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その日、歴史が動いた

12月14日は赤穂浪士討ち入り記念日!でも忠臣蔵がウケたのは昔の話?【その日歴史が動いた】

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12月の歴史的な出来事といえば、やはり忠臣蔵の元ネタである元禄赤穂事件。
一昔前まではこの時期毎年ドラマなりドキュメンタリーで見かけていましたが、最近はたいした頻度でもないようで。
というのも、事件や忠臣蔵に対する世論が大きく変わってきたから。
もっと正確に言えば、当時と一昔前、そして現在では一般庶民のうち事の経緯を知っている人の割合が変わったのでしょう。
忠臣蔵はお芝居なので脚色がスゴいのは当然といえば当然なのですが、前後事情も現代人からすると「ゑ?」とツッコみたくなる点が多すぎますからね。

(実際、200億円の制作費で作られたのにヒットしていないと噂のRONIN47とか)

というわけで、今回は元禄十二年(1702年)12月14日に起きた、元禄赤穂事件=通称赤穂浪士の討ち入りについて重箱の隅をつついていきたいと思います。
特に興味がない人だと「キラってくそじじいを成敗しようとした正義の大名・浅野ナントカが理不尽な切腹にあったので、家臣が仇を取りにいった話」くらいしか覚えていないのではないでしょうか。
そもそも、このあらすじがお芝居の影響を受けすぎていますので、史実的な面からツッコんでいきましょう。

 吉良義央&浅野長矩のガチけんか

まずは人物紹介から。
キラこと吉良上野介義央(こうづけのすけよしひさ)。
この人は幕府と朝廷の儀式作法を教える高家(こうけ)というお家柄の人です。
実は今川氏真の玄孫(ひまごの次の代)にあたります。
意識してネタを選んだわけではなかったんですが、偶然にも今週は今川氏ウィークになりましたね。

もう一人は、浅野内匠頭長矩(たくみのかみながのり)。
現在も赤穂の塩で有名な赤穂藩(現・兵庫県赤穂市)の大名です。
領地や官位からすればさほどエラい大名ではありませんでしたが、塩田の開発を成功させるなど、領国経営もうまくできていてそこそこ人気のあるお殿様でした。

赤穂浪士の四十七名についてはいちいち名を挙げると夜が明けてしまいますし、本題はそこではないので割愛します。
内訳だけざっくりお話しますと、下は10代から上は70代。
生粋の武士から歌舞伎役者のような美青年、長矩とアーッ!な関係だった人までいろいろいました。

殿中でござる

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なんで斬りつけたのかナゾ

で、どうして浅野が吉良に切りつけたかというと、実は理由がはっきりわかっていません。(◇伊達政宗が関係している説も)
吉良が浅野に嫌がらせをしたとか、浅野がワイロを送ってこなかったので教えるべき作法をきちんと教えてくれなかったからだとかいろいろ言われていますが、これはお芝居上の脚色や当時の「お・も・て・な・し」ならぬ「お・つ・き・あ・い」を考えてみると当たり前という面もあるのです。
吉良家は身分や仕事は保障されているものの、給料は少なく余裕はありませんでした。
しかし仕事上衣服や道具などにお金がかかるので、公私両面の支えとして、あっちこっちの大名からの礼金・贈り物は欠かせなかったのです。
贈るほうも粗相のないよう、きちんと作法を教えてもらいたいですからそれなりに奮発もします。
これがワイロのように見えるだけで、実際には「おぬしも悪よのう」「苦しゅうない、近う寄れ」「黄金色のまんじゅうは美味であったぞ」というようなことはさほどなかっただろうと言われています。

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パワハラはどっちか?!

ではどうして刃傷沙汰になったのでしょうか。
これまたはっきりしていないのですが、浅野のほうに問題があったという説があります。
彼はもともと短気な性格をしており、癇癪を爆発させることも少なくなかったという記録が残っているからです。
しかも仕事の上ではクソがつくほど真面目なので、ちょっとでも家臣や侍女のミスがあると折檻することもあったとか。パワハラサイテー。

さらに、そうしたイライラで胸が苦しくなる持病を抱えていて、気分を落ち着かせるための薬を飲んでいたそうです。
精神疾患の一つ・統合失調症ではないか?と言われていますが、流石に現代医学でも数百年前の人間の精神状態までははっきりわかりませんので、あくまで一説ではありますけども。

現代なら筋違い、つっこみ満載の仇討ち

そして浪士たちの討ち入りについては、ズバリ私怨といってもいいほど。
なぜなら、浅野の切腹は幕府がきちんと裁定して決めたものだったからです。
罪状は、江戸城内で抜刀したことと殺人未遂。
お芝居だと「松の廊下」というところだけがクローズアップされているのでわかりづらいかもしれませんが、アレって将軍がいる江戸城内でのシーンなんです。
将軍の家の中で刀を抜いたこともけしからんし、無抵抗の相手に切りつけるなど言語道断。
しかもこの日は朝廷からの使者に将軍自ら返事を出すというとてもとてもと て も 大事な日でした。
そんな日にご法度をやらかした輩に対し、当時の将軍・綱吉は当然激怒。
「武士の風上にも置けん!」と即日切腹を申し付けたというわけです。

忠臣蔵(1958)Wikimediacommonsより

忠臣蔵(1958)Wikimediacommonsより

これに対し、吉良はお咎めナシでした。
一方的な被害者だった上、江戸城内であることを鑑みて応戦しなかったからです。
「殿中でござるぞ!」は現代人だとピンときませんが、今の司法だって殺人未遂事件の被害者に責任を問うようなことは普通しませんよね。
ですから、この決定は司法的に間違ってはいませんでした。
ちなみに重臣たちも綱吉へ報告が行くのと同時進行で会議をしていますので、決して綱吉個人のえこひいきではありません。

が、このいきさつを詳しく知らなかったのか、それともわかっていて逆恨みしたのか、赤穂の藩士たちは討ち入りを決めてしまいました。
多分この二つが半々くらいの割合でしょうね。
討ち入りメンバーの中には当時江戸にいて、浅野切腹の報を聞くなり赤穂へとんぼ帰りした人もいますから。
「何だか良くわからんけど殿が切腹処分になった。詳しいこと知らないけど、武家は喧嘩両成敗のはずなのにおかしくね?なんで吉良は切腹しないの?」くらいの概念の人もいたでしょう。
刃傷沙汰から討ち入りまでは約一年間が開いていますので、その間に事情を聞き知ったとしても納得できなかった可能性もあります。

47人で株式会社ニートを作るという選択はなかったのか

そして城主の非行により、浅野家そのものが取り潰されて皆浪士になってしまうわけです。
四十七士のリーダー・大石内蔵助は「せめて弟の長広様に跡を継がせていただけませんか」と幕府と交渉しましたが、ブチキレた綱吉は聞き入れません。
綱吉というとどうしても生類哀れみの令などで「横暴な将軍」というイメージがついていますが、儒教や礼儀を重んじる幕府の主らしい面もありました。
それに、うかつに「弟ならいいよ」なんて言ってしまうと、今度は朝廷から「もうちょっとで勅使の身が危なかったんですけど?武士統率できないんなら、アンタさん将軍にふさわしくないんと違いますか?」とお咎めを受けてしまいます。
この二つの理由で、浅野家そのものを許すわけにはいかなかったのです。
が、こうした幕府の事情は浪士たちには通用せず、討ち入りが決行されたのでした。

8代目松本幸四郎演じる大石内蔵助(WikiMediaより)

8代目松本幸四郎演じる大石内蔵助(WikiMediaCommonsより)

 

特定秘密情報だったからこそ盛り上がる想像力

この事件、年明けには忠臣蔵として舞台になっているのですが、脚本家や役者、観衆のほとんどが詳しい経緯を知らなかったでしょう。
「お侍は偉い人」という概念しかないような時代ですし、幕府の内情がまるっと外部に伝わることなんてないでしょうから。
途中の創作エピソードにも面白いものが多々ありますが、事情が理解されていないからこそ、単純な勧善懲悪・敵討ちの話として広まり人気を集めたのではないでしょうか。

最近ではこの刃傷沙汰を起こした原因の不明確さ、公の判決に対して逆らったこと、武家屋敷とはいえ無防備に近かった吉良邸を大勢で夜中に襲ったことなどが広く知られています。
「ただのテロじゃね?」「老人一人相手に、何十人もよってたかって寝込み襲ったのかよ」という受け取り方をする人も多いようです。
昔に比べてテレビなどで取り上げる頻度が少なくなっているのは、こうした世論の流れも多少影響しているのでしょうね。
三蔵法師を女性にするのと同じく、画面上「47人vs寝間着の老人」が見栄えしないからかもしれませんが。

もうちょっと浪士や詳しい逸話を知りたい方には、この本をオススメします。
・爆笑問題の忠臣蔵

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爆笑問題のお二人の会話形式なので難しい文章でもないですし、いつもの?ギャグや時事ネタも含まれているので、「忠臣蔵はよくわからん」という人も楽しく読めますよ。
長月 七紀・記





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