべろんになってしまった松崎満太郎は、あろうことかペリーにハグしました!
「日本とアメリカの心はひとぉ〜つ!」
酒臭い息をかけながら、そう叫ぶ松崎。
周囲はあわてましたがペリーは平然としています。
「条約がうまくいくなら、あの時彼にキスさせてもよかったさ! HAHAHA!」てなもんだそうで。
ちなみに松崎は、自分の醜態を覚えていたのか、翌日はおとなしくしていたそうです。
まぁ、そりゃそうですわな。
今も昔もビジネス話は食事のときに
黒船というと大河ドラマ『青天を衝け』でもそうだったように、水戸藩などの攘夷という言葉が真っ先にイメージされ、いかにもピリピリした雰囲気を想像してしまいます。
が、考えてみれば、こうした風景の方が日常ではないでしょうか。
ペリーだって敵対したくて交渉を要求してきたワケではありません。
なにせ、他国の外交官たちも、日本人に対して割と頻繁に酒をふるまっていたようです。
イギリス人外交官アーネスト・サトウは『一外交官の見た明治維新』の中で会津藩の家老・梶原平馬についてこう記しています。
梶原は、シャンペン、ウィスキー、シェリー、ラム、ジン、水で割ったジンなどを、またたきもせず、尻ごみもせずに飲み干し、飲みっぷりにかけては、他の人々をはるかにしのいだ。
この記述からしますと、サトウは訪問した日本人に対してガンガン酒を飲ませていたように思えます。
ニッポン大好き幕末の外交官アーネスト・サトウ 名前は“佐藤”じゃございません
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仕事中にそんなに飲んでいいんかーい!
とツッコミながらも、どこかほのぼのとした幕末の一幕を想像してしまう日米和親条約の現場。
今も昔もビジネス話は食事のときに――というのが成功のカギなのかもしれません。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
熊田忠雄『拙者は食えん!―サムライ洋食事始』(→amazon)