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その日、歴史が動いた 豊臣家

茶聖・千利休が切腹! 秀吉との対立が原因か、あるいは… 今も謎の真相を考えてみる

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不思議なもので、人間歳を取ると思考能力が衰えて子供のようになってしまうということがままあります。
サラリーマン川柳か何かで「ボケた妻が天使に見えた」なんて話を見た気がするのですが、あれも子供のように純粋な笑顔を久しぶりに見た、ということなのでしょうね。

そういう良い面もあればいいのですが、やはりどちらかといえば耄碌してしまう人のほうが多いもの。それでも「隠居」という習慣が広く行われていた時代にあっては、ボケる前に実権のバトンタッチができたからか、あまり悲惨な例はないように思います。
が、何事にも例外というのはありまして……。

天正十九年(1591年)の2月28日は、茶人として有名な千利休が切腹した日です。

晩年の豊臣秀吉の耄碌ぶりを示す事件の一つでもありますね。図らずも二日連続で秀吉ネタになりました。
が、切腹まで命じた直接の理由ははっきりわかっていなかったりします。ひでえ話だ。

戦国絵師・長谷川等伯が描いた千利休/wikipediaより引用

戦国絵師・長谷川等伯が描いた千利休/wikipediaより引用

 

大徳寺の利休像? それとも朝鮮出兵を批判? 

一番有名なのは「大徳寺というお寺の門を改修した際、利休自身の像を二階の外側に設置し、間接的に秀吉の頭を踏みつけたため」というものです。いやぁ、イチャモンにも程がありますよね。

その他の説も「どちらかがやった些細なことが気に入らず対立した」というものばかりで、切腹まで命じるほどのものか? と思ってしまいます。とはいえ、そういうこともやりかねないのが晩年の秀吉なのですけども。

ありそうなのは「朝鮮出兵を批判したのでは?」説と、「徳川家康と通じており、茶の席で毒を盛ろうとした」説でしょうか。後者なら切腹どころか打首ですかね。切腹には「武士の体面を保たせる」という意味があるので、いわば名誉刑の極地ですから、太閤暗殺未遂となればそんな気遣いはしなかったでしょう。

石川五右衛門を釜茹でにした秀吉ですし、もっと酷い刑にしていた可能性もありますよね。

ということはつまり、「秀吉が激怒する」&「体面を保たせる」必要があった理由ということになるのですが……一体何でしょうねえ。
むしろ「秀吉が気を使ったように見せかけるため、あえて処刑ではなく切腹させた」というほうがありそうですかね。うわー、ドス黒い。
その場合であれば、ぶっちゃけた話理由なんてどうでもよくなりますし。

この御方だけは本当にもう・・・/wikipediaより引用

この御方だけは本当にもう・・・/wikipediaより引用

 

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伊達政宗古田織部、細川忠興など多くの弟子たち 

さて、当時は大名の嗜みとして茶の心得を身につけることが流行りましたので、利休の下にも数多くの大名が訪ねてきています。
伊達政宗が小田原参陣の遅参に際し、「この世の思い出に利休殿から教えを受けたいんですが^^」(意訳)と言ったりとかですね。まあこの場合は政治的な駆け引きというかハッタリ半分ですけども。

もちろん真面目に弟子入りした人たちもいて、その中でも高名な茶人になった七人は後世”利休七哲”とよばれるようになりました。
後世の呼称なので時代によってメンバーが変わったり増えて”十哲”になったりしますが、さらにこの中でも最後の最後まで利休を慕ったエピソードがあるのが細川忠興と古田織部です。

二人一緒に行ったわけではないでしょうが、彼らは利休に切腹が命じられる直前までお見舞いに行っていたのだとか。

 

※編集部注 古田織部を主人公にして、千利休や細川忠興などがわかりやすく描かれた『へうげもの』。従来の戦国漫画とは一線を画す内容で絶賛オススメ中です

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まさか豊臣秀次とも関連していて・・・? 

織部はともかく「あの忠興が!?」と思った方もいらっしゃる予感がしますけども、まあ彼も普段は当代随一の教養人でしたので、優秀な人や気に入った人にはきちんと礼を尽くしていたんですよ。ええ。
……気に入らない家の人には「あそこの家にはあいさつする必要ねーから!」(意訳)とも言ってますけど(ボソッ)

秀次と利休何か関係していて、両方の処罰にも関わっていたら、どちらの件も納得できそうな気がするのですが……トンデモですかね。小説とかでもう書かれてるでしょうか。

あれだけ人の出入りしていた大阪近辺でこれほどの謎が残るというのもおかしな話ですし、もしかしたら狸が一枚噛んでて、江戸時代前期に記録やそれっぽいものが全部破棄された……なんてのもありそうです。

はてさて、真相がわかる日は来るのでしょうか。

【関連記事】戦国絵師・長谷川等伯 雪舟の五代目を名乗り、したたかに出世した絵描き人生とは? 【その日、歴史が動いた】

 

長月 七紀・記

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参考:千利休/wikipedia

 

 





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