『信長公記』首巻・7節は、本書の中でもよく知られている部分です。
青年時代の織田信長が、どんな生活をしていたか?
信長=うつけ者というのは本当なのか?
そんなテーマだからです。
内容的には、元服後から父・織田信秀の急死による家督継承あたりの時期となります。
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朝晩欠かさぬ馬術の鍛錬
まず信長は、朝晩は必ず馬術の稽古をしておりました。
武士ならば当然のことでしょ?
と思われるかもしれませんが、朝晩=一日に二回というあたりに、信長の考えがうかがえます。
戦はいつ起こるかわかりませんし、戦術として夜襲を選ぶことも珍しくありません。となると、自分も馬も夜目が効いたほうがいいですよね。
馬は夜行性ではないものの、ある程度、夜でも目が見えます。ということは、訓練すればより夜目が効くようになるわけです。
信長が馬好きだったことも有名ですが、それはただ単に好きだからではなく、常に戦のことを考えていたからなのでしょう。
なお、古来より、武士にとって何より重要な武器が弓と馬。共に日頃の訓練が大切でした。
「得意だった」と記されるほどの水泳
他に、3~9月は欠かさず毎日水練=水泳の稽古をしていたことも書かれています。
わざわざ「信長は水泳が得意だった」とも書かれているので、かなりのものだったのでしょうね。
信長のように、一国一城の主が自ら泳ぐというシチュエーションはなかなか想定しにくいものの、これも戦のことを念頭に置けば合点がいきます。
尾張周辺は、他国との境界線がほぼ川や海です。となれば、織田氏から攻めていくにしろ、迎え撃つにしろ、水場の近くが多くなるわけです。
そういう立地なのに、戦のたびにいちいち渡河の危険や「背水の陣」を恐れていたのでは、天下どころか尾張の統一すら危ういですよね。
長くて人間五十年の時代ですから、モタモタしているだけで損になります。いざというときは、さっさと鎧を脱いで泳いで逃げられるようにしておいたほうが、よほど効率的ということになるわけです。
※ただし、当時の鎧はむちゃくちゃ高価な代物でしたから、映画や漫画のように簡単に脱ぎ捨てられるものでもありませんでした
溺死してしまった大内晴持
面白いことに、泳ぎに関しては、全く別のところで実例があります。
中国地方の雄・大内氏の話です。
ときの大内氏当主・大内義隆は、同地方の実力者である尼子氏と相争っていました。
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しかし、尼子氏の本拠である月山富田城を攻めていたとき(第一次月山富田城の戦い)、自軍側が不利となり、敗走する際に悲劇が起こります。
義隆の甥っ子で養嗣子だった大内晴持が、海から船で撤退しようとしたところ、船着き場で「我先に」と殺到する兵に船ごとひっくり返され、溺死してしまったのです。
晴持は当時10代後半~20歳くらい。義隆も将来を期待していた若者でした。
敗戦のショックに加え、義理ではあれど最愛の息子を失った義隆は、その後ほとんどのことに興味を失い、やがて大内氏自体の滅亡を招いています。
この第一次月山富田城における撤退戦は、天文十二年(1543年)のことでした。信長は天文三年(1534年)生まれですから、家臣や城下のうわさ話などで、この件を聞いた可能性も十二分にあります。
合理的な信長のことですから、それでなくても水練の重要さはいずれ気づいたでしょうが、実例を聞いて他山の石としたのではないでしょうか。
槍の長さを統一すれば
他には、兵の装備にも気を遣い、それまでバラバラだった槍の長さを三間(約5.5m)、もしくは三間半(約6.4m)に揃えさせたことが書かれています。
槍の長さを揃えることで、例えば横一列に兵が並んで戦った際、
「兵Aは長い槍を使っていたので敵をたくさん倒せた」
「しかし、兵Bの槍は兵Aの槍より1m短かったため、隙を突かれてやられてしまった」
というようなことが少なくなります。
と、これには槍の戦い方を確認しておく必要がありますね。
基本的に足軽たちの槍は「1対1」で使いません。
洋の東西を問わず、「槍を構えた兵が密集して攻撃する」のであって、最も基本的な戦術です。
信長に限らず、優れた日本の武将や国外の王たちは、同じ長さの槍を用いた集団戦術を重視していました。
最も有名なのは、古代マケドニアの王・ピリッポス2世(アレクサンドロス大王の父)が用いた「マケドニア式ファランクス」でしょうか。
ピリッポス2世とアレクサンドロス大王、織田信秀と信長は結構似ているところがあるので、比べてみるのも一興かと思います。
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うつけ(馬鹿者)とされる原因も
とまあ、ここまでは武将として素晴らしいことばかりですよね。信長のような一国一城の主にしては、行き届きすぎるほど行き届いた日常生活です。
問題は、これらを全て台無しにするレベルの素行の悪さでした。
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