1789年(日本では江戸時代の寛政元年)7月14日、王制にプッツンした民衆がバスティーユ監獄を襲撃し、フランス革命が始まった――。
というのが教科書および一般的な認識ですよね。
しかし、実はこの前に別の場所を襲っていたのをご存知でしょうか?
彼らが真っ先に向かったのは廃兵院(オテル・デ・ザンヴァリッド)でした。
廃兵院なら簡単に武器とか奪えんじゃね?
廃兵院は通称アンヴァリッドとも言い、今も昔も“傷病兵”が暮らす施設のことです。
軍の関連施設ですから、当然、武器弾薬の類がある。
最初にここを襲ったということは、当然ながら最初に武器が欲しいからであって、襲った方も「傷病兵相手なら丸腰でも勝つる」とでも思ったんですかね。ひでえ。
実際、このとき3万丁もの銃を奪ったといいますから、数の暴力以外の何物でもありません。
そして武器を手に入れた民衆はいよいよ本命・バスティーユを襲うのです。
なぜバスティーユ監獄だったのか?
ここには王制下で「政治犯」とされた人たちが収容されていたからです。
つまり、王制に反対する民衆にとっては「友軍の救出」みたいなものですね。
ちなみにここでも弾薬の略奪をしています。どんだけ~!
最終的に革命が成功したから【民衆=正義】のように扱われているだけで、この後の展開を含めるとエゲツないんですよね。
無差別な様はまさにギロチンパーティ
フランス革命といえばギロチンパーティーのようなものですね。
処刑された人は旧特権階級(聖職者・貴族)と同じくらい職人や商人などの民衆が多かったそうですし。
それでもこの革命はスバラシイということで、現在フランス国家になっている「ラ・マルセイエーズ」が作られるなど文化的な影響も残しています。
歌だけでなく、建国記念の日にも等しいということで”革命記念日”と呼ばれていて、パリその他で盛大なお祭りになっているようですね。
各旅行会社でもツアーが組まれていますし、ここを狙ってフランス旅行をする人も多いとか。
ルーヴル美術館やオペラ・バスティーユ(劇場)が無料になったりしますし。
先日「アメリカ独立記念日は商業イベント化している」というお話をしましたが、フランスの革命記念日はもう少し国家的なお祝いの意味が残っています。
軍事パレードだったり、消防士がダンスを披露するなど公務員が関わっているのですから、立派な国家イベントですよね。
なんで消防士なのかというと、あちらでは「カッコイイ職業」として認識されているからなのだそうで。
江戸時代の日本で火消しがヒーローだったのと同じ感覚なんでしょうか。
筋肉美を披露するため……ではないと思いますが、消防士のカレンダーとかポスターというのは欧米圏各国で作られているようですので、フランスだけに限った話でもないようです。
また、ロードレースで有名なツール・ド・フランスがこの日を挟んで開催されているので、フランス出身の選手が特に気合が入れる日でもあるのだとか。
その割にフランスの選手はここ30年ぐらい優勝してないとか言っちゃいけません。
ナポレオンの棺とフランス革命発祥の地
で、これのどこが泣ける話なのかというと、皆さんご存知のナポレオンに関することがきれいさっぱり忘れられているのです。
フランス革命が始まったともいえる場所「廃兵院」にはナポレオンの棺が安置されています。
しかし、おそらくこの日それを理由に訪れる人はごく少数派でしょう。
さらに、ナポレオンが一度脱獄して再び即位・ボロ負けした後、エリゼ宮殿というところで「もう悪さしません」という書類を書かされているのですが、現在の7月14日にはここでそれとは全く関係ないパーティーが開かれるのです。
たぶんスピーチや雑談のネタくらいにはなってるでしょうけども。
これは涙なしには語れません。よよよ。
戦争含めた革命後のアレコレを(一応)収束させた人なんですから、もう少し彼に関する式典か何かしてもいい気がするんですけどね。
最終的に本人も血筋も残れなかったからダメなんですかね。
調べきれてないだけだったらすみません。
長月七紀・記
【参考】
バスティーユ襲撃/wikipedia
パリ祭/wikipedia