◯◯の乱・◯◯の変・◯◯の戦い

平治の乱を描いた『平治物語絵巻』/wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安

「◯◯の乱」「◯◯の変」の表記にルールは?日本史上の戦いをどう呼ぶ

2025/04/15

戦争や戦闘があったことを示す歴史用語は

「~の戦い」
「~の変」
「~の役」
「〜の乱」

などと分けられています。

では、この表記に厳密な「ルール」があるのかどうか?

そんな話が以前、ネット上で話題になっていて、元ネタとなったサイト では、ざっと以下のようにカテゴライズされていました。

「戦・戦い・合戦」 … 戦争を表す時に一般的に用いられるものです。

「乱」 …… 戦の中でも特に朝廷や幕府に対しての反乱に用います。

「変」 …… 戦の中でも政治的な変革を起こした・企てた時に用いられます。

「役」 …… 戦争のこと。一部、「外国・辺境地での戦争」と限定された説明がなされる事もあります。しかし、国内・畿内での戦でも用いられるので、そういった限定な意味合いは無いでしょう。

「陣」 …… 陣を張るという事から転じたものか? 局地的な戦闘、城攻め等に用いられる様です。

これにツイートやら各種メディアなども絡んで一騒動に発展。

「結局、どうなっているんだってば!」

ということで、古代の日本書紀から江戸時代まで、こうした戦いがなんと呼ばれていたのかを調べてみました。

具体的に見て参りましょう。

 


天皇が勝者なのに壬申の「乱」の理由は

飛鳥時代672年【壬申の乱】は、天武天皇(当時は大海人皇子)が現政権に反乱し、勝利する内戦です。

左・大友皇子(弘文天皇)と大海人皇子(天武天皇)/wikipediaより引用

日本書紀の原文では「壬申年之役」

として「役」を使用(複数箇所)しておりました。

あれれ?

天武天皇が勝利しているのになぜ「乱」なのか?

一体いつから乱になったのか?

不思議ですよね。

明治3年に、敗者の大友皇子が「弘文天皇」として「天皇」に認められたので、「天皇に対する皇子の反乱」ということにせざるをえなくなり、「壬申の役」が「壬申の乱」に変わったのかもしれません。

 


日本初の独立戦争「将門の乱」

935年には【将門の乱】があります。

平将門が関東で「新皇」を名乗った前代未聞の独立戦争ですね。

平将門

平将門/wikipediaより引用

これが起きている同時代の記録には

「国を傾けるの謀」(『将門記』天慶二年十二月十五日に将門が太政大臣に送った弁明の手紙)

「彼の賊難」(『将門記』天皇の詔)

として「なんとかの乱」とは用語化されていません。まぁ、当たり前ですね。

後の時代になると、 平安後期の歴史物語『大鏡』では「将門が乱」で、鎌倉初期の軍記物『保元物語』では「将門・純友 東西に乱逆いたし」 なので「乱」でOKでしょう。

 

放火が「変」って変な感じ

866年【応天門の変】は都の門が放火された事件。

燃え盛る炎を見て動揺する貴族たち(伴大納言絵詞/wikipediaより引用)

本事件はいわば火事であり、実際のバトルがあったわけではありません。

『宇治拾遺物語』では「応天門を焼くこと」

『伴大納言絵巻』では「貞観の応天門炎上の段」

として「変」というより「炎上」の現象面での表現となっています。

この事件は、放火犯とされた貴族が冤罪の可能性もあり、単なる事件ではなく「政変」の様相が強いためにそうなったのかもしれません。

 


「役」が「合戦」かそれが問題だ

1051年からの【前九年・後三年の役】はどうでしょうか。

東北の豪族と源氏が長年にわたり戦い、「前九年」と後ろに何もつけないのがデフォでしょう。

前九年後三年絵巻/国立国会図書館蔵

同時代に近い『陸奥話記』では

「前九年絵」(前九年の戦いをかいた絵=国立歴史民俗博物館などが所蔵する「前九年合戦絵詞」のこと)

と表現しています。

江戸時代の

『仮名手本忠臣蔵』も「前九年」

です。

あえて言えば、鎌倉時代の説話集『十訓抄』では

「たびたび合戦に」
「軍(いくさ)の物語」

とあるので、「前九年の役」よりは「前九年合戦」のほうがすわりがいいかもしれません。

後三年についても『保元物語』では

「後三年の御合戦」
「後三年の軍(いくさ)あり」

『太平記』でも

「後三年の軍の時」

となっておりますので「~合戦」がよさそうですね。

 

関ヶ原は「陣」か?

新しい時代の戦争については、史料がたくさんありすぎるので、関ヶ原だけでご勘弁(力尽きました~)。

関ケ原合戦図屏風/wikipediaより引用

1600年「関ヶ原の戦い」では、江戸時代の井原西鶴

『武家義理物語』などで「関が原の陣」

としています。

もっとも当時の人にとっては

「関ヶ原」=「関ヶ原の戦い」

なので、前九年同様、いちいち「~合戦」とか付けないケースもあります。

結論:たいしたルールはないよね……

という言い方しかできませんね。有名な戦いになればなるほど「~の戦い」という言葉すら付かないこともうかがえました。

「~の戦い」
「~の変」
「~の役」
「〜の乱」

いずれも明確な規定はできない。よって受験生の皆さまには心苦しいですが、その都度、覚えていただくしかありません。

【法則と例外】で暗記事項を押さえておくのは勉強の基本ですが、それが通じないって辛いですよね。

まぁ、それよりも歴史は流れを掴むことが実は受験でも大切ですので、よろしければ本サイトの過去記事でお楽しみいただければ……。


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恵美嘉樹

作家・歴史旅コンサルタント。 「旅を通じて歴史研究の最前線を社会に還元する」を理念に、二人組ユニットとして活動している。 慶應義塾大学および明治大学の大学・大学院で日本史・世界史を専攻し、歴史書籍の編集者や航空会社の国際広報など、多分野での実務経験を積む。 その後、日本初の“歴史旅コンサルタント”として独立。「日本遺産」「ヤマト巡歴」「世界史街道」など、新たな知的旅行スタイルを提案し、古代史から世界史まで広い領域を対象に、旅と歴史を融合させた企画・執筆・講演を行っている。 ◆主な著書 『日本の神様と神社 ― 神話と歴史の謎を解く』(講談社、2009年) 『全国「一の宮」徹底ガイド』(PHP研究所、2007年) 『図説 最新日本古代史』(学習研究社、2008年) 『最新 日本古代史の謎』(学習研究社、2011年) ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/01104329

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