ポーリーヌ

ポーリーヌ/wikipediaより引用

世界史

ポーリーヌの美貌と奔放~ナポレオンの妹がこんなにエロいはずが

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「三歳児を連れて地球の裏側に行くなんてありえないし。兄さまの意地悪」

「そう? でも、クレオール風(植民地)のドレスを着たあなたって、絶対イケてると思うけどな」

「やっぱりそうよね、私もそう思う! 南の島でパーティしまくろうっと!」

おだてられたポーリーヌは、南国行きを楽しみにするようになったのでした。

その先で起こることを知っていたら、そんな気持ちには決してならなかったのでしょうが。

 

「悪疫の地」サン=ドマングで夫を失う

熱帯の地に着いたルクレールは、厳しい態度で反乱軍に挑みます。

一方でルスを守るポーリーヌは、淫らな行為にふけっていたという噂が流れます。

同性愛、夫の部下との情事、比べるために白人と黒人の愛人両方を試す、乱交パーティ等など。ナポレオンも心配して「夫にやきもちを焼かせるようなことをしてはいけないよ」と手紙で諫めています。

ただしこうした噂は誇張されていると思われます。

イギリスの反フランス・ナポレオン一族キャンペーンの一環とも考えられるからです。当時、熱帯の気候は人を淫らにするとも考えられていましたので、それもあるでしょう。

ただしポーリーヌが熱帯での暮らしを楽しんでいたのは確かなようです。

現地住民と開いたダンスパーティは大好評でした。

程なくして、ルクレールは反乱軍を鎮圧します。

しかし、待っていたのは反乱軍の将・トゥーサンよりも恐ろしい脅威でした。

黄熱病です。

日本人にとっては野口英世の命を奪ったものとして知られる、この恐ろしい病が、フランス軍とその家族を襲撃。ポーリーヌとディミルドまでも一時罹患するも、無事回復しました。

しかし大半の人々は病に倒れると命まで奪われてしまうのです。

結果、この疫病の大流行でフランス軍は壊滅的な打撃を受けました。

そして最愛の夫ルクレールもこの病に斃れ、僅か30という若さで帰らぬ人となったのです。

ポーリーヌは栗色の豊かな髪を切り、黒い喪服に身を包みました。

「永遠にあなたを愛し続けます……」

彼女はそう亡き夫に誓いました。

そして残された我が子と防腐処理を施された夫の遺体とともに、母国仏フランスに戻ることになるのでした。

 

黒いヴェールに包まれたフランス一の美女

黒いヴェールに包まれたフランス一の美女――。

まだ22才にして未亡人となったポーリーヌを人々はそう噂しました。

そんなポーリーヌの周囲には、夫を支えた勇敢な女性という声もあれば、南の国で乱交に耽った淫らな美女という声も。ナポレオンはそんな妹を、ゴシップと誘惑から守らねばならない、と考えます。

が、まだ22才で、しかも遊び好き。

美貌を賞賛されていなければ気が済まない、そんな彼女がいつまでも喪に服しているわけもありません。

ルクレールへの永遠の愛とは何だったのか……。まぁ、仕方のないことでしょう。

ナポレオンはイタリア貴族からポーリーヌの再婚相手を物色しました。

とりあえず問題がなさそうだと白羽の矢が立ったのが、28才のカミッロ・ボルゲーゼ大公でした。

地中海風の美貌を誇り、壮麗な馬車を駆るカミッロは女性にとって憧れの的でした。

当時の馬車は維持費が高く、金持ちのステータスシンボルです。

現在で言うところのフェラーリやランボルギーニのような、いやそれ以上の価値がありました。フェラーリに乗るイケメンセレブですね。

ボナパルト家の面々が見守る中、ポーリーヌとカミッロの出会いは演出されました。

しかしナポレオンはカミッロの欠点に気づいていました。

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