週刊武春 寺社・風習

伊勢神宮への参拝で日本人なら知っておきたい7つの秘密

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伊勢神宮は、正式には「神宮」と呼びます。

神宮は一つの社だけを意味するのではなく、二つの相並び立つ「内宮」(皇大神宮)と「外宮」(豊受大神宮)の2社を中心に、別宮、摂社、末社、所管社を含めた125社からなっています。八百万の神々が具現化したような聖地なわけです。

通常の参拝方法としては、まず食の神様豊受大御神(とようけおおみかみ)を祭る外宮から参拝し、次にバスなどにのって、天皇家の祖先神であり太陽神のアマテラス(天照大御神)がまつられる内宮を参拝します。

とはいえ、とくに年末年始に両社を移動するのは大変ですので、多くの方は内宮のみという選択のようです。そのため、内宮の参道であるおはらい町にあるおかげ横丁は日本有数の観光地となっています。

江戸時代以来の伊勢まいりの賑やかさと一転して静寂な境内を訪れることで、ふつうの神社以上にとても清々しい気分になれるのです。

 

日本の心のふるさと伊勢神宮七つの秘密

伊勢神宮では2013年10月1日、内宮で10年に一度の式年遷宮が行われました。

この2日夜に行われたのは7年間にわたる式年遷宮の数々の儀式のクライマックス。
ご神体(天照大神)が古い正殿から新しい正殿へと遷られる「遷御の儀」です。

盛り上がった式年遷宮の流れを受けて2016年5月に、伊勢志摩サミットが開かれ、各国の首脳が伊勢神宮に参拝しました。

この日本人の誇りである伊勢神宮について、歴史作家の恵美嘉樹氏が歴史的・考古学的な見地から浮かび上がった7つの秘密をご紹介します。

伊勢神宮五十鈴川

 

その1 アマテラスの父母が祀られていなかった

伊勢神宮の神様はアマテラス。彼女のお母さんは、日本神話で有名なイザナギとイザナミ(兄妹婚)です。

アマテラスが神宮の主神である以上、当然、有名な神様である父母だってまつられていて不思議じゃない。なのに、ずーっとご両親は無視されてきたのです。

そしてとうとうご両親キレました!

772年(宝亀3年)8月6日に、伊勢のイザナギ・イザナミ神(および弟の月読神)が祟ったのです。続日本紀によると、異常な風雨で樹木を根こそぎにされ家屋が倒壊したとあるので、おそらく伊勢湾台風級の台風被害だったのでしょう。

そこで、朝廷はあわてて、イザナギ・イザナミを官社(朝廷直轄の神社)としてお祭りすることになったのです。

伊勢神宮月読宮

なんで、そんなことが起きたのかというと、もともと伊勢神宮の神様は「アマテラス」と呼ばれていたかも定かでないけど、神様の中でも別格の神様でした。

その「別格神様」を、飛鳥時代の律令制(国際化)にあわせて天皇家の祖先ということにしたことでできたスキマだったと考えられます。

「もともとのイセの神様」(別格すぎてお父ちゃんやおかあちゃんはいない)+「天皇家で一番偉い神アマテラス」(天皇家の神々でも別格だけど、父ちゃん母ちゃんはいる)=「伊勢神宮のアマテラス」
と合体したときに、父ちゃん母ちゃんを忘れてしまっていたということですね、はい。

 

その2 伊勢神宮にも付属の仏教寺院があった

神宮寺と聞くと「サクラ大戦」のヒロインや「リク」の悪者を思い出すのですが、それはともかく、明治時代以前は、有名な神社と仏教寺院はほとんど同居していました。

神社の境内などにある神社付属寺院のことを「神宮寺」と呼びます。

それを神仏習合というのですが、でも神社オブ・ザ神社の伊勢神宮だけは、そんな「不謹慎な」ことはなかった、、、はず。

ところが、先の772年の記事にも「伊勢神宮寺を移転した」とあるように、奈良時代には、神宮寺を持っていたのです。

しかし、平安時代になって「あれ? ちょっとおかしくない」という矛盾に気付いてきて、820年にできた法規集「弘仁式」で、伊勢神宮も「ちゃんとしよう」ということでマニュアル(伊勢太神宮式)が作られます。

あわせて、この頃、「仏」や「塔」など仏教に関する言葉は伊勢神宮においては禁忌(タブー)とする「神宮忌詞(いみことば)」ができ、仏教は排除されます。

神宮への勅使に任命された貴族は、選ばれたその日から仏教儀式をすることは禁止。僧侶や尼との接触も禁止されます。

「伊勢神宮はもっとも早く神仏習合が始まり、もっとも早くなくなった神社なのである。(略)現存する儀式帳には神仏習合をうかがわせる記述はまったくなく、むしろ神仏分離の成果報告として提出を義務づけられたのではない、と思わせるほどである」(105ページ、榎村寛之『古代の都と神々』吉川弘文館、2008年)

との、三重県立斎宮歴史博物館学芸課長(当時)の指摘もあります。

一度は、”廃仏毀釈”した伊勢神宮ですが、平安時代もおわりになると、日本社会として神道=仏教の一体化が進むために、仏教排斥は緩くなっていきます。

儀式としての廃仏は続行しますが、東大寺の復興に全国を飛び回った重源が東大寺再建祈願のために僧侶60人で参拝したのをはじめ偉いお坊さんたちもたくさん伊勢をお参りしています。(重源さんの場合は、さすがに60人の僧侶団体参拝はまずいと、外宮では深夜に、内宮では2、3人に分かれて参拝したそうです)

中世末期の絵図には、境内にお寺も見えます。(45頁、岡田ほか編『事典 神社の歴史と祭り』(吉川弘文館、2013)

仏教強し……。

 

その3 おさいせんを投げてはいけません

内宮への参道。中におさい銭入れはありません。遷宮以来、みんなが投げ入れるので脇に「箱」が置かれるようになりました

伊勢神宮を初めて訪れた人は、正殿への階段をのぼり、いざ!というときに肩すかしをくらうことが多いかもしれません。

正殿の前には、「おさい銭箱」がないのです。

伊勢神宮の最も重要な規定は「私幣禁断」。つまり、個人的な願いをかなえようと手を合わせてはいけません、ということ。
今年、式年遷宮する出雲大社が「恋愛の神」として女性に人気なのとは大違いです。

わりと有名な「禁止事項」ではありますが、具体的にはどのようになっているのでしょう。
平安時代にできたマニュアル「伊勢太神宮式」では、「天皇以外の者が奉幣すること」が禁止なのです。つまり、つまり、そもそも、われら民衆が参拝することすら本来はまかりならなかったのです!ひぇーーー!

幣というのは、神様への貢ぎ物(プレゼント)。恋愛関係にたとえれば、1億人のアイドルアマテラスではなく、天皇とオンリーワンの関係を結ぶ深窓の令嬢といったところでしょうか。

とは言っても、パトロンである朝廷の力が落ちていくと、(神様はともかく)そこに仕える神職らの生活を支えるために、ある意味で伊勢神宮で最も重要な規定は、形骸化されて、今にいたるのです。

ですので、せめて一番奥の正殿に手を合わせるときは、「世界平和」など個人的ではない願いを祈り、恋愛成就などの私的なお願いは、神楽殿やほかの摂社などで頼みましょう。
おさい銭箱がない、つまり、アマテラス様に直接プレゼントできる権利は、いまも一般には公開されていないのです。

内宮も外宮も白い敷布が敷いてあって、そこにはおさい銭がちらほら見られますが、あれは、だめと言っているのに、おさい銭を投げ込むやからがいて、お金が地面に接触して聖域が穢れてしまうのを防ぐための「防御装置」です。

これから参拝する人は、絶対にお金を投げてはいけません。(遷宮後にはあまりにもおさい銭を投げる人が多いので、向かって右側に仮設のおさい銭箱が設定されています、せめてそちらに入れましょう)

 

 その4 天皇が伊勢神宮を参拝したことはなかった

天武天皇(Wikipediaより)

意外かもしれませんが、実は江戸時代までの歴代の天皇で伊勢神宮を参った天皇はいませんでした。
なんと、初めて参拝したのは明治天皇だったのです!

廃仏毀釈をはじめとする明治時代の「国家神道」というものが、いかに日本本来の歴史と伝統からかけ離れた「作られた伝統っぽい文化」だったことの証拠のひとつです。

伊勢神宮が、アマテラス大神をまつる国家第一の神社として存在したことが、歴史上間違いなく言える、ぶっちゃけ言うと、「日本NO1の伊勢神宮を創設した」のは、飛鳥時代末の天武天皇と考えられています。

日本書紀によれば、雄略大王の時代から王女が「伊勢大神」の祠に侍する慣行のあったことが知られるが、しかし、歴代の倭王ないし王族のなかで、「天照大神」を拝したのは大海人皇子=天武天皇が最初であった。 「伊勢大神」は「伊勢の神」であるのに対し、「天照大神」は「高天原の神」であった。

「天照大神」の出現は、「伊勢大神」からの移行ではなく、新しい神の創出である。「日神」と「天照る大神」との類似性はあるが、しかし「日神」の自然神としての正確は、捨象され、人格神としての装いをもった「天照大神」の出現であった

と、九州大名誉教授の田村圓澄さんは『伊勢神宮の成立』(115p、吉川弘文館、1996、2009年再刊)の中でずばり指摘しています。

天武の妻の持統天皇は、伊勢へ旅行(行幸)しているのですが、あえて伊勢大神をお参りしなかったと明記されているくらいです。神様の性格を政権の都合で「変更」してしまったのですから、そんなところにいって、「元の伊勢大神」が怒って、たたられたらたまらんと思った回避行動だったのかもしれません。

伊勢神宮皇大神宮

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