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豊川稲荷は神社じゃなくてお寺!? 初詣をグッと楽しくさせる歴史や特典あるでよ

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初詣の参拝客が100万人を越える三河地方(愛知県東部の豊川市)の「豊川稲荷」。
京都の伏見稲荷と並ぶ「三大稲荷」として知られています。

いなり寿司発祥の地としても知られ、何百体のキツネの石像が並ぶ本殿の裏側にある霊狐塚はインスタ映えする場としても人気です。

人がいるとワイワイ、いないと怖い霊狐塚(編集部撮影)

しかも2018年(平成30年)は戌(いぬ)年です。
イヌ科のキツネで豊川稲荷は例年以上に人気が出るでしょう。

と、「豊川稲荷」と読んでいますが、正式名称は曹洞宗の寺院「妙厳寺」です。

他の著名な稲荷が神社であるのに対して仏教寺院というのは異例。
果たして、どんな歴史と由来があるのでしょうか。

 

4つの名前を持つお寺

比叡山延暦寺などの「◯◯山」に該当する山号は「円福山」で、ほとんど知られていませんよね。
別称としては「豊川閣」がありますが、これは江戸時代に公家の有栖川宮家が扁額を寄進したためです。

つまりは
・豊川稲荷
・妙厳寺
・円福山
・豊川閣
と4つの名前をもつお寺なのです。

ここからは一般的な豊川稲荷の名称で説明していきましょう。

本殿(編集部撮影)

 

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嘉吉元年(1441年)三河出身の東海義易が開創

豊川稲荷の開山は、室町時代の嘉吉元年(1441年)。
遠江(静岡西部)の普済寺(浜松市)を開いた華蔵義曇(けぞう ぎどん)の弟子で三河出身の東海義易(とうかい ぎえき)が開創しました。
「寒巌派」は遠江と三河に影響を広げ、遠江は普済寺、三河は豊川稲荷が信仰の拠点となったのです。

嘉吉元年というと、歴史ファンにはよく知られた「嘉吉の乱」が起こった年です。

播磨(兵庫県)守護の赤松満祐が室町幕府6代将軍足利義教(よしのり)を京都の自邸の宴会に招き暗殺した大事件。
播磨国に逃げ帰った赤松は幕府軍に攻められて滅亡しましたが、室町幕府の権威は衰え、その後、応仁の乱(1467~77年)へとつながっていきます。

こうした地方分権が一気に広まろうとした時代に、九州出身の華蔵義曇も引馬城(のちの浜松城)の領主から誘われ、東海地方で布教の道を選んだとおもわれます。

さて、なぜ曹洞宗という座禅を中心とするお寺が稲荷になるのでしょうか。

豊川稲荷の本尊は、鎌倉時代に九州で活躍した曹洞宗の高僧・寒巌義尹(かんがん ぎいん、1217~1300年)が伝来したという千手観音菩薩です。
千手観音はキツネとは結びつきません。

稲荷となったのは、本尊のためではなく、同じく大切にまつられている、寒巌が感得(真理を悟る)して自ら彫刻した「豊川枳尼真天(とよかわだきにしんてん)」です。

寺伝によると、寒巌が1264年(文永元年、鎌倉時代中期)に修行のために中国(宋)へ渡り、1267年に帰国した際に海上で、白い狐にまたがった荼枳尼天(豊川稲荷では枳尼真天)を見て感動し、帰国後に自ら刻んで終生守護神としてまつった、とされています。(豊川閣妙厳寺略縁起より)

この白い狐にまたがった稲穂をかついだ像が「豊川稲荷」と通称され、江戸時代の18世紀後半以降から、寺全体が「豊川稲荷」として著名になったのです。

安永4年(1775年)成立の『三河刪補松』に
「当寺ノ境内ニ平八ト云名狐アリ、近年祠ヲ建、稲荷明神ト崇ム」
とあり、このあたりが寺と稲荷を結ぶつけられたことがはっきりわかる資料です。

鎌倉時代の九州の高僧と室町時代に開かれた東海地方の寺では、距離も時間も大きく離れています。
ここは宗教上の大切な言い伝えですから、無粋なツッコミは控えたいところですが、すこし歴史的に考えてみましょう。

明治時代になって、廃仏毀釈の嵐が巻き起こったときに、妙厳寺も厳しい立場に置かれました。「寺なのに稲荷(神社)とはどういうことか!」と政府から責められたとき、神道の神社系のキツネを標榜しているのではなく、仏教の荼枳尼天がまたがるキツネのことであると主張して難を逃れました。

決め手となったのは、寒巌というところです。

なぜ、鎌倉時代の寒巌を持ち出したかというと、寒巌は承久の乱で知られる後鳥羽上皇の息子なのです。後鳥羽上皇など武士と戦った天皇や皇族は明治維新で名誉回復されたことはご存じのとおりです。

また、由緒不明の鎌倉時代の仏像が同寺にあるのですが、室町時代設立の寺がなぜ鎌倉時代のものを持っているかというと、明治時代に経営の苦しくなった古刹(こさつ)が寒厳時代にマッチする仏像を放出したということも、確率としては、捨てきれないでしょう。

結論は出さずに、ここらへんで察しておくのが無難ですかね。

 

義元、信長らの寄進に続き大岡忠相にも信奉された

歴史に話を戻しまして。
豊川稲荷では、開山(創始者)を東海義易(~1497年)とし、開基(たいてい中興の祖)を戦国武将の今川義元(1519~60年)としています。

駿河の大名・今川義元が、遠江や三河を侵攻して支配したことは知られていますが、豊川稲荷周辺はもともと今川氏の飛び地で(同様の飛び地は各地にあり、現在の名古屋城のある場所にあった那古野城などが有名)、三河への侵攻前から、この地に資金を投入するなどして整備して、三河侵攻の橋頭堡としたという面もあるとみられています。

山門は、だいぶ後世に手が入っていると見られますが、今川義元寄進の門とされています。
戦国時代には、織田信長、九鬼嘉隆らが寄進しています。

義元が寄進したとされる山門(編集部撮影)

町奉行で知られる大岡「越前守」忠相(ただすけ、1677~1751年)が信奉したのが豊川稲荷(枳尼真天)とされています。

歴史上の大岡忠相は町奉行にとどまらず、最終的に三河国額田郡西大平(愛知県岡崎市)の1万石の大名となりました。
将軍・徳川吉宗の側近で、6000石ほどの中級旗本だったのが、寺社奉行などを経て大出世を遂げたのです。異例の出世を遂げたため、庶民が人気が出て、史実ではなく「いいね」な話の「大岡裁き」などの伝承が付け加えられたのは歴史ファンでしたらご存じの方が多いでしょう。

また、東京都港区元赤坂一丁目に、豊川稲荷(豊川閣荼枳尼真天堂)があります。

大岡忠相が藩祖となった三河・西大平藩の下屋敷(現在地は赤坂小学校になったためした移転先)に、死後70年以上たった文政11年(1828年)に、豊川稲荷の分霊を勧請したものです。
文政年間には、大岡忠相は「大岡裁き」として江戸の人気ものになっていました。この大岡が信仰したのが、稲荷さま。稲荷は基本的に神社系であり、また「居成り」に通じることから、江戸の町では武士、庶民を問わず屋敷を守る神として信奉されました。

大岡忠相の場合も、在命中に「豊川稲荷の稲荷」に限定して信奉していたかというと、はっきりしません。

むしろ、三河の稲荷=豊川稲荷が結びつけられたと考えるのが自然でしょう。実際に、西大平藩は西三河の岡崎市、豊川稲荷は東三河と、地域が異なります。
が、江戸時代の庶民にとっては、同じ三河、さらに西大平藩は1万石の小藩ですから、藩祖の人気に乗じて、大岡は豊川稲荷の稲荷を信奉していたとの物語を流布した可能性もありそうです。

江戸時代の信仰のありかたを考える上でおもしろいテーマですが、やぼな推測でもありますので、このあたりでやめておきましょう。なお、東京の豊川稲荷は、明治時代に現在地への移転に伴って、西大平藩から愛知の豊川稲荷の直轄管理となりました。

 

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4,000円の祈祷料でおいなりさんや精進料理を!

豊川稲荷では、大晦日から元旦にかけて口喧嘩をしながら参籠堂に籠ることで豊作を祈る「喧嘩参籠」という行事が行われます。
元旦からの初詣もいいですが、大晦日から参拝すると、おもしろい行事が見られるかもしれません。

また、ほかの寺社と同様にご祈祷をうけることもでき、祈祷料を4000円以上収めると、食事がついてきます。
あまり大々的にPRしていませんが、大きな畳部屋で、おいなりさんを含む熱々の精進料理が食べられるので、かなりのオススメ!

お味噌汁はおかわりできる。おかずには稲荷も!(編集部撮影)

いずれにせよ豊川稲荷の周辺の道路は非常に狭い上、駐車場も有料無料含めて多くありません。
公共交通機関での移動がベスト!

名古屋からですと名鉄が定番ですが、ライバルのJRは新幹線こだまをつかって豊橋駅まで行く、かなりの割引の往復チケットを販売(在来線のみの往復きっぷもあり)。
新幹線の通常料金より最大2000円以上も安くなります(平日はビジネス客がいるので、土日のほうが安い設定)。

http://railway.jr-central.co.jp/tickets/shin-toyohashi-round/

また、2019年1月1日~2月末まで、門前のお店でコーヒーやお菓子がもらえる特典がついた豊川稲荷参拝用の往復チケットも発売しています。

http://recommend.jr-central.co.jp/toyokawamoude/map.html

 

文・恵美嘉樹
取材・編集部




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【参考】豊川稲荷公式サイト

 




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