北条泰時の母が八重というのは史実的にありなのか

和田合戦の北条泰時(歌川国芳作)/国立国会図書館蔵

源平・鎌倉・室町

北条泰時の母はいったい誰なのか|八重と義時の結婚は史実的にあり?

2024/07/14

1242年7月14日(仁治3年6月15日)は北条泰時の命日です。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では坂口健太郎さんが演じられ、父の北条義時とは異なる正義感に溢れた人物として描かれていました。

たしかに父の義時も若い頃は純朴な青年でした。

しかしそれが源頼朝や鎌倉幕府の毒気に当てられ、どんどん変色していった。

北条義時イメージ(絵・小久ヒロ)

泰時の正義感は、そんな父のようにドス黒く変色するようなものではなく、もしかしたら母の血の影響もあるのか?と感じさせるものでしたが、そうなると一つ問題があります。

北条義時の嫡男・北条泰時の母は誰なのか?

ドラマの中で北条義時の最初の妻となったのは、義時の叔母にあたる八重でした。

同時に劇中ではこの八重が、泰時の母という設定でした。

しかしこれが、鎌倉時代の歴史ファンには、ちょっとした疑問でもあります。

史実において泰時の母は不明なのです。

そうなると

八重と義時がくっつくのは史実的にアリなの?

というモヤモヤが湧いてくる。

史実の北条義時には、正室の比奈(姫の前)がいます。

比企一族の娘であり、劇中では堀田真由さんが熱演されていました。

その前に八重という妻がいたということはどうなのか?

これはなにも脚本家・三谷氏による大胆な描き方という話でもなく、研究者の中にも「八重の可能性がないわけじゃない」とする方もいます。

そこで本記事では、八重と義時の関係、そして泰時の母は誰なのか問題――この二つのテーマを考察してみたいと思います。

 


「泰時の母は阿波局」説は怪しい

北条義時の息子であり、鎌倉幕府の第3代執権となる北条泰時。

北条泰時/wikipediaより引用

この泰時が生まれた寿永2年(1183年)は【倶利伽羅峠の戦い】があった年であり、まさに源平合戦の真っ最中でした。

父の義時は二十歳を超えたばかりの青年であり、義兄の源頼朝や姉である北条政子らと奮闘を重ねていた頃です。

義時は鎌倉に居を構え、そこで金剛という男児が生まれました。

平家は健在で坂東武者にとってはまだまだ忙しい時期であり、かつ義時の年齢や地位を考えても、側室に産ませたとは考えにくい。

生まれた月日まではハッキリしておらず、当時の泰時はそこまで重要な存在とみなされていなかったのでしょう。

では、泰時の母は誰なのか?

「阿波局」とする系図がありますが、阿波局は義時の妹、つまりは泰時の叔母にあたります。

『鎌倉殿の13人』では宮澤エマさんが演じ、実衣という名前がつけられていた女性ですね。

さすがに彼女が母であるとは考えにくく、どこかで誤認されたか、あるいは同名の別人がいたか?

考えられる一つの可能性は、

・阿波局が「育ての母」

ということでしょう。

泰時の生母が何らかの理由で彼を育てることができず、阿波局が我が子のように育てたとすれば、そうした誤認は考えられるかもしれません。

他の可能性としては、

・阿波局が複数いた

ということも有り得るかもしれません。

後白河法皇の寵姫である「丹後局」もそうですが、当時は似た名前の人物が多く、混同されることも少なくありません。

中世史の研究者である坂井孝一氏は、こんな推論を展開しています。

・初代として、義時の妹(二代)ではない女性が北条周辺にいた

・初代死後に二代目がいた

かように様々な可能性が考えられますが、結局のところ、答えは誰にもわかりません。

ゆえにドラマでは自由に創作しても問題ない部分でした。

 


『草燃える』の泰時母は「茜」だった

北条泰時の母が大河に出るのは『鎌倉殿の13人』で二度目です。

一度目は昭和54年(1979年)に放送された『草燃える』で「茜」という女性でした。

演じたのは松坂慶子さん(→link)。

三谷幸喜さんは前作の「茜」像を上書きする気合で挑んだとのことですが、では約40年前の「茜」は、どんな女性として描かれていたのか?

出自:大庭景親の娘で、平家の建礼門院徳子の女房

経歴:里帰りの際に義時と出会うが、父が斬首されたため心を閉ざす。頼朝の夜這いに遭い、父親が不明の子を妊娠。義時のもとを去る。義時が見ている中、壇ノ浦で死亡

その後:瓜二つ、同一キャストの白拍子が後鳥羽院の寵姫になる。義時はそんな彼女から目が離せない

昔の大河はかなり自由だった――そんな設定ですね。

同時に、このころヒロインに求められた属性や傾向も見えてきます。

・ロミオとジュリエット

源氏のロミオと平家のジュリエットといえる関係性であり、古典的だからこそ盛り上がりました。

もうひとつ特徴があります。

・性的同意の無視が許容される

義弟であり、信頼できる家臣の妻に夜這いをかける源頼朝とは、一体どういうことか。

今ならば考えられない発想でしょう。

『鎌倉殿の13人』では、確かに源頼朝も下劣な性的逸脱をしていましたが、こちらの場合は相手の同意は取っています。

そんな下劣な設定をしてまで、なぜ夜這いをさせたか?

・源氏断絶を避けるため?

泰時が頼朝の子であれば、源氏の血筋はそっと続いていたとも見なせます。

源氏将軍の断絶というショックを回避する効果はあったのかもしれません。

かつては源頼朝、近年では足利直義では?とされる神護寺三像の一つ(肖像画)/wikipediaより引用

・「冷蔵庫の女」

「冷蔵庫の女」とは、アメコミ『グリーン・ランタン』において、主人公の恋人が殺されて冷蔵庫の中に入れられていたことが由来とされる概念です。

男の目につく形でヒロインが死ぬ事により、奮起させるという効果がある。

近年の大河ドラマですと、2014年『軍師官兵衛』が典型的です。

史実では官兵衛の妹が婚礼で殺されていますが、作中では淡い初恋の相手がそうなっていました。

しかし、こうした展開は「なぜ男を奮起させるために女を殺さねばならないのか?」と現在では問題視されています。

表現は自由と言えど、社会の成熟に比例して劇中の展開もアップデートされるものです。

かように1979年に登場した「茜」は作品当時の女性感が反映されていて、『鎌倉殿の13人』における泰時の母も自らの意思を持って行動する、2022年の作品らしいヒロイン像となりました。

泰時は、義時が二十歳の時の子供です。

となると八重――新垣結衣さんが演じる彼女が母でおかしくありません。

では、史実の八重が、泰時の母である可能性はあるのか?

 

八重なんて嫌……だとすれば?

史実の八重が、泰時の母である可能性は?

『鎌倉殿の13人』の考証をとつめる坂井孝一氏の著作『鎌倉殿と執権北条氏』(→amazon)に、その答えのヒントが記されており、結論はこうです。

確たる証拠はないけれども、ありえないとも言い切れない――。

蓋然性の高い説であり、よろしければ書籍(→amazon)をご確認いただけたらと思います。

あとは、時代考証担当者が提示した説を脚本で取り上げるかどうかであり、実際、ドラマでは八重が妻となって金剛(北条泰時)を産みました。

それでも視聴者が八重の泰時母説に拒否感を抱くとすれば、それはなぜなのか。

以下に理由を考えてみました。

・八重と義時は、叔母と甥である

現代人からすれば近親であり、タブーであるという認識になります。

しかし当時はこの程度の血縁での結婚が当然であり、歴史的にはタブーとはなり得ません。

・八重には入水伝説がある

伊豆の国市には八重の悲恋伝説の史跡があります。

案内板に入水したと書かれているのに、そうではなくて生きていて誰かと再婚するなんて……そう思ってしまう気持ちも湧いてくるかもしれません。

ただし、八重が再婚する伝説も昔からあります。

八重姫
鎌倉殿の13人で頼朝と義時の妻だった八重はどんな女性?そもそも実在する?

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最終的に八重は川で命を落としてしまいますが、亡き息子・千鶴丸の影を追い……そんな非常に悲しい展開でした。

・再婚する八重は「貞女」とはいえない

入水伝説が根付いた心理としては、儒教由来の「貞女は二夫に見えず」という道徳観もあったのでしょう。

しかし八重の生きていた時代の坂東は、そうした規範が薄かったと考えた方が合理的です。

・あんなに頼朝への愛を見せておいて義時と結婚て???

思えば劇中の義時は、八重と頼朝のために苦労をしています。

デートのセッティングをして頼朝が来なかったため、八重から木の実をぶつけられました。

八重の義時への態度はわがままさも出ており、批判もされました。

そういうことを踏まえると、視聴者にはモヤモヤが生じるでしょう。

・アッサリ殺されてしまった前夫の江間次郎が気の毒で……

『鎌倉殿の13人』では八重の再婚説を採用し、家人であった江間次郎と再婚しました。

この次郎は妻への愛が一方通行であり、視聴者も彼に同情しています。

◆ガッキー・八重の夫が「可哀想すぎる」 大河「鎌倉殿の13人」妻に激怒→すすり泣きに同情の声(→link

こちらの記事にもありますように、彼の切ない表情を思い出すと、たしかにモヤモヤは募りますね。

・政子は許すのか?

北条政子の気の強さからすると、夫の元嫁である八重が弟の妻となり、自分たちの周囲をうろつくなんて嫌に決まっているでしょう。

しかし逆に考えることもできます。

我が意の通りに動く弟・義時であれば、八重をそこに引き留めておけると考えられる。

北条政子(江戸時代・菊池容斎画)/Wikipediaより引用

・諸々が生々しすぎる

ご近所同士でこんなギスギスした結婚するなんてどうなの?

根本的にそんな違和感も残ります。

「当時はそんなもんでしょ」と言われたって、現代人からすれば生々しすぎてゾッとするかもしれない。

再び坂井孝一氏の論拠に注目したいと思います。

北条義時は、江間の土地を治める「江間小四郎」と呼ばれていた。

江間領主の座に治まるとすれば、前任者である江間次郎は不在でなければならない。

次郎が討死したからこそ、その後に小四郎が治まることができた。

江間の土地には、次郎の妻・八重もついていた。

そういう論拠ですね。

江間小四郎義時こと北条義時/国立国会図書館蔵

坂井氏も確たる証拠はないとしていますが、ドラマの考証担当がこう示しているのであれば、脚本に取り入れることはできます。

ただし、前述の通り「生々しくなる問題」は解決できません。

現代人であれば困惑必至、「土地とセットの妻」という設定が受け入れられなければ、この説を切り捨てて見るしかなさそうです。

 


義時にとって運命の相手だとすれば?

『鎌倉殿の13人』では八重が義時にとって重要な存在。

放送序盤から、要所要所で伏線は描かれてきました。

・義時はずっと八重のことを思っている(側から見てもそう)

義時が八重に淡い思いを抱いていたこと。紫陽花の花を届けていたこと。そんな初恋の定番は語られていました。

のみならず三浦義村が源頼朝と八重の関係を告げたとき「八重さんがかわいそうだ」と心配しています。義村も「そっちかよ!」と思わず返していたほど。

義時は八重そのものを愛している。八重が頼朝に抱く愛情ごと彼女を好きなのです。

・義時は女性のことを大事にできる

大河ドラマに「フェミニスト」を出せるかどうか?

出せません。『八重の桜』の新島襄ならばさておき、江戸時代以前ならば、そもそも定義がない。

では、かつて女性を思いやる人物がいなかったのか?というと、そんなわけがありません。

史実における義時は、姉の政子に深い敬愛を抱き、その判断力を重視していたことは確かです。

劇中でも、義時は女性がぞんざいに扱われることに嫌悪感を見せていました。

頼朝の女性への態度を「馬を乗り換えるようだ」と批判し、亀と関係を持つ頼朝に怒りを感じていた。

「男ってそういうものだから……」とニヤけたりすることなく、常に真面目です。

・義時と八重には共通の仇「善児」がいる

『鎌倉殿の13人』で創作されたキャラクターが「善児」です。

俳優の梶原善さんが演じており、この善児は伊東祐親に命じられるまま、次々に暗殺を手がけていきます。

八重の子である千鶴丸を殺し、義時の兄である北条宗時も殺しました。

義時は千鶴丸殺害後の善児を目撃し、善児は宗時から遺品を盗んでいました。

八重は父の口から、善児が我が子の仇であると聞き出しています。

さらに善児は伊東祐親も殺していて、八重と義時の二人が今後、善児こそ憎き仇であると狙いを定め、復讐を果たす機会が訪れるのではないか?

と思ったら、残念ながらその前に八重は命を落としてしまい、善児は後に弟子のトウから刺されて絶命しています。

そして第9回放送では、義時が八重の命を救うために奮闘する姿が描かれました。

大河であったようでなかった斬新な展開。

従来の大河とは異なり、ミステリー作品も得意とする三谷さんらしい伏線の糸が幾重にも張り巡らせてありました。

 

頼朝と泰時の間には敬愛があった

大河ドラマ『草燃える』では、

泰時の父が頼朝ではないか?

という疑念がつきまといました。

根拠としては、頼朝が泰時に愛情を見せたエピソードが挙げられ、その話を見てみましょう。

泰時がまだ元服前に「金剛」と名乗っていた、十歳の時のこと。

彼は御家人・多賀重行とすれ違いました。

このとき重行が下馬の礼を取らなかったことに、頼朝が怒ります。

「礼儀というのは年齢じゃない。金剛(泰時)はお前とはちがうのだ。こんなことをしてただで済むと思っているのか!」

すると重行は慌てて弁解します。

「いや、俺はそんなことはしてません! 金剛殿(泰時)に聞いてください!」

そこで頼朝が、泰時と従者の奈古谷頼時を呼び出すと、二人は答えました。

泰時「そんなことはなかったです」

頼時「あのとき重行殿は下馬していました」

頼朝は激怒しました。

泰時は「すれ違った事件そのものがない」と言っているのに、従者は「(事件はあったが)下馬していた」と答えた。

話に食い違いがあるため、泰時だけが真相を語ったとみなしたのでしょう。

「お前らな、あとで糾明受けるとわからないで、その場しのぎのことを言ってごまかすなんて、性根も、やり方も、何もかも気に入らんわ!」

激怒して頼朝は、重行の所領を没収。

一方で泰時には「幼いのに優しいね」と、自らの佩剣を贈ったのでした。

これは後世、北条氏顕彰のための捏造とされました。

しかし盛り上がる話ではあります。

他に、建久5年(1194年)泰時の元服では、頼朝が烏帽子親を務めました。

翌年に鶴岡八幡宮で流鏑馬が行われた際には、十六騎の中に泰時が選ばれています。

『流鏑馬絵巻』/wikipediaより引用

後年、頼朝の法華堂に参拝した際、泰時はすすめられても堂上にはのぼりませんでした。

非礼であると断り続けたのです。

泰時は頼朝を深く敬愛していました。

 

理想のヒロインは時代と共に変化

大河ドラマにおける考証担当は重要です。

しかし彼らはあくまで軍師役で、決定権は総大将側(制作)にあり、時代考証としてはグレーゾーンでも、面白くなるあるいは意味がある描写ならば通ります。

このことは、過去の大河で考証担当された方も語っております。

義時の妻として八重は非常に魅力的でした。

現代の視聴者が求めるヒロイン像にも合致します。

・一人の男だけを愛していろ

という要求は、もはや古くて現実的ではありません。

かつての伝説のように頼朝を愛して入水する。そういうヒロイン像とは決別した。

江口のりこさんが演じる頼朝の愛人・亀に至っては「夫もついでに殺してくれ」と頼んでいました。

史実の「亀の前」は既婚者であるかどうかは不明であり、かつ優しい性格と伝えられています。

それを破ってまで

・女性は一人の男性に尽くさなくてもよい

と描いたといえます。

亀の前イメージイラスト
なぜ亀の前は政子に襲撃されたのか?後妻打ちを喰らった頼朝の浮気相手

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八重も同じです。

頼朝の愛に殉じる必要などありません。

・八重は父に逆らった

政子は最初から父の北条時政に反論していました。

しかし八重は、父・伊東祐親に逆らうことはできないと繰り返していたものです。

伊東祐親像

それが千鶴丸を殺した父の所業を知り、もう従わないと言い切りました。父とも思わないと啖呵を切りました。

理不尽な父の支配に逆らう姿も、八重の魅力です。

・八重は強い!

八重の名場面といえば、白い布を巻きつけた矢を放ち、頼朝に挙兵の好機を教えたところでしょう。

彼女の矢があったからこそ、源氏の世が始まるという劇的な演出です。

あの矢を放つまで、八重は知恵をめぐらせ情報を集めました。

当時の弓矢は腕力がなければ放つことは難しい。彼女は智勇兼備です。

男性のみならず、智勇を備えた女性は美しい。見た目のみならず、生き方そのものが美しい。

それが八重ではありませんか。

・影が薄い女は忘れられる

りくに亡き母のことを聞かれた政子と実衣はこう答えました。

優しくて大好きだったのに、思い出せない、忘れてしまう。夫に逆らったことがない、言いなりになってしまう、りくとは正反対の女性だった。

それでも、りくといる時の時政は、なんだか嬉しそうだと政子は語ります。

何気ない会話のようで、本作の女性観を示しているように思えます。

優しくおとなしい良妻賢母は、善人であっても印象残らず忘れられてしまう。

では忘れられないためにはどうすればよいのか?

この会話に参加していたりく(牧の方)、政子、実衣(阿波局)が全員が後世に名を残し、かつ悪女と評されます。

わきまえない、もの言う女は世間では反発されるかもしれない。

それでも自己主張をしてこそ埋没しないと伝えているかのようです。

八重も時に反発を買いかねない個性があり、アンチが増えているという報道もありました。

◆「ガッキー史上、最もめんどくせー女」 鎌倉殿の13人・新垣結衣の「今カノへのマウント」が反響(→link

◆『鎌倉殿の13人』新垣結衣演じる八重にアンチ急増 まさに狙い通りか(→link

しかし、それが何だと言うのでしょう?

反発を恐れて黙っておとなしくわきまえていたところで、忘れられたらそれまでのこと。

堂々と自分を出すからこそ印象を残せる。

2020年代の大河ヒロインとして、八重はそんな姿を見せてくれました。

そして最後は、強さと同時に慈愛の心を視聴者に強烈に残したのです。

泰時の中に、強く優しい八重の面影を重ねてゆく――そんな楽しみ方が『鎌倉殿の13人』にはありました。


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【参考文献】
坂井孝一『鎌倉殿と執権北条氏 義時はいかに朝廷を乗り越えたか』(→amazon
上横手雅敬 『人物叢書 北条泰時』(→amazon
細川重男『頼朝の武士団』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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