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その日、歴史が動いた 徳川家 伊達家

昭和まで許されなかった家康六男・松平忠輝の不憫な人生は伊達政宗のせい?

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生まれた時から、いらない子 松平忠輝

英雄が必ずしも完璧な人間でないことは皆さんご存知の通り。
戦に強くてもダメ親父だったり、かかあ天下だったりと戦国武将の家庭事情もなかなか複雑なものがあります。
それでもお家が生きるか死ぬかの問題がかかっているならまだ納得できるのですが、たまに「なんでそれでケンカになるのよ??」とツッコミたくなる親子もいたりして。
今回の主役さんは、おそらくその中でも一番割を食ってしまった人です。

天正二十年(1592年)の1月4日、徳川家康の6男・松平忠輝が誕生しました。

家康の息子なのに苗字が違うあたりでもうなんとなく見当がつくかもしれませんが、この人は父親に理不尽な嫌われ方をされ続けています。
その理由が「生母の身分が低いから」とか「顔が醜かったから」など、とても人の親がする言い訳とは思えないものばかり。
身分の低い女性がイヤなら手をつけなければいい話ですよねえ。
家康という人は何故か子供の顔に異常なほどこだわりがあったようで、忠輝の異母兄である結城秀康も「顔が魚っぽいからヤダ」というそれこそ子供のワガママのような理由で冷遇し続けています。

 

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秀康と忠輝の命運を分けたのは……?

一説には「秀康も忠輝も双子で生まれたから、不吉だとして家康に嫌われた」とも言われていますがどうだったのやら。

当時双子は「人間は一人ずつ生まれるのが当たり前なのに、犬猫のように何人も生まれるのはおかしい!母親は畜生に違いない!」なんていう科学が発達していない時代ゆえの誤解受けていたため、家康が嫌うのも無理はないという説です。
双子が生まれると片方を殺したり、別の家に押し付k……養子に出すことが多かったようですね。

が、家康が自分の気持ちを書き残しているわけではないので、確たる証拠とはいえません。
一部地域では逆に瑞兆としているところもあるようですし。

秀康の場合は長兄・信康が「まあまあ父上、武将に顔は関係ないんですから」となだめてくれたこと、その信康が早くに死んでしまったことで秀康に別の価値が生まれたため何とかなったのですが、忠輝にはそういうことがありませんでした。

この違いが、父親に嫌われた同士でも秀康と忠輝の命運を分けていくことになります。

 

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弟のあとがまになる屈辱

忠輝がいかに家康から嫌われていたかは、その出世の仕方を見るのが一番わかりやすいでしょう。
普通、家督を継ぐのって長男から歳の順ですよね。なのに、忠輝は弟が養子に入った先の家を継いでいるのです。

その弟が幼くして亡くなったからとされているのですが、順序があべこべですよね。
決まりごとにはうるさい家康がこんなことをしたというだけでも、嫌われっぷりがうかがえます。

その後、少しずつ加増や移封を重ねて出世していきましたが、ずっと年下の御三家初代たち(義直・頼宣・頼房)よりも所領が少ないというまるで小姑のようなイジメを受け続けました。
顔が原因でここまでされるってどういうことなの。

 

政宗の娘と結婚してちょっとはマシになったけど

忠輝の扱いが少しだけマシになったのは、伊達政宗の娘・五郎八姫(いろはひめ)と結婚してからでした。
このお姫様、政宗が「男の名前しか考えてなかったけど、”いろは”って読ませればいいよね!」という機転が利いてるんだかただの屁理屈なのかよくわからん名付け方をされたせいか、とても勝気な人だったようです。
まあ政宗にとっては初めて正室にできた子供だったので、男の子を望むのは当たり前ですししょうがないっちゃしょうがないんですが。
忠輝は武術だけでなく茶道や絵画も趣味としていたためか、この奥さんとはうまくやっていけたそうで、舅の政宗ともいろいろ行動を共にしています。
忠輝の居城・高田城(新潟県)は政宗が総監督して建てたものだったり、大坂夏の陣では実戦経験のない忠輝の相談役に政宗があてられたりと、切っても切れない関係になりました。

高田城/wikipediaより引用

が、この関係がうまくいっていたのはここまで。
大坂冬の陣前後から忠輝には”乱行”の噂が立ち始めていました。
「家臣をむやみやたらと手打ちにした」とか「生きたまま人の腹を裂かせた」とかお決まりのアレです。
甥っ子にあたる松平忠直(秀康の息子)とほぼ同じ内容ってだけでも胡散臭さ全開ですね。もうちょっとバリエーションがあれば信憑性が増したでしょうに。
この噂を信じたのか、それともこれを好機と見たのか、大御所・家康と将軍・秀忠は露骨に忠輝を冷遇し始めます。
運の悪いことに、忠輝の家老だった大久保長安という人物がポカをやらかしてしまっていたため、主人である忠輝や舅の政宗両方が疑われていたのもこの時期でした。

そして忠輝本人は冬の陣で江戸城の留守番を押し付けられ、夏の陣では参加したものの連絡の不備が原因で秀忠の家臣と押し問答になり、癇癪を起こした忠輝はその家臣を手打ちにしてしまいます。
そのためか肝心の合戦にも出遅れてしまって戦うことができず、父からも兄からもお咎めを食らうことになりました。
言い逃れの達人・政宗も、このコンボには良い知恵が浮かばなかったようです。後述の理由もデカいかもしれませんが。

 

父ちゃんの死に目にも会えず

そういうしているうちに家康がついに危篤に陥ります。
さすがに父の死に目には会いたかったのでしょう、忠輝も後悔し始め、母や家康の側室、はては南光坊天海にまで取り成しを頼みましたがこれも失敗。
結局面会することはできず、忠輝は父の死を伝え聞くだけに終わりました。
これだけ嫌われても会いたいと思う情があるあたり、やっぱり乱行の噂には疑問符をつけざるをえません。

そして兄の徳川秀忠は、忠輝を正式に改易とし流罪に処しました。
送られた先は飛騨高山(現在の岐阜県高山市)や信濃諏訪(長野県諏訪市)など、江戸とも駿府とも行き来しづらい山間で、もうどこから見ても赦免の望みはなくなってしまいます。

これほど厳しい処分になったのは、もしかすると本人より周りの人物のせいかもしれません。
以前、政宗が遣欧使節を送る裏でクーデターを企んでたかもしれないというお話を書きましたが、この裏に忠輝が関わっていたか、もしくは名前だけが関与させられていた可能性があるのです。

この頃江戸にいたリチャード・コックスというイギリス人商人の日記にも「今の将軍を倒して、政宗と忠輝が新しく王様になる計画があるらしい」という記述が出てきています。
政宗の野心は当時でも有名でしたし、家康や秀忠がどこかからこれに近い情報を得ていたとしたら……そりゃ、幕府安寧のためには忠輝をどげんかせんといかんわけですよね。
やっと豊臣家が片付いたのに、この上政宗と一戦やらかすなんて選択肢はなかったでしょうから。
新旧二人の将軍の間で「できるだけ穏便に済ませるためには、忠輝の改易が一番」という結論が出ていたのかもしれません。

 

92歳まで長生き 昭和59年にようやく許される

さて、話を忠輝本人に戻しましょう。
流罪になるといつ死ぬかわからんというのが当時の常識でしたが、忠輝は元の身分が高いですし、預かり先もきちんとしたお城でしたので長生きしました。
亡くなったのはなんと天和三年(1683年)、92歳のときでした。将軍でいうと五代綱吉の時代です。
流されたのが25歳のときですから、人生の約4分の3は流罪生活だったということになります。あれ、家康のベンチウォーマー時代より長くね?

しかも、赦されないまま亡くなったので死後も罪人扱いのままでした。
没後300年経った昭和五十九年(1984年)にやっと現在の徳川宗家から赦免されましたが、そのきっかけは葬られたお寺(諏訪にある貞松院)のご住職が「忠輝公が”赦免してもらえないか”と夢に出てきた」からだったそうで。
そりゃ大部分が本人の知らないところで着せられた罪で、こんなに長く流罪になってたら化けて出たくもなろうというものです。
それでも祟らなかったあたり、忠輝も本当は優しさを持った人だったんじゃないでしょうか。
まとめると「家康の面食いはなんだかなぁ」ってことですかね。

徳川家康はもっと評価されていい! 75年の生涯に見る熱き心と老練な政治力

諏訪にある墓所(Wikipediaより)

長月 七紀・記

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参考:今日は何の日?徒然日記 松平忠輝/wikipedia

 





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