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島津斉彬/wikipediaより引用

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その日、歴史が動いた 幕末・維新

6月1日は「写真の日」和宮のお墓から見つかった烏帽子&直垂姿の男性は徳川家茂?

更新日:

思い出は良い方向にしろ悪い方向にしろ、大げさに記憶されがちですよね。
両親の「昔はモテモテだった」「学年で一番成績が良かった」なんて話とか、あるいは幼い・若い頃の自身の記憶とか。頭の中にある印象はその人によって異なりますので、正確に残すことは難しいものです。
その点、画像や動画はそのままを写して記録することができる、というメリットがあります。加工されたりして、謎が深まることもありますけれども。

6月1日は「写真の日」ということで、写真について少々考えてみましょう。

天保十二年(1841年)に島津斉彬を写した国内初の写真が撮られた日……と思われていたのですが、後になって年も日付も違うことが判明しました(´・ω・`)
※(TOP画像・1857年に撮影されたという島津斉彬/wikipediaより引用)
が、国内だけの記念日であり、対して問題がないからか、そのままこの日が写真の日になっています。
なんだかスッキリしませんが、今回は写真にまつわる歴史を見ていきましょう。

 

写真がレンズ次第と言われる理由は……

実は、写真の原理は物理的にごくごくシンプルなものです。
物理学的な用語は(ワタクシが理解できないので)抜きにして説明すると、こんな感じです。

小学校の理科や工作の授業で「ピンホールカメラ」を作ったことのある方も多いかと思います。「光を通さない素材でできた箱に小さな穴を開けると、現物と上下逆になった像がスクリーンに写る」というアレです。
ただし、ピンホールカメラでは像を写すための情報量を多く得ることができないので、ぼんやりした画像しか写りません。

現代ではカメラといえばレンズですが、レンズを使うことによって、ピンホールカメラより多くの情報をスクリーンに映し出すことができます。
カメラマンの方や写真愛好家の方がレンズにこだわるのは、より良いレンズほど多くの情報を得ることができ、鮮明な画像になるからです。

広い範囲を写すのに向く「広角レンズ」、逆に遠くのものを鮮明に写す「望遠レンズ」といった、用途別のレンズもありますね。
「魚眼レンズ」といって、外周ほど曲線状に歪んだような画像を写せるレンズで撮った写真も面白いです。これは文字通り魚の視界のように写るレンズで、アートの世界で比較的よく使われる気がします。最近では「臨場感を出す」という目的で魚眼レンズを使う方もいらっしゃるとか。

 

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光が反射した部分が化学反応を起こして

さて、幕末に写真が日本に入ってきた際、多くの日本人が「魂を抜き取られる」と恐れていたことは広く知られていますよね。
現代でも、よくよく考えてみると「写真ってなんで写るの?」というのは不思議なものです。

今回は白黒写真を中心に説明しましょう。現代では白黒写真をあえて撮る機会は少ないですが、一番シンプルでわかりやすいですので。歴史好きの方なら、時代によっては白黒写真を見ることのほうが多いですし。

これは、上記の写真の原理と繋げて考えれば割とすんなり理解できます。「スクリーン」のところを「感光材」と置き換えればいいのです。
これも文字通り「光に反応する材質」を意味します。だいたいはフィルムですが、他のものもあります。

物理・化学的な原理を端折ると、ピンホールやレンズを通した像は、感光材の上で起きる化学反応により「光が多く反射した部分は黒っぽく、あまり反射しなかった部分は白っぽく」残ります。この状態がネガフィルムというやつです。昔は写真屋さんに現像に出した後、写真と一緒に渡されたりしましたよね。

これを紙の上に現像液で定着させると、白黒反転した写真ができます。
カラー写真の場合は、フィルム側にシアン・イエロー・マゼンタの色の三原色に反応する薬剤が塗られている、という点が異なります。

ふた昔前まで……というか、一定上の年代の方は「写真は暗いところで現像しなければならない」とか「現像に出す前にカメラのフィルムのフタを開けてはいけない」と教わりましたよね。
あれは、現像する前のフィルムに撮影以外の場で光を当ててしまうと、フィルムが全面に光を感知してしまうからです。

こういった技術が19世紀前半、つまり日本に写真が伝わる直前といっても過言ではない頃に成立しました。
白黒写真にもいろいろなタイプがあり、古い順にダゲレオタイプ→湿板写真→写真乾板と変遷しています。

 

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和宮のお墓から見つかった烏帽子&直垂姿の男性画像は誰?

日本史で写真にまつわるエピソードというと、和宮のお墓から見つかり、そして取扱が拙くて消えてしまった「烏帽子に直垂姿の男性」が一番ミステリアスで有名でしょうか。

この写真はおそらく、「湿板写真」というタイプだと思われます。
湿板写真の発明が1851年、写真乾板は1871年で、家茂が亡くなったのが1866年だからです。

また、湿板写真は安政年間(1854~1860年)の間に日本へ入ってきていたと考えられており、1862年には横浜で写真館を開き、湿板写真を撮影していた日本人もいました。さらに、ダゲレオタイプは当時の日本ではなかなかうまく撮影できなかったとされています。
となると、家茂の生前にある程度印刷技術が伝わっていた湿板写真かと。件の男性が家茂と仮定しての話ですがね。

……まあ、これがわかったところで、一度消えてしまった写真を復元するのは不可能でしょうけれども。

しかし、湿板写真は「一枚のネガから何枚もプリントできる」という特性があるので、もしも和宮のお墓に入っていた写真のネガが見つかったら、件の人物が誰だったのかが判明するかもしれません。
家茂の遺骨から顔の特徴がわかっていますし、もう一人の候補である有栖川宮熾仁親王については明治期の写真がありますから、どちらかと比較すれば確定できるでしょう。
どちらとも似ていなかった場合は……とりあえず考えないことにしましょうか。「烏帽子に直垂」は武家の服装なので、家茂の可能性が大ですしね。

徳川家茂さんの肖像画・できれば写真で見たかった……/wikipediaより引用

見つかったとしても劣化しすぎて現像できなさそうですし、可能性は限りなく低そうですけれども。
しかし、史料や史跡の類は「失われたとされていたものがひょっこり出てきた」なんてことがザラにあるので、それもロマンということでここはひとつ。

長月 七紀・記

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参考:写真の日/wikipedia 写真/wikipedia ジョン・ハーシェル/wikipedia

 





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