於大の方/wikipediaより引用

女性 徳川家 その日、歴史が動いた

家康の母ちゃん『於大の方』ってどんな人?家康を産んですぐに離縁の理由

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祖父の松平清康に続き、父の松平広忠も不遇な死であったとされる徳川家康

祖父:松平清康→家臣の阿部正豊に誤って殺される(森山崩れ)
父:松平広忠→家臣の岩松八弥に殺される

二人は家康の物語でも割とスポットライトがあたりますが、今回、注目したいのは広忠の妻にして家康のお母ちゃんだった女性。

慶長七年(1602年)8月28日に亡くなった於大の方(おだいのかた)です。

生まれは享禄元年(1528年)ですから、亡くなったときは75歳(数え歳)となかなかの長寿ですね。

 

嫁いだ後に実家の水野家が急に方向転換

彼女は三河・刈谷(愛知県刈谷市)の武士・水野家の生まれです。

刈谷は尾張と三河の国境付近にあり、織田と松平(のちの徳川)に挟まれていました。

当時はまだ東海道の情勢も落ち着いておらず、水野家も生き残るためには何か手を打たなくてはなりません。そこで於大の方の父・水野忠政は、三河に勢力を築いていた松平広忠へ娘を嫁がせました。

結婚の翌年に家康を産んでいるので、そこそこ順調な新婚生活だったと思われます。政略結婚ですから、義務といえばそれまでですが。

しかし、実家の父が亡くなってお兄さんの水野信元が家督を継ぐと、水野家は方針を大きく変えてしまいます。

「当主が家臣に殺されるような家と手組んでてもしょうがなくね?今川と組むのもイヤだし」と考え、当時急激に勢力を伸ばしていた織田信秀織田信長の父ちゃん)に味方したがったのです。
この辺、節操ないと思われそうですが、より弱い勢力はより強い方へ従うほかない戦国時代ですから仕方がないですね。

結果、於大の方は松平広忠と無理やり離縁させられてしまい、水野家へ戻ることになりました。

 

出戻ったかと思ったらすぐさま久松家へ

出産の翌年ですから、家康はまだ物心もついていません。

家康が歴史上の超有名人の割に兄弟の話があまり出てこないのですが、この状況下では両親共に同じ弟や妹が生まれるわけもなく、当然の話ですね。

時代が時代ですから、実家に帰ってもそのまま穏やかに暮らすことはできませんでした。

これまた兄の意向で尾張・阿久比城主あぐいじょうしゅ(愛知県阿久比町)の久松俊勝に再度嫁いでいます。
久松家は、織田家と松平家の間でうまく身を処しており、水野家が松平家から織田家に鞍替えするにも便宜を図ってもらえると思ったのでしょう。

ここでも於大の方は三男三女に恵まれておりますから、比較的子供に恵まれやすい体質だったのでしょうね。

当時の衛生状況や医療技術からすると、一人で何人も産める女性はそう多くはありませんから、体力や健康面でも優れていたようです。

 

桶狭間の戦い!家康も織田家に近づいていく

かくしてしばらく久松家で暮らしていた於大の方ですが、健気に家康との音信を取り続けていた彼女に、どこかの神様か仏様が味方してくれました。

永禄三年(1560年)の【桶狭間の戦い】により、家康が今川義元や今川氏の支配から脱することができたのです。ここから家康は織田信長と連携を取っていき、それに伴って母親を手元に引き取ろうと考えました。

かといって於大の方だけを再び離縁させるような荒っぽいことはせず、久松家ごと松平姓を与え、傘下に組み入れるというダイナミックな方法でした。なかなか気前の良いやり方ですね。

なにせ、これからはいくらでも配下が欲しい時期でしたから、異母弟や異母妹も迎えれば母も喜んで一石二鳥と考えたのかもしれません。
手駒増やしたかっただけとかそんなまさか……。

 

天下人とはいえ実母にはアタマが上がらない

二人目の夫・久松俊勝は、その後、豊臣秀吉が関白になった頃に亡くなり、於大の方は当時の習慣として出家します。

そして家康や徳川家のために働いていました。

例えば、家康は小牧・長久手の戦いの後、松平定勝(於大の方の息子・家康からみて異父弟)を秀吉の養子にしようとしたことがあります。

於大の方はこれに大反対。
家康が断念せざるを得ないほどの剣幕で説得したそうで、「母は強し」と言ったところでしょうか。

また、豊臣家との関係が悪化した後には、高台院(ねね)に会いに行ったり豊国神社へ参詣するなど、間を取り持つようなこともしています。
その頃には70代のはずですから、やはり若い頃から体力のある人だったんでしょうね。

於大の方が亡くなったとき、家康は59歳。
関が原の戦い前後にはアレコレ黒い思惑を巡らせていた家康が、一方で母親に頭が上がらなかったと思うと微笑ましく、そして母の偉大さがわかりますね。

なお、徳川家康の生涯については以下のマトメ記事を併せてご覧いただければ幸いです。

徳川家康は3度の死地を乗り越え天下人に!75年の生涯をスッキリ解説・年表付き

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『物語 戦国を生きた女101人 (新人物文庫)』(→amazon link
於大の方/Wikipedia

 



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