北条泰時の母が八重というのは史実的にありなのか

和田合戦の北条泰時(歌川国芳作)/国立国会図書館蔵

源平・鎌倉・室町

八重と北条義時の結婚は史実的に“あり”なのか 北条泰時の母はいったい誰なのか

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八重と義時が結ばれるのは史実的にアリだった?
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八重なんて嫌……だとすれば?

史実の八重が、泰時の母である可能性は?

『鎌倉殿の13人』の考証をとつめる坂井孝一氏の著作『鎌倉殿と執権北条氏』(→amazon)に、その答えのヒントが記されており、結論はこうです。

確たる証拠はないけれども、ありえないとも言い切れない――。

蓋然性の高い説であり、よろしければ書籍(→amazon)をご確認いただけたらと思います。

あとは、時代考証担当者が提示した説を脚本で取り上げるかどうかであり、実際、八重が妻となって金剛(北条泰時)を産みました。

それでも視聴者が八重の泰時母説に拒否感を抱くとすれば、それはなぜなのか。理由を考えてみました。

・八重と義時は、叔母と甥である

現代人からすれば近親であり、タブーであるという認識になります。

しかし当時はこの程度の血縁での結婚が当然であり、歴史的にはタブーとはなり得ません。

・八重には入水伝説がある

伊豆の国市には八重の悲恋伝説の史跡があります。

案内板に入水したと書かれているのに、そうではなくて生きていて誰かと再婚するなんて……そう思ってしまう気持ちも湧いてくるかもしれません。

ただし、八重が再婚する伝説も昔からあります。

八重姫
『鎌倉殿の13人』で頼朝と義時の妻だった八重~謎多き存在ゆえ物語では注目される

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最終的に八重は川で命を落としてしまいますが、亡き息子・千鶴丸の影を追い……そんな非常に悲しい展開でした。

・再婚する八重は「貞女」とはいえない

入水伝説が根付いた心理としては、儒教由来の「貞女は二夫に見えず」という道徳観もあったのでしょう。

しかし八重の生きていた時代の坂東は、そうした規範が薄かったと考えた方が合理的です。

・あんなに頼朝への愛を見せておいて義時と結婚て???

思えば劇中の義時は、八重と頼朝のために苦労をしています。

デートのセッティングをして頼朝が来なかったため、八重から木の実をぶつけられました。

八重の義時への態度はわがままさも出ており、批判もされました。

そういうことを踏まえると、視聴者にはモヤモヤが生じるでしょう。

・アッサリ殺されてしまった前夫の江間次郎が気の毒で……

『鎌倉殿の13人』では八重の再婚説を採用し、家人であった江間次郎と再婚しました。

この次郎は妻への愛が一方通行であり、視聴者も彼に同情しています。

◆ガッキー・八重の夫が「可哀想すぎる」 大河「鎌倉殿の13人」妻に激怒→すすり泣きに同情の声(→link

こちらの記事にもありますように、彼の切ない表情を思い出すと、たしかにモヤモヤは募りますね。

・政子は許すのか?

北条政子の気の強さからすると、夫の元嫁である八重が弟の妻となり、自分たちの周囲をうろつくなんて嫌に決まっているでしょう。

しかし逆に考えることもできます。

我が意の通りに動く弟・義時であれば、八重をそこに引き留めておけると考えられる。

・諸々が生々しすぎる

ご近所同士でこんなギスギスした結婚するなんてどうなの?

根本的にそんな違和感も残ります。

「当時はそんなもんでしょ」と言われたって、現代人からすれば生々しすぎてゾッとするかもしれない。

再び坂井孝一氏の論拠に注目したいと思います。

北条義時は、江間の土地を治める「江間小四郎」と呼ばれていた。

江間領主の座に治まるとすれば、前任者である江間次郎は不在でなければならない。

次郎が討死したからこそ、その後に小四郎が治まることができた。

江間の土地には、次郎の妻・八重もついていた。

そういう論拠ですね。

坂井氏も確たる証拠はないとしていますが、ドラマの考証担当がこう示しているのであれば、脚本に取り入れることはできます。

ただし、前述の通り「生々しくなる問題」は解決できません。

現代人であれば困惑必至、「土地とセットの妻」という設定が受け入れられなければ、この説を切り捨てて見るしかなさそうです。

 

義時にとって運命の相手だとすれば?

『鎌倉殿の13人』では八重が義時にとって重要な存在。

放送序盤から、要所要所で伏線は描かれてきました。

・義時はずっと八重のことを思っている(側から見てもそう)

義時が八重に淡い思いを抱いていたこと。紫陽花の花を届けていたこと。そんな初恋の定番は語られていました。

のみならず三浦義村源頼朝と八重の関係を告げたとき「八重さんがかわいそうだ」と心配しています。義村も「そっちかよ!」と思わず返していたほど。

義時は八重そのものを愛している。八重が頼朝に抱く愛情ごと彼女を好きなのです。

・義時は女性のことを大事にできる

大河ドラマに「フェミニスト」を出せるかどうか?

出せません。『八重の桜』の新島襄ならばさておき、江戸時代以前ならば、そもそも定義がない。

では、かつて女性を思いやる人物がいなかったのか?というと、そんなわけがありません。

史実における義時は、姉の政子に深い敬愛を抱き、その判断力を重視していたことは確かです。

劇中でも、義時は女性がぞんざいに扱われることに嫌悪感を見せていました。

頼朝の女性への態度を「馬を乗り換えるようだ」と批判し、亀と関係を持つ頼朝に怒りを感じていた。

「男ってそういうものだから……」とニヤけたりすることなく、常に真面目です。

・義時と八重には共通の仇「善児」がいる

『鎌倉殿の13人』で創作されたキャラクターが「善児」です。

俳優の梶原善さんが演じており、この善児は伊東祐親に命じられるまま、次々に暗殺を手がけていきます。

八重の子である千鶴丸を殺し、義時の兄である北条宗時も殺しました。

義時は千鶴丸殺害後の善児を目撃し、善児は宗時から遺品を盗んでいました。

八重は父の口から、善児が我が子の仇であると聞き出しています。

さらに善児は伊東祐親も殺していて、八重と義時の二人が今後、善児こそ憎き仇であると狙いを定め、復讐を果たす機会が訪れるのではないか?

と思ったら、残念ながらその前に八重は命を落としてしまい、善児は後に弟子のトウから刺されて絶命しています。

そして第9回放送では、義時が八重の命を救うために奮闘する姿が描かれました。

大河であったようでなかった斬新な展開。

従来の大河とは異なり、ミステリー作品も得意とする三谷さんらしい伏線の糸が幾重にも張り巡らせてありました。

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