和議が結ばれたその直後に合戦が始まったり。
2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、あまりに殺伐とした世界観だったため、映画好きの間では
「これって『仁義なき戦い』みたいだな。北条時政なんか、山守親分じゃん』
なんて囁かれたとか。
あながち冗談とも言えなくて、他ならぬ三谷幸喜さんが公式サイトのインタビューでこう答えていました。
北条と比企一族との戦いを書いているときは、『仁義なき戦い』を参考にしていました。
実は今まで観たことがなかったのですが、「あの時代は『仁義なき戦い』の世界観に似ている」とスタッフに教えてもらいました。
あはは、フィクションだからだよね~。
と、思われるかもしれませんが、それだけでもなくて。
歴史学者である細川重男氏の著作『鎌倉幕府抗争史: 御家人間抗争の二十七年』の参考文献一覧でも、真っ先にこうあるのです。
飯干晃一『仁義なき戦い<死闘篇>』『同<決戦篇>』
フィクションに限らず、研究者の思考にも影響を与えた『仁義なき戦い』とは何なのか。
なぜ、鎌倉時代の世界と昭和の実録ヤクザ映画がリンクするのか?
日本人や日本社会が形成される上で非常に重要だったと思われる「仁義」について、歴史的に考察してみましょう。
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「広島抗争」と毛利元就は関係ナシ
『仁義なき戦い』のストーリーは戦後間もない広島で始まります。
原爆という人類未曾有の殺戮兵器に街を焼かれた同市街も、戦後は闇市が湧き立ち、その利権をめぐって暴力団たちの抗争が激化。
土木工事による街の復興だったり、GHQの横流し品だったり、あるいは賭場に絡む利権だったり。
金回りのよいところに命知らずで気性の荒い男たちが吸い寄せられていったのですが、そこは任侠とか男気などのカッコ良さとは無縁のドロドロした世界でした。
とにかく狡猾な腐れ親分や兄貴分などが登場し、純朴な若い青年から次々に命を落としていく――。
そんな広島の世界が描かれていたからでしょうか。
同映画について、
毛利元就以来、謀略を駆使する気風がある――。
と分析する解説文を見かけたこともありますが、これは残念ながら見当違いでしょう。
戦国大名たるもの、どの地域でも謀略を駆使するものであり、ならば武田信玄の山梨県や、三英傑と関係が深い愛知県は突出して酷いことになってしまう。
そもそも、仁義とは何なのか?
毛利元就と言えば、ご先祖様が『鎌倉殿の13人』でも重要な役どころの大江広元ですが、この広元は、鎌倉幕府の中でも仁義を知る部類にいたでしょう。
※以下は大江広元の関連記事となります
鎌倉幕府の設立・運営に欠かせなかった広元や親能たち「文士はどこへ消えた?」
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なぜなら仁義とは、教養なしでは身につかない概念であるからです。
坂東武者はまだ「仁義」を知らない
『鎌倉殿の13人』で中盤のクライマックスだった【北条vs比企】の戦い。
北条時政が比企能員を謀殺する際、あっけらかんとこう言い放ちました。
「坂東武者ってのはな。勝つためには、何でもするんだ」
佐藤二朗さん演じる比企能員がノコノコ丸腰でやってきたことを小馬鹿にでもするような。
卑怯極まりないやり方ですが、とにかく勝ちさえすれば一切方法は問われない。
そんな思考であり、もしもこのとき北条時政が、
『丸腰でやってきた相手をだまくらかして殺っちまうのは、さすがに仁義がねえんじゃないか?』
なんて少しでも考えたら、比企能員もあんなに情けない最期にはならなかったでしょう。
当時の坂東武者は、はなから「仁義」という概念がないのです。
相手を騙しての勝利でも恥ずかしくなく、勝ちゃあいいんだよ、勝ちゃあ! と、平然としていられる。
ただし、この北条vs比企の対立に巻き込まれ、「仁義を理解しかけていた」からこそ命を落とす武士もいました。
仁田忠常です。
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忠常は北条による比企能員の抹殺に加担。
それを怒った主君の源頼家から、今度は北条を殺すように命令され、板挟みになって苦しみ抜いた末、自害してしまうのです。
史実の仁田忠常は、騙し討ちで殺害されたとする記録が残されています。
ゆえにドラマで自害に変更されていたのは意図的だったのでしょう。普段から真っ直ぐなキャラクターで知られるティモンディ高岸さんが、同役に起用された理由も合点がゆきますね。
では、そもそも仁義とは何でしょう?
『仁義なき戦い』の英語版タイトルは’Battles Without Honor and Humanity”であり、
「名誉」
「人間性」
と訳されています。
この言葉をご覧になって皆さんはどう思われますか?
胸を張って「私は名誉のために生きている!」とか「私の人間性は素晴らしい!」なんて事は言わないにせよ、人の尊厳を意味するプラスの感情を抱きませんか。
今度は次の言葉をご覧ください。
「嘘」
「盗み」
こちらは即座に「ダメだろ」という感覚になるでしょう。
大多数の方が、当たり前の感覚として捉えていると思いますが、これとてそもそもは「教育と思想」あってのものです。
内戦状態に陥ってる国や紛争地帯では、子供のうちにさらってきて兵士に育てると「敵を殺すのに躊躇がなくてよい」なんて話もあるほどで、いかに教育が重要か、ご理解いただけるでしょう。
坂東武者にはこうした教養が決定的に欠けていたのです。
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では仁義について、鎌倉武士にからめて、もう少し掘り下げたいと思います。
「仁義」とは何か?
仁義とは――儒教道徳にある「五常」のこと。
仁・義・礼・智・信のうち最初の二つであり、京都出身の文士・大江広元や、僧侶・阿野全成に、五徳について聞けば即座に答えてくれるであろう、インテリ層では必須の教養です。
梶原景時が知っていても不思議ではありませね。
しかし、坂東武者は違います。
彼らの中には、高齢になってから字を学び始める者もいるほどですから、漢籍をスラスラ読むなんて夢のまた夢。
『鎌倉殿の13人』前半の坂東武者に「五徳」とは何か?と説明しても、口ごもるか、キョトンとしているか、そんな反応でおかしくはありません。
儒教の経典は、貴族や僧侶が教養として身につけるか、仏典を学ぶ延長で読むものでした。
では、武士たちはどの時代に“儒教”を身につけたのか?
お次は2020年大河ドラマ『麒麟がくる』を参考にして考えてみましょう。
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