松平昌久

徳川家

松平昌久の生涯|同族の家康と対立した当然の理由 最後は城を追い出され

2025/02/28

同じ松平なのに、なぜ家康と敵対するのか――。

大河ドラマ『どうする家康』の序盤で、他の戦国作品ではあまり見られないことから「アイツは誰だ?」と注目された武将が松平昌久(まさひさ)でした。

劇中では東京03角田晃広さんが演じ、家康の命を狙う立場。

それだけに、今なお疑問を持たれている方もいらっしゃるかもしれません。

松平昌久と徳川家康はどういった関係なのか?

史実での二人には何か揉める原因があったのか?

永禄7年(1564年)2月28日は三河一向一揆が平定された日。

この一揆とも関係が深い松平昌久の生涯と「三河松平氏」の事績を振り返ってみましょう。

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なぜ松平昌久は家康を憎むのか

松平氏というのは非常にややこしい一族です。

なんせ十四あるいは十八もの松平氏が存在していたとされ、徳川関連の書籍を開いても複数の家が出てくるため、混乱しがち。

ただし、次の前提を知っておけば、意外とスッキリするかもしれません。

一口に松平氏と言っても、捉え方は二つあり、

・家康の祖父である松平清康の代までの諸流

・江戸幕府以降の各松平氏

という特徴がありました。

ざっくばらんに前者を「十四松平」、後者を「十八松平」で捉えておくのがよいかもしれません。

要は、江戸時代の前後で、流れが大きく変わるんですね。

本稿の主人公である松平昌久は前者「十四松平」の一つであり、大河ドラマ『どうする家康』では桶狭間の戦いに参戦、敗走していた徳川家康の前に立ちはだかります。

徳川家康/wikipediaより引用

彼らは同じ三河松平氏という立場のはず。

なのになぜ争うのか?

そもそも、なぜ家康のほうが偉そうに見えるのか?

答えは「家康が嫡流だからでしょ」と言いたいところですが、実は当時はそうではありません。

大出世を果たして征夷大将軍になったため、後に系図が作り替えられただけのこと。

家康の出身である安祥松平氏は三河松平氏の庶流であり、【応仁の乱】辺りから力を持ち始めました。

一方、松平昌久は大草松平氏といい、元々は岡崎城を拠点としていました。

その岡崎城を家康の祖父である松平清康が奪い取ったのです。

大河ドラマで東京03角田晃広さん演じる松平昌久が、あれほど恨みを抱いていたのも、仕方ない事情があったんですね。

岡崎城

では、大草松平氏や安祥松平氏の大元である三河松平氏とはどんな一族だったのか?

そもそも、いつから存在していたのか?

 


親氏から始まった三河松平氏

ときは後宇多天皇(在位1274ー1287年)の時代。

現在の愛知県豊田市松平町に、在原信盛が居を構えました。

信盛は、松の木が生い茂る様をみて「松平」と名付けた、ゆえに同地域は松平郷と呼ばれるようになった……なんて話がありますが、おそらく後世の創作であり、松平氏の祖先は他にも紀伊国熊野出身の鈴木氏だとする説もあります。

要するにハッキリしません。

いずれにせよ、松平の地でしっかりと暮らし始めた人物は、松平信重であるとされています。

この信重の代から松平郷の開発が進むのですが、そんなあるとき、徳阿弥という遊行僧が逗留しました。

関東の武士出身であり、鎌倉公方に敗れて出家していたのです。

信重は、この徳阿弥を只者ではないと見抜き、還俗させると娘を娶せ、当主に迎えました。連歌会で素晴らしい歌を詠み、そこを見込まれたという伝説もあるとか。

そして名乗ったのが松平親氏(ちかうじ)――松平氏の祖先とされる人物ですが、哀しいことにこの徳阿弥のエピソードもまた後世の作り話と考えられていて、史実における詳細は不明です。

松平親氏像/photo by Tomio344456 wikipediaより引用

結局のところ、松平氏の祖である松平親氏の正体はあやふや。

武家の頂点に立つ者としては残念なルーツですが、こればかりは仕方のない話でしょう。

ともかく、昌久の大草松平氏も、家康の安祥松平氏も、この親氏から始まっているとされ、その後の系図はざっと以下の通りです。

【大草松平氏】

松平親氏

松平泰親

松平信光

松平光重(ここから大草松平氏)

松平光重から数えて松平昌久が4代目。

一方、徳川家康の安祥三河氏は?

【安祥松平氏】

松平親氏

松平泰親

松平信光

松平親忠(ここから安祥松平氏)

こちらは松平親忠から家康で9代目。

大草松平氏も、安祥松平氏も、そもそもは松平信光の子供の代から始まったものですが、信光の嫡子は松平親長であり、こちらが三河松平氏の宗家だったんですね。

では、なぜ安祥松平氏が力を持ち、大草松平氏が恨みを持つに至ったか?

 

清康の躍進と守山崩れ

安祥松平氏が居を構えた周辺は、もともと本願寺が力を有していました。

そこで安祥松平氏は、門徒らを家臣団に組み込み勢力を拡大、以降、急速に力を伸ばして、他を圧倒してゆきます。

際立っていたのが安祥松平氏7代当主の松平清康でした。

家康の祖父である松平清康/wikipediaより引用

徳川家康の祖父であるこの清康、どんぐりの背比べ状態だった三河松平氏のうち大草松平氏を圧倒し、昌久の父・松平信貞(昌安)から岡崎城を奪い取るのです。

かくして安祥松平氏に降った大草松平氏。

ドラマにおける松平昌久のキャッチフレーズが「家康覚悟!我こそが松平宗家」であり、「家康覚悟!」と恨みを持つ理由は確かにありますね。

しかし、両者とも「宗家」ではないことにはご注意を。

松平清康の動向をもう少し見ておきますと、勢力を拡大させた清康は、三河を超えて西へ向かいました。

狙うは、美濃の斎藤道三と争っていた尾張の織田家。

天文4年(1535年)末、織田信秀の弟・織田信光が居た守山城に攻めかかります。

当時の松平と言えば「織田と今川に挟まれた弱小勢力」というイメージが強いかもしれませんが、このときは攻勢にかかっていたのですね。

もし、この守山城を落とすことができたら、尾張一国も支配できたのでしょうか……と、そうそう上手くはいきません。

守山城と対峙中、松平清康が家臣の阿部正豊に斬られて、即死してしまうのです。

この事件を【守山崩れ】と呼び、当然、安祥松平氏には激震が走りました。

 

広忠が清康の跡を継ぐと……

清康の跡を継いだのは松平広忠です。

家康の父であるこの広忠は、どうにか松平氏を統率しようとしますが、いかんせん急拡大した同家を継ぐにはまだ若く、庶流の松平氏に背かれてしまいます。

いわゆる「十四松平」をまとめることは能わず、今川義元の支援を受け、どうにか家を立て直そうとしました。

今川義元(高徳院蔵)/wikipediaより引用

ゆえに幼い徳川家康も、今川の庇護下にいたのですね。

このように勢力が乱立していた三河松平氏。

同族同士の争いとなると、『鎌倉殿の13人』における河内源氏を連想されるかもしれません。

義家流の源頼朝と、義光流の武田信義は、同じ源氏ながら思惑は必ずしも一致せず、むしろ勢力を競い合っていましたが、規模を小さくして同じような争いを繰り広げていたのが三河松平氏といえます。

『鎌倉殿の13人』の登場人物には、以下のように、後の戦国時代に大名となる家が複数あります。

◆武田信義→武田信玄

◆大江広元→毛利元就

◆佐竹義政→佐竹義重

◆足利義兼※1→今川義元

※1正室が北条時政の娘で『鎌倉殿の13人』に登場しないことが不可解とされた人物

こうした大名家とは異なり、近年の研究成果において三河松平氏は国衆だと認識されています。

江戸幕府が見栄を張って徳川の出自を実際よりも高く見積もり、その誇張が定着してしまったのですね。

国衆だとすれば、お隣・遠江で国衆だった井伊直虎や井伊直政、あるいは信濃の国衆・真田昌幸や真田信繁(幸村)たちとさほど変わらない立場といえます。

そうなると家康にとっては都合が悪く、どうしたって先祖の話を盛りたくなり、結果、経歴がわかりにくくなったのが三河松平氏なのでしょう。

 


最後は一揆に便乗するも

ドラマでは、桶狭間の戦い後に家康を討ち取ろうとした松平昌久。

史実においては永禄6年(1563年)に【三河一向一揆】が起きると、家康に反旗を翻して東条城に入っています。

しかし結果は敗北。

永禄7年(1564年)、落城と共に姿を消しました。

昌久は宗教的な判断から家康に逆らったわけではなく、あくまで同族争いの延長です。

徳川家康/wikipediaより引用

三河松平氏が大名ではなく国衆とみなした方が筋が通るとするのは、こうした状況からも判断されます。

しかしそうすると家康が“人質”として今川家の庇護下にあったことも考え方が変わってきます。

人質というより、今川家御一門である関口氏純(築山殿の父)の娘婿として、一族に次ぐ好待遇だったのではないか?と見直されつつあるのです。

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【参考文献】
柴裕之『青年家康』(→amazon
黒田基樹『家康の正妻築山殿: 悲劇の生涯をたどる』(→amazon
『図説 徳川家康』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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