日本初の歴史・戦国ポータルサイト

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

『古画類聚』に収められた足利義詮像/Wikipediaより引用

スポンサーリンク

その日、歴史が動いた 鎌倉・室町時代

足利義詮の登場!って…えーと…誰…? 偉大なる父を持つ二代目のスペック考

更新日:

いつの時代も、目立つ人がいれば目立たない人もいます。
歴史で言えば、だいたい目立つほうは何かを初めてやった人だとか、後世にデカイ影響を与えた人で、それを受け継いだ人については甚だ軽視されていることが多いですよね。
我が国においては、将軍家にそういう特徴がよく見えるかなぁということで……。

正平二十二年=貞治六年(1367年)の12月8日は、足利義詮(よしあきら)が亡くなった日です。

たぶん今、9割8分の方が「誰?」と思ったんじゃないでしょうか。残り1分が名字で予測のついた方、最後の1分がこの人をご存知の方といった割合ではないかと思います。

 

母親と一緒に人質として鎌倉へ

先に正解を言ってしまうと、室町幕府の二代目の将軍です。つまり尊氏の息子かつ義満のトーチャンです。
なのに教科書にも資料集にもほとんど出てこないので、こんなにも影が薄くなってしまっています。カワイソス(´;ω;`)

でも、やっていることを見ると「実はコレすごくね?」ということが多い人だったりします。同時に影が薄い理由もわかりますので、前置きが長くなりましたがそろそろ彼の人生を追いかけてみましょう。

義詮は長男ではありませんでしたが、正室の子供だったため最初から嫡男(跡継ぎ)として扱われました。
が、当時は鎌倉幕府を倒すかどうかの瀬戸際で、トーチャンは息子と一家団欒を楽しんでいる場合ではありません。しかも尊氏は当初幕府軍にいたので、後になって倒幕軍についた際に義詮とカーチャンは人質になって鎌倉に押し込められてしまいます。
実に幸先の悪いスタートですね。

しかし足利家は源氏きっての名門ですから、忠実な家臣には事欠きません。少なくともこの時代は。そうした人々によって義詮は救出され、当コーナーの推しメンこと新田義貞と合流し、しばらくの間行動を共にします。

 

スポンサーリンク

幼いながらに父を補佐して名門の跡継ぎをこなしている

義詮は(1330年)生まれで鎌倉幕府滅亡が(1333年)ですから、倒幕までの戦で前線に立つことはありませんでした。が、幼いながらに父の代理で軍中状(武士が功績を報告してくる手紙)にサインしていたりと、跡継ぎの自覚を持った行動をしています。
実際には家臣の誰かが義詮(当時は幼名・千寿王)の名で発行したのでしょうけどね。まだ花押とか書けなかったでしょうし。

彼が成長する頃には既に鎌倉幕府は滅びていましたが、皆さんご存知の通り待っていたのは南北朝の混乱です。

義詮はしばらくの間鎌倉周辺の統治をしていたものの、室町幕府ができた直後に重臣と叔父の間で揉め事が起き、いきなり地盤がガタガタになってしまったためトーチャンから呼び出されて京都で仕事をするようになりました。
このあたりの時期には既に20歳前後ですし、実績もできていたので尊氏からの信頼も上々だったようです。状況が状況ですから、ほのぼのとか親子水入らずというわけには行かなかったと思いますが、比較的良好な関係だったのではないでしょうか。
応仁の乱のアホさ加減を知っている後世の人間からすると微笑ましいものです。(当社比)みたいな感じですけど。

 

スポンサーリンク

地味に仕事をこなしお次はビッグネーム義満の登場

元々テンションの上下から体調を崩すこともあった尊氏は、このあたりから寄る年波も相まって病気がちになっていきます。そこに嫡男がしっかり仕事をやれるということを見せてくれたのですから、さぞ嬉しかったでしょうね。

多分家臣の誰かがよほどしっかり教育してくれてたんだと思うんですけども、残念ながらそれが誰だったのかよくわかりません。でしゃばらない人だったんでしょうか。

こうして概ね問題なく権力が移り、尊氏が亡くなると義詮は二代めとして将軍の位に就きました。南北朝の争いはまだ数年続くのですが、その間も訴訟制度の整備など地味に大切な仕事をしています。
が、残念ながらテンションの上下が激しすぎもとい、幕府創設者の父・尊氏と、ダイナミックすぎる発想の息子・義満の間ではその程度でインパクトを与えることはできなかったようです。いやそれでいい。
一番舵取りが難しい「二代め」をこの動乱の中で見事やってのけたのですから、もうちょっと世間的に知られても良いんじゃないかと思うんですけどねえ。

ちなみに義詮のお墓は、かつての敵である楠木正行の隣にあります。
尊氏が楠木正成を認めていたように、義詮も敵とはいえ武士の信念を貫いた正行のことを尊敬していたので、そのように言い残したのでした。
もしかすると、他にもよく似たところのある親子だったのかもしれませんね。それでもやっぱり地味だけど。

長月 七紀・記

スポンサーリンク

参考:足利義詮/Wikipedia

 





1位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


2位 わろてんか主人公
吉本せい波乱の一生


3位 西郷隆盛49年の生涯!


4位 史実の真田幸村とは?


5位 最上義光 名将の証明


6位 ホントは熱い!徳川家康


7位 意外と優しい!? 織田信長さん


8位 毛利元就の中国制覇物語


9位 伊達政宗さんは史実も最高!


10位 最期は切ない豊臣秀吉


注目! 史実の井伊直虎とは?


注目 わろてんか伊能栞
(高橋一生さん)のモデル
小林一三とは?





井伊家 井伊直虎 井伊直政 小野政次 龍雲丸
織田家 織田信長 濃姫 織田信忠 織田信雄 織田信孝 三法師 平手政秀
徳川家 徳川家康 結城秀康 徳川秀忠 松平信康 酒井忠次 榊原康政 本多正信 水野勝成
豊臣家 豊臣秀吉 豊臣秀長 豊臣秀次 福島正則 加藤清正 豊臣秀頼
伊達家 伊達政宗 伊達成実 義姫
最上家 最上義光 鮭延秀綱 山形城 大宝寺義氏 山野辺義忠
毛利家 毛利元就 毛利隆元 吉川元春 小早川隆景 毛利秀元 陶晴賢
島津家 島津義弘 島津の退き口
真田家 真田幸村 真田信之
立花&高橋家 立花宗茂 立花道雪 立花誾千代 吉弘統幸
浅井・朝倉家 朝倉宗滴 姉川の戦い 金ヶ崎の退き口
前田家 まつ 豪姫 前田利長 前田利常
黒田家 官兵衛が長政を叱責の真相
北条家 河越夜戦 小田原征伐 のぼうの城の真実
細川家
仙石家
長宗我部家
武田・上杉家
諸家 足利義輝
剣豪・武術・忍者 宮本武蔵
キリシタン ルイス・フロイス
合戦 桶狭間の戦い 長篠の戦い 手取川の戦い 厳島の戦い 月山冨田城の戦い

◆薩摩藩 西郷隆盛 島津斉彬 大久保利通 小松帯刀 西郷従道
◆長州藩 木戸孝允 木戸松子 高杉晋作 山県有朋


◆古代 安倍晴明
◆江戸 葛飾北斎
◆世界史 クレオパトラ ルイ16世 チェ・ゲバラ


わろてんか毎日のあらすじ感想レビューは……

-その日、歴史が動いた, 鎌倉・室町時代
-, , , ,

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2017 AllRights Reserved.