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イラスト:富永商太

伊達家 週刊武春

伊達政宗の手紙(書状)が、本人に気の毒なぐらい面白い件につきまして

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様々なやんちゃ行為のおかげで、最強のネタ系戦国大名としてお馴染みの伊達政宗さん。
その中でも伊達政宗の手紙は飛び抜けて面白いと評判なのをご存知でしょうか。

政宗の場合、好条件が揃っており、ありのままに感情が炸裂した手紙が多数残っております。
その好条件とは、

・祐筆をあまり使わず、自筆で書状を書いていた
・筆まめ
・伊達家が改易されておらず、家臣たちが「藩祖」の書として家宝扱いにした
・彼自身の知名度が高いため、発見されやすい

例えば政宗にとって伯父にあたる最上義光の場合、最上家が改易され、知名度が下がったために未発見のものが多いです(近年の研究で改善されつつあります)。
しかし政宗については今なお、ちょいちょい発見されており、今年もこんな記事が掲載されておりました。

伊達政宗:手紙6点、大崎市に寄贈 酒好きで筆まめな姿伝える 岩出山出身・中森さん /宮城 - 毎日新聞

手紙が6点も一気に出てくるのは、かなり珍しいこと。しかし、政宗の場合割とよくあるのです。
しかもこの中身がこれまた面白い。

「酒飲みすぎてかったるいから午前中の仕事は休むね〜」
「マジで遅刻しそうです……思っていたより準備に手間取りました」

そんなありのままの姿がとても面白いのです。

 

とにかく追伸がイケておりまして

それではどこが面白いのか?
政宗の書状を紹介した本はいくつかありますが、できれば書状の写真や現物を見て戴きたい。

奥州一の大名子息としてエリート教育を受けた政宗は、言うまでもなく風格のある字を書きます。達筆です。
しかし、字はうまいのですが、結構雑なんじゃないかと思うことがあります。

それというのも、本分を書いた後に気持ちがエキサイトして書き足した追伸部分が、余白に無理矢理押し込めてあったりするのです。
几帳面な人物だと「これだとちょっと失礼かなあ」と書き直しすとか、あるいは下書きと清書を分けたりするのですが、政宗は「まあいいじゃん、とりあえず」と出します。
そしてそれが現在まで残っているわけです。

一例をあげますと、18才の政宗が、伯父の最上義光宛てに書いた書状です。
小手森城を撫で斬りにした報告ですね。

急いで知らせます。今日27日、小手森城を取り囲んで陥落させて、撫で斬りヒャッハーしました!(超絶意訳、以下中略)
追伸
どうせあんたはこんなの話を盛りすぎ、非常識、嘘こくなと思っているんでしょうけど、俺の今書いたことマジで本当だから。

この追伸部分が、小さな字で花押の上にみしっと書いてあるんですね。
本文を書いた後に興奮しながら「あ~、これ、義光にどうせ嘘こいてると思われたらムカつく!」とでも考えて追加した。そんな風に想像しておかしくなってしまいます。

というか、これほどまでティーンエイジャーの若さを感じさせる書状もなく、「政宗の書状といえばコレでしょ!」と言いたくなる一通ですね。

本人には黒歴史かもしれませんが……(絵・富永商太)

もう一通追伸が素晴らしいのが、片倉景綱に宛てた、やはり18才当時の書状です。
こちらは景綱が、主君より先に子を授かったらば殺すと言っていると知って、慌てて書いたものです。

追伸
ともかく殺すと言っていると知ったので、急いでこの書状を書いたよ。人間にとって子供ほど大事なものなんてないだろ。この件は絶対に俺に任せてくれよな。

この追伸は、本文とほぼ同じ内容を繰り返しています。
まさに「大事なことだから二度言う」「絶対に殺しちゃ駄目だぞ」という優しさが伝わって来て、大変素晴らしいものです。

政宗の場合、自筆で書くことをマナーだと思っていました。
息子たちにも繰り返し「書状は自筆で書くんだぞ!」と言い聞かせていたようです。

ちなみに政宗の父・輝宗も、母・義姫も、義姫の兄である最上義光も、自筆で書くことが多い人物でした。
家系的、環境的影響もあったのでしょう。

もちろん、やむを得ず祐筆を使う場合もあり、そのときは詫びの一言を入れ、追伸だけ自筆で書くことがあったようです。
現在も、印刷されたファンレターへの返信に、サインだけ自筆にする有名人もおりますよね。

ちょっとした気配りに優しさを感じさせて、実にいい味が出ている。
それが政宗の追伸です。

 

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読んだら燃やせよ、絶対、即火中だぞ!

先ほど、「政宗は追伸でレイアウトが崩れたり、花押が小さくなったりしても、清書しない」と書きました。
実はこれ、本人も気にしていたようで。

政宗自身が
「なんかマジやべえ、内容もしょうもねえし字も汚ねえ。これ、残ったら黒歴史じゃね……」
と自覚していたらしく、よく「即火中」と書いています。

この「即火中」とは、字面からお察しできるように
「しょうもねえし、残したら黒歴史モンだから、読んだらソッコーで燃やしてくれ!」
という意味です。

「ソッコーで燃やす」はずの書状が何故今も残っているのかというと、家臣が「燃やせっていうけど、主君からもらった手紙だし」と記念に保管したからですね。
だから、清書をしろと……。

ネタとして最高なのでありがたいんですけどね。

 

もちろん文章そのものに魅力あります

追伸だけではなく、文章そのものがオモシロなのが政宗の特長です。
彼には、ユーモアにあふれ、率直で、時々嫌味ったらしい皮肉もまじえる、そんな豊かな文才があります。
人物評も興味深いのです。

天正20年(1592年)、母・義姫の侍女宛の手紙では、秀吉についてこう書いています。

(秀吉様は)二、三日前にはわざわざ私のところまで使者を遣わし、親切な言葉までいただきました。まるで昔の父上のようなご贔屓で、私も心強いです。

当時の政宗は、蒲生氏郷と揉めていろいろ大変であったのですが、自分の母親には「秀吉様はまるでパパみたいに優しいんだ!」と、告げているわけですね。
安心させたいのでしょうが、父のようだと言うあたりがなかなか興味深いものが。

伯父の最上義光評は辛辣で、嫌味です。
北の関ヶ原こと慶長出羽合戦(慶長5年、1600年)では「最上衆が弱かった!」と二度も書いていますが、さらに皮肉っている手紙も。
慶長6年(1601年)、今井宗薫宛ての書状です。

(庄内攻めに関して)昨年の冬より、最上家に加勢しており、無事庄内を征圧しました。これも修理殿(義光の嫡男・義康)の武功のおかげです。出羽守(義光)のころはこんなにも奮戦健闘することはありませんでしたからね。珍しいことです。

これは一見すると最上義康を褒めているわけですが、わざわざ「義光の頃はこんなにうまく戦ってないもんね! 強くなかったよ!」というニュアンスをこめています。
辛辣政宗の本領発揮ではないでしょうか。
義康をただ褒めるだけなら「義光の頃より」と比較しなくてもよいワケです。

このとき義光は50才を越えており、慶長出羽合戦で心身ともに疲れ切っており、体調を崩して寝込んでおりました。
そんな義光を労るつもりがまるでないどころか「アイツの息子のほうが強いよね!」としれっと書くあたり、政宗くんてば、もう……と言いたくなります。いやあ、おもしろい。

政宗は慶長出羽合戦の際も、最上の戦略がお粗末だとぶっちゃけ書状を義光に送っており、マウンティングしたい感情をなんとなく感じてしまいます。
いやもちろん、心からの善意という可能性もありますけど。

最上義光像

 

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行動とセットで目が離せない

文章だけではなく、書かれている行動がそのたびにネタになるほど難しいのも政宗らしさです。

遅刻しそうだと慌てて弁明していたり、二日酔いでサボる連絡だったり、酒の席で部下をブン殴ったことを詫びていたり。
本人からすれば「だからそういうのは燃やしてよ!」と言いたくなるかもしれませんが、ビッグネームなので綺麗に装幀されたうえで展示されたりします。有名税って辛い。

そんな中でも特に面白いのが、文禄2年(1593年)朝鮮出兵の母・義姫に宛てた手紙です。
誇らしげに築城技術を自慢し、母の気遣いに感謝する政宗。微笑ましい書状です。
この書状を読むと、政宗が国元の母親からお小遣いを送金してもらい、感動していることがわかります。

(おこづかいをもらって)めっちゃテンションあがって、あちこちを探し回って、お土産みつけようとしました。いろいろゲットしたけど、どうもわざわざ日本まで贈るにはビミョーなものばっかりで。これはどうかなと思いながらも、とりあえず木綿の織物を見つけました。国産よりはいいんじゃないかなと思うんで、送りますね。

気に入るかどうかわからないけど、と書いてはいるものの、本音は自信満々の贈り物でしょうね。
朝鮮で戦いながら母親へのお土産を探し回る政宗。想像するとニヤっとしてしまいません?

もう一通、素敵なのが、晩年の恋人・只野作十郎宛のもの。
元和3、4年頃(1617、1618)、政宗アラフィフ頃のものです。

ある日、政宗は、酔った勢いで作十郎に酷いことを言ってしまいました。

「作十郎、俺の他に好きな子いるんでしょ!? 許さないぞ!」

これに対し作十郎は潔癖を示すため、自らの腕を突き、起請文を政宗に送ってきたのです。
衆道では愛のために腕や太股を突くことはよくあったのです。「貫肉」、「腕引」と呼ばれていました。

「まずい……俺のせいでこんなことを」
そこで政宗は反省し、心のこもった手紙を書いたのです。

あなたも知っている通り、私も若い頃は酔っ払った時には、腕を割き、太股を突いたりしていました。でも、私ももう歳だし。「いいオッサンなのに衆道にハマってんだな」と噂になるのも困るし……

歯切れが悪いんだか、いじらしんだか、純情なんだか……。
そんな言い訳を繰り返し、平謝りする政宗。
悲哀がこもったアラフィフ男の恋文として、とても興味深い書状です。

ここで紹介した政宗の書状は、ほんの一部です。
彼の書状を紹介する書籍もありますので、是非ご覧ください。

きっと政宗が気になって仕方なくなりますよ!

文:小檜山青

伊達政宗は史実も最高に面白い!ノリノリの生涯70年を最新研究に基づきマトメました




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【参考文献】
佐藤憲一『伊達政宗の手紙 (洋泉社MC新書)
仙台市博物館刊行版 佐藤憲一『伊達政宗の手紙
最上義光歴史館発行『最上義光歴史館 増築記念特別展 戦国武将墨跡展図録
最上義光 (人物叢書)

 

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