某シリーズのおかげで「無双」という言葉が新しい意味を持つようになって久しいですが、歴史を見ているとまさにゲームのような人物って存在しますよね。
武力やリーダーシップあるいはカリスマ的な魅力が飛び抜けている。
だからこそ人がついて来るし、次第にその人そのものが国や軍の象徴となり、最終的には国民の多くがメンタル依存のような状態に陥ってしまう。
求心力がすご過ぎるのも諸刃の剣というところですね。
今回はそんな一例に注目。
1719年11月30日は、スウェーデンの王様だったカール12世が亡くなった日です。
「北方の流星王」と呼ばれ
「流星王」として、とある小説にそれっぽい人が出てくるため、ファンの方はご存知かもしれませんね。
他にも「北方のアレクサンドロス」「熊殺し」「ピョートル大帝のライバル」など、カッコイイ異名の多い人です。
このうち「熊殺し」だけはガチなもので、11歳のときに射撃一発で熊を仕留めたことからきているのだそうです。
一体どこをどう狙ったら、そんなことが可能なんですかね。
史上有名なスナイパーのほとんどが20世紀の人であることを考えると、狙撃手の先駆けといえるかもしれません。こええ。
そんな芸当ができるくらいの人ですから、もちろん幼い頃から帝王学と共に武術の類も学んでいました。
先代のスウェーデン王と王妃の意向で、かなり厳しく鍛えられていたようです。
なんせ4歳で馬を乗りこなしたといわれています。もうレベルが違いすぎてコメントできません。
14歳までに両親を亡くして、すぐに王位にもつきました。
しかも、です。
当初6人も摂政がついたのに、彼らが議会とモメたために「もういい俺がやる!議会もそっちのほうがいいだろ?」ということで15歳のときには親政を始めていました。
というか「6人もいたら摂政の意味なくね?」とツッコミたくなるのはワタクシだけでしょうか。
英語にもToo many cooks apoil the broth.(=コックの人数が多いとうまくスープが作れない)とか、Many dressers put the bride's dress out of order.(=衣装係が多いと花嫁の衣装がプギャーものになる)とか類似のことわざがあるんですけども、スウェーデンにはそういう概念がなかったんですかね。
18歳から36歳まで戦争に明け暮れる
カール12世は18歳から、その生涯のほとんどを対外戦争に捧げることになります。
【大北方戦争】と言いまして「スウェーデンの王様ガキんちょになったってよ!領地を分捕るぜ!」と考えた周辺諸国が食指を伸ばしてきたため勃発。
スウェーデン側もいろいろトラブルを起こしているのですが、この間スペインで王位継承問題に関する戦争が同時進行で起きていたり、参加国が入り乱れたりしてものすごくややこしいので割愛させていただきます。
【大北方戦争】とは、ざっくり省略しますと、概ねスウェーデンvsロシアの戦いです。
ロシアは例によって不凍港目当て。
当時はピョートル1世といういろんな意味で規格外の皇帝がいて、北欧に面しているバルト海へ進出したいと思っていたところでした。
ここは後々サンクトペテルブルクも面するような海域ですから、この時点で「この辺に町を作りたいから、今から海を確保しておこう」と考えていたのかもしれません。
そこに「今度の王様ガキだってよ」と聞いたらそりゃ「今こそ好機!」ってなもんですよね。
ここにスウェーデンの進出が気に食わなかったデンマークやポーランド・リトアニア共和国(当時は一つの国でした)が絡んで同盟を組み、スウェーデンを潰そうと画策します。
もちろんカール12世も黙ってはいませんでした。
17歳という血気盛んなお年頃になっていた彼は、これを聞いて「よろしい、ならば戦争だ!」とノリにノって議会で大演説を行います。
そして万歳と賛成を取り付けたカール12世は、さっそく戦争の準備を始めました。
まずは兵の配置換えをし、さらにイギリスやオランダと同盟を組んで準備を整えます。
この両国は大北方戦争に直接絡むことはありませんでしたが、上記のスペインでの戦争にスウェーデンを巻き込もうとしていたため、北方での戦争を早く切り上げさせたかったのでした。
ホントヨーロッパって芋づる式に戦争が起きるというか起こすというか。今のユーロ問題とかも似たようなものですしね。
戦争の経過はこれまた耳馴染みのない地名が多く、ややこしいので割愛しながら見てまいりましょう。
三国志無双のように先頭でバリバリ活躍したが
最初のうちはスウェーデン軍が有利でした。
ほとんどの兵は農民から取り立てたものでしたが、カール12世が陣頭指揮を取り、大いに士気を上げていたからです。
また、幼少期から帝王学その他を叩き込まれていただけあり、カール12世は戦術にも精通していました。
一時期はドイツ(当時は神聖ローマ帝国)の真ん中あたりにあるザクセンという地域から、東はロシアの入り口付近まで兵を進めるほど。
しかし、それは彼一人が全ての役割を担っているということにもなります。
これが大北方戦争の勝敗を決めてしまいました。
カール12世が負傷し、前線での指揮が取れなくなってから、スウェーデン軍は一気に負け始めてしまうのです。
その頃にはモスクワを目指して進軍していたものの、敗北に加え厳寒と補給線の不安定さ、風土病、そしてロシアのお家芸・焦土作戦(敵の侵入を防ぐために自ら畑も町も焼き払うダイナミックすぎる戦法)という最悪のコンボにより、スウェーデン軍はボロボロになってしまいます。
カール12世自身もオスマン帝国(だいたい今のトルコ)まで逃げなければならないほどの負けっぷりでした。ロシアからトルコまでってえらい逃げっぷりですね。
ついでにいえば外交戦ではピョートル1世のほうが一枚上で、反スウェーデン同盟に他の国々を誘い込んで追い詰めていきました。
カール12世も一時はオスマン帝国に味方してもらいながら、当時の皇帝と仲違いして帰国を余儀なくされます。
さらにイギリスが「ウチ王朝変わったから抜けるね☆」(超訳)と言い出して同盟を離脱するわ、プロイセン王国その他ドイツ系の国が新しく敵に加わるわ、一時休戦していたデンマークが再度戦線に参加するわで「もうやめて!」状態に陥りました。
そろそろワケワカメになってきていると思うのですが、これでもかなりの部分を端折っていますので勘弁してください。
帰国したカール12世は、大陸方面の戦況を好転させることは難しいと考え、矛先を変えます。
同じスカンディナビア半島にあるノルウェーを狙ったのです。
やはり一時は優位に立ちながら、一度負けてからはずっと押されっぱなしで結局これもうまくいきませんでした。
戦争しすぎて結婚できず 人生終わる
さらに、彼自身も陣頭指揮にこだわったことが祟って、とある要塞の攻略中に流れ弾をくらって命を落としてしまいます。
享年36ですから、人生の半分は大北方戦争に使ったことになりますね。
さらにその間本国から指示を出すのではなく、ずっと従軍していたため結婚していませんでした。
このためスウェーデン王位は妹が継いだのですが、彼女は国内からナメられまくった上、ロシアその他との交渉もうまく行かず、大北方戦争は結果としてスウェーデンの敗北に終わります。
不幸中の幸いは、スウェーデンが失ったのは本土ではなく、いわゆる「海外」領土だけだったことでしょうか。この後の王様が取り戻そうとしてまた戦争してますけど。
ちなみにカール12世の遺体の写真、ものの見事に右耳の斜め上あたりにぽっかり穴が空いています。
たぶん直径3~4cmはありそうで、当時の銃弾でこんなにデカイ穴が開くんですかね。
その辺からなのか、流れ弾にしては真横から当たっているのが不自然だからか、「実は暗殺されたんじゃね?」という見方もあるようです。
20年近く戦争してて本国にほとんどいないのでは、重臣の中には「アイツ(ピー)して新しい王様にしたほうがいい」って考える人がいてもおかしくないですよね。
もちろん敵国からの刺客という可能性もありますが。上記の経緯から考えて、ブッコロさないと止まりそうにない人ですし。
今でこそスウェーデン=イ◯アの国とか北欧=平和というイメージがありますが、やはり近代はそれなりに血生臭かったんですねえ。
長月 七紀・記
【参考】
カール12世 (スウェーデン王)/wikipedia
大北方戦争/wikipedia