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フランス その日、歴史が動いた

わずか10歳で凄絶な最期を迎えたルイ17世 マリー・アントワネットの息子はいかなる末路を辿ったか

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人間いつかはこの世を去らねばなりません。そのときは、できるだけ穏やかなものにしたいですよね。
しかし、歴史を見ていると、そうもいかない時代や立場の人がたくさんいたのもまた、悲しい事実です。
本日はその中でも、本人には全く過失がないのに「悲惨」としかいえない人生を送った、とある国の王族のお話をいたしましょう。

1795年(日本では江戸時代・寛政七年)の6月8日、フランスの王族・ルイ17世が亡くなりました。

「あれ、ルイ16世までで終わりじゃないの?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。
○世というのは基本的に「親や先祖と区別がつかないからつける」ものなので、ルイ16世の息子が同じ”ルイ”ならば、王様であろうとなかろうと17世になるわけです。

中国や日本では、同じ名前でも名前の後に(○代)や官位・通称をつけたり、文章の中で「○○時代のナントカさん」と言うことが多いですね。武王(周)とか、伊達政宗(九代)とか。

さて、ルイ17世は一体どんな一生を送ったのでしょうか。

1792年にヴェルサイユ宮殿で描かれたルイ17世/Wikipediaより引用

 

マリー・アントワネットが「愛のキャベツ」と愛称をつけて……

彼が生まれたのは1785年。つまり10年しかこの世に生きていなかったことになります。
この時点で何となく想像のついた方もいらっしゃるかと思いますが、一言でまとめるとすれば「幸せを感じたことが一瞬でもあったのだろうか?」というほどひどいものでした。

彼はルイ16世とマリー・アントワネットの息子だったので、当然のことながら生まれると同時に王太子になりました。
本当はお兄さんがいたのですが夭折してしまったため、待望の王子だったのです。特に母の寵愛は深く、「愛のキャベツ」と愛称をつけて可愛がっていたとか。

どうでもいい話ですが、ドビュッシーも愛娘に「キャベツちゃん」とつけていることからして、フランスではキャベツ=目に入れても痛くないものという認識なんでしょうか。教えてエ□い人。
ちなみに英語には"the apple of one's eye"=「目の中にりんごを入れる(それでも痛くない)」という表現もあります。目に入れるものの大きさが具体的過ぎてコワイ。

……話がそれましたね。戻しましょう。

母親のマリー・アントワネット/Wikipediaより引用

 

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1789年のフランス革命で運命は一変

容姿も性格も愛らしかった17世は使用人や貴族たちにも愛され、将来有望と思われました。多少神経質なのが玉にキズではあったようですが、賢さの裏返しでもあったことでしょう。

が、1789年にフランス革命が勃発すると、王族一家の運命は激変します。当時4歳の17世は、健気にも「ママを許してあげて!」と民衆に向かって叫んでいたそうです。
これにはさしもの革命軍も哀れに思ったか、監禁先の衛兵やその子供たちと仲良くなり、両親を安心させました。

とはいえ、それも亡命未遂事件であるヴァレンヌ事件(過去記事:ルイ16世がフランス革命から逃亡したのは亡命?それとも一戦交えるため?【その日、歴史が動いた】)までのこと。
本人たちにはその気がなくても、国民からすれば「裏切られた!」としか見えなかったこの事件の後、国王一家の扱いは目に見えてひどくなるのです。

ただ、タンプル塔というところにいるうちは、家族揃って過ごすことができたのでまだマシなほうではありました。
ルイ17世は父や叔母から語学などを教わったり、遊んだりと、遠くへ行けないこと以外はむしろ温かい空気だったようです。
この段階ではまだ国王一家に同情してくれる者もおり、ペットにと犬をもらったこともあったとか。

フランス革命で襲撃されたヴェルサイユ宮殿/Wikipediaより引用

 

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市民としての教育を受けながら凄まじい虐待が続く

決定的に状況が悪くなったのは、父であるルイ16世が処刑されてからのことです。当然のことながら17世が王様になるわけですが、幽閉の身では戴冠式ができるわけもなく、名ばかりの王でした。
体調を崩しても医師に診てもらうこともできなくなり、これ以降ルイ17世は病弱な体になってしまっています。

タンプル塔の外では革命が進み、恐怖政治によってマリー・アントワネットをはじめ、多くの貴族や政治家たちが処刑されていきました。

同時にルイ17世は、肉親から引き離されて王族ではなく市民としての意識を持つように「教育」されます。世話係からの虐待は悲惨なもので、番兵たちですら嫌がるほどの暴力を受けていたとか。性的なものも含まれていたといいますから、現代であれば確実に刑事事件でしょう。

世話人が変わった後も待遇が改まることはなく、鎧戸と鉄格子のはまった暗い部屋に閉じ込められました。
食事も衣服も満足に与えられず、トイレにも行けず、不潔な部屋でかろうじて息を保っているような状態だったといいます。
まだ年齢一ケタの、しかも肉親から離れ離れにされた少年にとって、人格が変わるほどの衝撃を受けたことは間違いありません。

 

肌は灰色がかり、爪は異常に伸びていた

それでも彼は生き続け、革命に加担していた貴族の一人であるポール・バラスに助けられました。
バラスはルイ17世の衰弱ぶりとあまりにひどい環境に驚き、人を雇って部屋の掃除や着替えをさせ、医師にも見せてくれました。
そのときの記録によれば、「肌は灰色がかり、頬はこけ、目はぎょろりとしていた。体中に青・黒・黄色のみみず腫れができていて、爪も異常に伸びていた」とされています。

バラスに雇われた世話人は心ある人だったようで、ルイ17世を散歩に連れ出してくれたのですが、そのときも一人で歩けないほどの衰弱振りだったとか。

現代でも度々児童虐待のニュースが流れますが、子供をいじめて何がどう楽しいというのでしょうね。実の親であれば育児のストレスや周囲の理解が足りないというのも理解できなくはないですが(良くはないですけど)、何の力もない相手に対し、いい大人が恥ずかしくないのでしょうか。
まあ、フランス革命中は「気に入らないヤツ皆ブッコロ!」状態だったので、王族であるというだけで理由になると思われていたのでしょうが……。それにしたってあまりにもひどい話です。

 

死因は結核と発表されたが……

少しずつ扱いが良くなったおかげで、ルイ17世は徐々に周囲の人々へ心を開き始めました。
が、体はそれについていけず、外で遊ぶ許可が出ても、自力で出歩けなくなっていたといいます。全てが遅すぎたのです。

この頃には一般市民へもルイ17世の受けていた虐待が知れており、そうした扱いをした人々へ制裁が下っていました。
その一方で主治医の急死などによりルイ17世の治療は進まず、確実に弱っていきます。

唯一の慰めは、再び日の当たる部屋に移してもらえたことでした。精神的に前向きになれたからか、少しは体も良くなったようですが……部屋を移されてから2日後の6月8日、激しい呼吸困難を起こした後に亡くなりました。

死因は結核であると発表されましたが、解剖の記録を見るととてもそれだけとは思えません。あまりにひどいので、ここへ書く気にもならないほどです。
どうしても詳細をお知りになりたい方はウィキペディア先生にお尋ねください……と言いたい所ですが、本当にR18Gどころじゃないので、よほど耐性がある方以外はおやめになったほうがよろしいかと。

 

2004年になってサン=ドニ大聖堂に埋葬された

もしヴァレンヌで国王一家が捕まらず、逃亡が成功していたら、王様にはなれなくても穏やかな一生を送れた可能性もあるだけに、彼の一生がより悲しいものに見えてきます。

遺体は解剖の後、共同墓地に葬られましたが、解剖の際医師の一人がルイ17世の心臓を持ち去って保管していたため、これを元にDNA鑑定が行われました。
その結果、共同墓地から遺体が見つかり、なんと2004年になって両親と同じくフランス王家代々の墓地があるサン=ドニ大聖堂へ再度埋葬されました。

サンドニ大聖堂/Wikipediaより引用

 

ここはステンドグラスでも有名なところなので、観光される方も多いと思いますが、その際は幼くして悲惨な最期を迎えた幼い王の冥福を祈ってあげてくださいませ。

外国人かつ異教徒の祈りが届くのかどうかわかりませんが、日本の神様なら融通利きそうな気がしないでも……え? しない? そっか(´・ω・`)

長月 七紀・記

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参考:ルイ17世/Wikipedia

 

 





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