カール14世ヨハン/wikipediaより引用

フランス その日、歴史が動いた

美脚軍曹・カール14世ヨハンの才 なぜフランス人がスウェーデンの王様に?

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「よそ者の王朝なんてすぐポシャるでそ」

ナポレオンがエルバ島から脱出してからは、表立って対立はせず、静観にとどめています。
そのため戦後処理では大きな特をすることはありませんでしたが、イギリスから100万ポンドを得たことで、かねてから考えていた債務処理や公共事業の資金としました。

そして1818年のこの日、カール13世の死を受けて、ヨハンはカール14世として即位したのです。

当時は諸国から「よそ者の王朝なんてすぐポシャるに決まってる」と思われていたようです。

が、スウェーデンの国民と議会は新しい国王を熱狂的に支持しました。特に、憲法で王の権限を自ら制限したことで、ナポレオンとは違う先進的な王であることを示したのが大きかったようです。

即位してからは、自国がロシアとイギリスの間にあるという地勢を活かし、緩衝帯・中立地域を保つための政策を採っています。現在も北欧諸国は紛争に関与しない中立国が多いですが、これはヨハンの政策によるところも大きいということですね。

 

国内の食料自給を改善し、インフラ設備を整える

戦争にかかわらなければ、それだけ内政にお金をかけることができます。
財政の立て直しや産業の振興、学校や病院などのインフラ整備に力を注ぎました。特に農業改革については、彼の時代に大きな成功を収めています。

当時のスウェーデンは国民の80%が農民であったにもかかわらず、食料自給率がとんでもなく低かったので、これを是正する必要がありました。
そこでヨハンは、スウェーデンの国土に合った品種改良や、開拓などを推し進めています。
結果、ヨハンが亡くなる1844年までに、スウェーデンの人口は100万人以上も増えたそうです。

晩年は議会との対立や民衆からの批判もあったようですが、それ以上に政策での成功例が多かったため、反乱を起こされるようなことはありませんでした。息子である王太子オスカルの人気が高かったことも影響しているかもしれませんね。

ヨハン自身はスウェーデン語を完全に習得することはできませんでしたが、オスカルは少年期にスウェーデンにやってきたため、息子のほうがスウェーデン語が得意でした。
そのこともあり、息子のことは頼りにしていたようです。

そして彼に始まるベルナドッテ王朝は、他のヨーロッパの王家が次々と実権を失っていく中で、今日まで存続することになるのです。ここもまた、ナポレオンとは対照的ですね。「地元を離れて実を結んだ」という点では、徳川家康にも似ているでしょうか。

一気に英雄になるのと、子々孫々まで地位を保つのと、どちらがエラいとは言い切れませんが、好対照で面白いものです。

息子のオスカル/Wikipediaより引用

長月 七紀・記

【参考】
カール14世ヨハン_(スウェーデン王)/Wikipedia

 



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