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今回の主人公・陶晴賢さんに殺されてしまう大内義隆さん/wikipediaより引用

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その日、歴史が動いた 毛利家

オトコの嫉妬が陶晴賢を下克上に駆り立てた!? 名門・大内家、滅びの道を歩む

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「ぽっと出の若造に、先祖代々の土地も権力もかっさらわれる」なんて話、ぱっと聞いただけだと「アホなの?バカなの?」って思いますよね。

しかし、これに当てはまっちゃう人がたくさんいるのが戦国時代。
信長だって、桶狭間で劇勝しなければあそこまでのことはできなかったでしょう。

そんなドンデン返しのきっかけになった日の話です。中国・九州7か国の大大名だった大内氏が滅びるきっかけが、毛利元就が躍進していく転換期になりました。

一体なにが起きたのでしょう?

 

オラこんな村いやだ~殿様さ、殺すだ~

天文二十年(1551年)のあす8月27日、中国地方で大寧寺の変(だいねいじのへん)という反乱が起きました。

簡単に言うと、「オラこんな殿様イヤだ!オラがこの家をまともに戻すんだあああああ!」とキレた陶晴賢(すえはるかた)(当時の名前は隆房)という家臣が、主君の大内義隆を攻め滅ぼしてしまった事件です。

しかし、晴賢は明智光秀のように自分が権力を握ろうとはしませんでした。
なぜかというと、殿様にキレたのであって大内家という「家」に逆らう意志はなかったからです。
事実、彼はその後九州の大友氏から一時期養子に来ていた義長という人を新しく当主につけています。

ではどうして晴賢はキレてしまったのでしょうか?
主な理由は二つあったといわれています。

一つは、主君義隆の公家趣味。
大内氏はもちろん武士の家柄だったわけですが、代々貴族文化を好む家柄でした。
その中でも義隆はとくに公家びいきがすごかったといわれています。

和歌を詠んだり連歌(五七五と七七を交互に違う人が詠んで続けていく形式の和歌)を催したりと、まるで平安貴族のような趣味だったそうです。
たまに詠むくらいなら「ウチの殿様は風流人だぞ!すごいだろ~」ということにもなるのですが、義隆は度を越してしまっていたので問題になりました。

特にライバルの出雲(島根県)の尼子氏との戦で大敗した後は変な意味で逆ギレしていまい、「これからは風流に生きるぞよ」とまったく政治や軍事をやらなくなってしまったとさえいわれています。

これでは領主としても武士としても失格です。
現代で言えば、トップシェアを奪われたメーカーの社長が「ワシこれからゴルフに生きるから!」と出社しなくなるようなものでしょうか。
そりゃ「お帰りくださいご主人様」とも言いたくなります。

特に晴賢は隆房のお父さんの代から武勇で優れた家でしたので、見ていられなかったのでしょう。(ちなみにこの変で京都から遊びに来ていた公家が全員惨殺されています。こわー)

 

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アーッ!な関係をこじらせて

もう一つは、これまた戦国時代によくあるアノ話。

義隆と晴賢は若い頃衆道(知りたい人はググってね!)関係にあったため、次第に相良武任(さがらたけとう)という家臣が寵愛されていくことが晴賢にとっては耐えがたかった、というものです。
衆道は単なるごにょごにょだけでなく、主君と家臣の絆が強まり、出世のきっかけになるものでもありました。
忠誠と愛情の入り混じった複雑な関係だったのでしょうね。

国史大辞典では、晴賢は幼い時は美少年でしたが、文化的素養はなかったと書かれています。美貌だけで通った若い時期が過ぎて、教養が求められる大人になってからは……。

うーん、アイドルも大変です。そういえば、あまちゃんのお母さん春子演じる小泉今日子さんは新聞で書評をしたりと、ただの美貌ではなく文化人としてのチェンジを成功させていますが、能年さんはどうなるでしょうか。

と、余計なあまちゃん情報から話を戻しまして

恋のライバル武任は文官肌の人で、実際に能力もあったのですが、晴賢にとっては目の上のたんこぶ。

「殿がヤワな思考になってしまったのは、アイツがたぶらかしたからに違いない。
現に、殿はアイツに政務を任せっきりじゃないか!
アイツが殿を言いくるめて、自分のやりたいようにやってるんだ!おのれええええええええ!!アーッ!」

……というように、嫉妬と忠誠と猜疑心を爆発させてしまったんじゃないか、という話です。

先日白子屋お熊事件をご紹介しましたが、痴情のもつれが周りを巻き込んでとんでもない結末になるのは、男女間に限らないんですねえ。

ちなみに、衆道がきっかけで滅びた家は東北にもあります。

その人も名前が義隆さんです。
偶然のはずですが、何か因果を感じずにはいられません。

 

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かくして毛利元就が中国地方の覇者に成り上がる

さて、新しく当主を決めたものの、その後の大内氏は歴史から消えていってしまいます。

そりゃ、理由があったとはいえ主君を殺した家臣がそのまま家の中にいるのですから、周りからは評判悪いですよね。
大内氏に従っていた周辺の領主達も「もうアンタの家はイヤでーす」とばかりに次々と離反していってしまいます。

替わりに出てきたのが、かの毛利元就。

元就が表舞台に出てくるきっかけとなった「厳島の戦い」は、大寧寺の変で弱体化した大内氏と毛利氏の戦いだったのです。晴賢は35歳の若さで戦死
皮肉なことに、晴賢は主家を再興するどころか元就の前座になってしまったのでした。

「ヤキモチでことを起こしてはいけない」という教訓……になりますかねえ。

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