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【八重と義時が結ばれるのは史実的にアリだった?】
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頼朝と泰時の間には敬愛があった
大河ドラマ『草燃える』では、
泰時の父が頼朝ではないか?
という疑念がつきまといました。
根拠としては、頼朝が泰時に愛情を見せたエピソードが挙げられ、その話を見てみましょう。
泰時がまだ元服前に「金剛」と名乗っていた、十歳の時のこと。
彼は御家人・多賀重行とすれ違いました。
このとき重行が下馬の礼を取らなかったことに、頼朝が怒ります。
「礼儀というのは年齢じゃない。金剛(泰時)はお前とはちがうのだ。こんなことをしてただで済むと思っているのか!」
すると重行は慌てて弁解します。
「いや、俺はそんなことはしてません! 金剛殿(泰時)に聞いてください!」
そこで頼朝が、泰時と従者の奈古谷頼時を呼び出すと、二人は答えました。
泰時「そんなことはなかったです」
頼時「あのとき重行殿は下馬していました」
頼朝は激怒しました。
泰時は「すれ違った事件そのものがない」と言っているのに、従者は「(事件はあったが)下馬していた」と答えた。
話に食い違いがあるため、泰時だけが真相を語ったとみなしたのでしょう。
「お前らな、あとで糾明受けるとわからないで、その場しのぎのことを言ってごまかすなんて、性根も、やり方も、何もかも気に入らんわ!」
激怒して頼朝は、重行の所領を没収。
一方で泰時には「幼いのに優しいね」と、自らの佩剣を贈ったのでした。
これは後世、北条氏顕彰のための捏造とされました。
しかし盛り上がる話ではあります。
他に、建久5年(1194年)泰時の元服では、頼朝が烏帽子親を務めました。
翌年に鶴岡八幡宮で流鏑馬が行われた際には、十六騎の中に泰時が選ばれています。
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後年、頼朝の法華堂に参拝した際、泰時はすすめられても堂上にはのぼりませんでした。
非礼であると断り続けたのです。
泰時は頼朝を深く敬愛していました。
理想のヒロインは時代と共に変化
大河ドラマにおける考証担当は重要です。
しかし彼らはあくまで軍師役で、決定権は総大将側(制作)にあり、時代考証としてはグレーゾーンでも、面白くなるあるいは意味がある描写ならば通ります。
このことは、過去の大河で考証担当された方も語っております。
義時の妻として八重は非常に魅力的でした。
現代の視聴者が求めるヒロイン像にも合致します。
・一人の男だけを愛していろ
という要求は、もはや古くて現実的ではありません。
かつての伝説のように頼朝を愛して入水する。そういうヒロイン像とは決別した。
江口のりこさんが演じる頼朝の愛人・亀に至っては「夫もついでに殺してくれ」と頼んでいました。
史実の「亀の前」は既婚者であるかどうかは不明であり、かつ優しい性格と伝えられています。
それを破ってまで
・女性は一人の男性に尽くさなくてもよい
と描いたといえます。
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八重も同じです。
頼朝の愛に殉じる必要などありません。
・八重は父に逆らった
政子は最初から父に反論していました。
しかし八重は、父に逆らうことはできないと繰り返していたものです。
それが千鶴丸を殺した父の所業を知り、もう従わないと言い切りました。父とも思わないと啖呵を切りました。
理不尽な父の支配に逆らう姿も、八重の魅力です。
・八重は強い!
八重の名場面といえば、白い布を巻きつけた矢を放ち、頼朝に挙兵の好機を教えたところでしょう。
彼女の矢があったからこそ、源氏の世が始まるという劇的な演出です。
あの矢を放つまで、八重は知恵をめぐらせ情報を集めました。
当時の弓矢は腕力がなければ放つことは難しい。彼女は智勇兼備です。
男性のみならず、智勇を備えた女性は美しい。見た目のみならず、生き方そのものが美しい。
それが八重ではありませんか。
・影が薄い女は忘れられる
りくに亡き母のことを聞かれた政子と実衣はこう答えました。
優しくて大好きだったのに、思い出せない、忘れてしまう。夫に逆らったことがない、言いなりになってしまう、りくとは正反対の女性だった。
それでも、りくといる時の時政は、なんだか嬉しそうだと政子は語ります。
何気ない会話のようで、本作の女性観を示しているように思えます。
優しくおとなしい良妻賢母は、善人であっても印象残らず忘れられてしまう。
では忘れられないためにはどうすればよいのか?
この会話に参加していたりく(牧の方)、政子、実衣(阿波局)が全員が後世に名を残し、かつ悪女と評されます。
わきまえない、もの言う女は世間では反発されるかもしれない。
それでも自己主張をしてこそ埋没しないと伝えているかのようです。
八重も時に反発を買いかねない個性があり、アンチが増えているという報道もありました。
しかし、それが何だと言うのでしょう?
反発を恐れて黙っておとなしくわきまえていたところで、忘れられたらそれまでのこと。
堂々と自分を出すからこそ印象を残せる。
2020年代の大河ヒロインとして、八重はそんな姿を見せてくれました。
そして最後は、強さと同時に慈愛の心を視聴者に強烈に残したのです。
泰時の中に、強く優しい八重の面影を重ねてゆく――そんな楽しみ方が『鎌倉殿の13人』にはありました。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
坂井孝一『鎌倉殿と執権北条氏 義時はいかに朝廷を乗り越えたか』(→amazon)
上横手雅敬 『人物叢書 北条泰時』(→amazon)
細川重男『頼朝の武士団』(→amazon)
他