初詣

寺社・宗教

マジでご利益狙いたい?初詣八つの神社と神様五柱をまとめました

今年の初詣はどこへでかけたらよいか?

どうせ当たんねーんだから近くでいいべ。甘酒もらえるしな。

と、例年はテキトーに決めている方も、身内に、受験や出産を控えた方がいたら、合理性などいっさい無視して、一度ぐらいは神に頼りたくもなるでしょう。

そこで本稿では、毎年、初詣で人気となる神社のご利益を分析。

『今年のお祈りだけは、絶対に叶えたい!!!!!』

といった願いを強くお持ちの方に向けて、『全国「一の宮」徹底ガイド』(→amazon)の著者である恵美嘉樹がまとめましたので、よろしければ一読御覧ください。

 

日本の神様別神社数ランキング

まずは「全国にはどんな神社がどれだけ存在しているのか?」を確認しておきましょう。

調査に使うのは国学院大の神様別神社数ランキング。

信仰分布が調査されたもので、以下に掲載された神社は皆様のご近所にも一つはおありでしょう(11~20位は記事末に掲載)。

八幡信仰(応神天皇)7817社:宇佐神宮

②伊勢信仰(アマテラス大神)4425社:伊勢神宮

③天神信仰(菅原道真公)3953社:北野天満宮

④稲荷信仰(倉稲魂神)2970社:伏見稲荷大社

⑤熊野信仰(世界遺産の熊野三山)2693社:熊野三社

⑥諏訪信仰(タケミナカタ)2616社:諏訪大社

⑦祇園信仰(牛頭天王=スサノオ)2299社:八坂神社

⑧白山信仰(石川・岐阜県境の日本三大霊峰白山)1893社:白山比め神社

⑨日吉信仰(比叡山延暦寺の守り神)1724社:日吉大社

⑩春日信仰(藤原氏の氏神)1072社:春日大社

【参考】岡田莊司/加瀬直弥編「現代・神社の信仰分布 : その歴史的経緯を考えるために」国学院大「神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成」(→link

まずは3位の天神信仰から見ておきましょう。

 

天神様は欠かせない

知恵と学問の神様といえば、平安時代の貴族・菅原道真公。

地位の低い貴族でありながら、知恵と学問により大出世を果たした道真は、現代でも天神信仰の神様として知られますね。

道真は、延喜3年(903年)2月25日、政争に敗れて左遷された九州の大宰府で亡くなります。

その後、都で疫病などが発生したことで、道真が怨霊となったと受け止められ、鎮魂するためにまつりあげ(神格化)られました。

呪いをもたらす力を持っている怨霊を神さまにしてしまえば、その強力な力で我々を守ってくれるのではないか?

そんな逆転の発想で創設されたのが、京都の北野天満宮です。

天神さまというのは、神格化に伴って神様としてつけられた「北野天満大自在天神」の名前からです。

なぜ、学問の神かというと、前述したとおり、知恵と学問により大出世したからです。

道真公復帰までの長い道のり

怨霊になったものだから、さぞかしチャッチャと一位の神様に担ぎ上げられたイメージもありますが、実際は色々なステップがありました。

以下、年表で確認していきますと……。

903年:死去

923年:元の官職である右大臣へ復帰し、正二位の位が贈られる。左遷の命令書は焼却(セコいけど真に焦る様子も伝わってくる)

947年:孫の菅原平忠を安楽寺別当(現在の太宰府天満宮トップ)に任命し、おじいちゃんの魂を慰めてもらう

981年:ひ孫を神社寺院の役職ではなく太宰府そのもののナンバー2(大宰大弐)にして、ひいおじいちゃんに喜んでもらう

993年:左大臣、正一位にランクアップ。同じ年のうちに、さらに太政大臣という最高位を贈る

という具合でした。

やっぱり神様が出世するのも努力努力努力、なのでしょうか。

北野天満宮(京都市)

創建については

『北野天満自在天神宮創建山城国葛野郡上林郷縁起』

というめっちゃ長い資料が残っています。

そこには面白いことが書かれています。北野天満宮ができたのは、幼女の巫女のお告げだというのです。

942年、京都に住んでいた巫女性質の童女・奇子さんに取り憑き、「北野に社殿をつくってまつってくれ」と要求。

しかし、怪しい身分の巫女だったので、ほんまかいなと実現せず。

いつまでたっても天変地異や疫病などがとまらないので、しゃあないからやってみようかと5年後の947年、現在の北野の地に移ってきたということになっています。

太宰府天満宮(福岡県太宰府市)

太宰府天満宮は『帝王編年記』などの資料ではこうあります。

道真が亡くなり、墓を築こうと遺体を牛車で運んだところ、途中で牛が止まってしまって動かなくなった。

仕方がないので、そこを廟所とした。

「安楽寺」という寺院として建物が造られるなどしたのはその2年後、正式に国が認めたのは919年のことで、天皇の命令で社殿を造っています。

湯島神社(東京都文京区)

湯島天神で知られる東京の天満宮系の代表格。

天之手力雄命という地元の神様をまつる神社でしたが、1355年に地元民が夢をみて「天神様をまつるべ」となって、菅原公もまつること(勧請)になりました。

その後、衰退するも、元祖・江戸城をつくった太田道灌が1478年に再興させます。

 

縁結びといえばリア充な出雲の大国主さま

縁結びといえば出雲大社――その認識は60年ぶりだった2013年の遷宮を経て、もはや国民に浸透してきた感があります。

オオクニヌシ(大国主神)が、なぜ恋愛成就の神となったのか?

端的に言うと、オオクニヌシがモテモテのリア充だったからです。

数ある兄弟の中から、絶世のお姫さまに選ばれたり、スサノオという恐ろしい神様のまな娘から一目惚れされて駆け落ちしたり、なかなか奔放な御方です。

恋人だけでなく、名前もたくさんもっています。

八千戈(やちほこ)神

葦原醜男(あしはらのしこお)

顕国玉(うつしくにたま)神

大物主(おおものぬし)神

大国魂(おおくにたま)神

大己貴(おおなむち)神

大名持(おおなむち)神

などなど。

ネタバレをすれば、オオクニヌシとは1人の人物ではなく、アマテラス率いる天孫系の神様に対する「その他大勢」の神様を一緒くたにした神様だからです。

名前もたくさんあれば、奥さんもたくさんいるのも当然。

つまり、オオクニヌシは出雲だけでなく、地方(京都から見た)にはたくさんいるのです。

縁結びをお願いしたくて、出雲まで行かないと焦っている婚活中のみなさん、まずは地元神社の神様がオオクニヌシやオオナムチでないか?をチェックしてみたらいかがでしょう。

また、「大国主」という文字が、仏教の大黒天と結びついて恵比寿様になり、お金の神様でもあります。

出雲大社(島根県出雲市)

いわずもがなの出雲大社。

オオクニヌシをまつっていますが、お祭りしているのは、オオクニヌシに国を譲らせた天孫系の天穂日命(あまのほひのみこと)の子孫であり、出雲国造として現在でも出雲大社の宮司職をついでいます。

神話が現代まで「リアル」として息づいているすごい神社です。

出雲大神宮(京都府亀岡市)

京都府にある出雲の古社で、丹波国の一の宮です。

山陰道の入り口に鎮座するのが出雲の神社というのはなんとも興味深いですね。

日本海側の出雲勢力が京都のすぐそばまで広がっていたということを示す証拠と見ると、とても面白い古代史が描けます。

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