イラスト・富永商太

織田家 信長公記

信長=うつけ者説はどこまで本当か?|信長公記第7話

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槍の長さを統一すれば

他には、兵の装備にも気を遣い、それまでバラバラだった槍の長さを三間(約5.5m)、もしくは三間半(約6.4m)に揃えさせたことが書かれています。

槍の長さを揃えることで、例えば横一列に兵が並んで戦った際、

「兵Aは長い槍を使っていたので敵をたくさん倒せた」

「しかし、兵Bの槍は兵Aの槍より1m短かったため、隙を突かれてやられてしまった」

というようなことが少なくなります。

と、これには槍の戦い方を確認しておく必要がありますね。

基本的に足軽たちの槍は「1対1」で使いません。

洋の東西を問わず、「槍を構えた兵が密集して攻撃する」のであって、最も基本的な戦術です。

信長に限らず、優れた日本の武将や国外の王たちは、同じ長さの槍を用いた集団戦術を重視していました。

最も有名なのは、古代マケドニアの王・ピリッポス2世(アレクサンドロス大王の父)が用いた「マケドニア式ファランクス」でしょうか。

マケドニア式ファランクス/wikipediaより引用

ピリッポス2世とアレクサンドロス大王、織田信秀と信長は結構似ているところがあるので、比べてみるのも一興かと思います。

 


うつけ(馬鹿者)とされる原因も

とまあ、ここまでは武将として素晴らしいことばかりですよね。信長のような一国一城の主にしては、行き届きすぎるほど行き届いた日常生活です。

問題は、これらを全て台無しにするレベルの素行の悪さでした。

今日でも有名な、乱れた行状が次に述べられています。

むしろ、こっちのほうが有名すぎて、上記のようなことはあまり知られていない感すらあります。

・服装は浴衣の半脱ぎ状態に半袴

・髪は茶筅髷(ちゃせんまげ)に紅や萌黄色の紐を巻き付けた状態

・刀は朱色の鞘の大太刀(具体的な銘や号は不明)

・町中を歩きながら栗・柿・瓜などを食べ歩く

・町中で立ったまま餅を食う

・人に寄り掛かる&人の肩にぶら下がって歩く

立ち食い&食べ歩きはまだともかく「人の肩にぶら下がって歩く」ってのがヤバイですね。小さな子供ならまだしも、成長してからだといろいろな意味でキツイでしょう。

おそらくこれは、信長なりに相手の人格や信用度を図るためだったのでしょうが……やられたほうはそんなこと思いつきませんよね。

絵・富永商太

 


利家なども朱色の武具にしていたか

他、お供の人間には朱色の武具をつけさせていたといいます。

おそらくは信長の小姓として側近くに仕えていた、前田利家などが経験しているでしょう。

利家も若い頃は傾奇者だったといわれていますから、その手の趣味に目覚めるきっかけが信長だったのかもしれません。

今で言えばパリピというか。遊び人というか。不良少年というか。

「うつけ」と呼ぶに相応しい――。

そんなツッコミもありますが、こうした一連の服装・行動などよりも、当時の武家や貴族の子息であれば習うお勉強を疎かにしていたことが「うつけ者にされた理由」という指摘もあります。

馬術や水練に励んだことの方が武士としての成功には役立ったはずなんですけどね。

いずれにせよ、良いところよりも悪いところのほうが目立っていた若き日の信長。

当然、家中からもよそからも良くは思われていませんでした。

このことが、これまた有名な弟・織田信勝(織田信行)との対立などにつながっていきます。

📚 『信長公記』連載まとめ

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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