戦車やヘリを使い、信玄率いる武田騎馬軍団と戦った映画『戦国自衛隊』に心震わされた歴史ファンは少なくないはず。
※以下は戦国自衛隊の関連記事となります
信玄の恐ろしい戦いを堪能したいなら映画『戦国自衛隊』だ!その迫力いまだ衰えず
続きを見る
あの映画の何が凄いか?って自衛隊の武器ではないでしょう。
戦国時代人たちの価値観です。
現代兵器の圧倒的火力を前にしても全く怯まず、槍や弓、火縄銃を用いて、命知らずで突撃してくる――。
最終的に現代人と中世人の「覚悟の差」「命に対する軽重の差」をこれでもか!と見せつけられ、身震いするばかりでしたが、あれは映画のことだから、と思われるでしょうか?
いえ、現実の歴史にも同様の戦いがありました。
それが南アフリカにおける【イサンドルワナの戦い(1879年)】です。
火器もろくに持たず、槍と棍棒、そして牛革の盾だけの一団が、当時、近代兵器バリバリの英国軍相手に大勝したのでした。
ズールー戦争の緒戦となったこの戦いで、英国軍はズールー族の奇襲に為す術なく壊滅。
第24歩兵連隊に属する6個中隊・合計602人が皆殺しにされてしまいます。
その戦いっぷり、まさに『戦国自衛隊』でした。
お好きな項目に飛べる目次
見た目は原始的ながら合理的な戦いに徹する
英国軍を打ち破ったのは、南アフリカで暮らしていたズールー族の戦士「インピ」たちです。
派手な髪飾りにネックレスといった装飾品をのぞけば、腰みのだけをつけたほぼ半裸。
靴すら履かず裸足です。
前述の通り、武器は槍と棍棒、防具は牛革を張った巨大な盾のみ。
一見すると原始的にすら見える彼らに、なぜ火器で武装した英国軍が圧倒されたのか。
実はこのインピたち、装備面以外は、ほぼ近代軍に近い先進的な集団だったのです。
インピの外見は、合理性や緻密な戦略からはほど遠いように見えます。
彼らは魔術の薬を使えば弾丸を防げると信じ、防御にはまるで役に立たない羽根飾りをつけているのです。
しかし、そんな外見とは裏腹に、彼らは合理的な戦術に基づいて行動していました。
一日32kmを踏破 英国軍の倍のスピードだった
インピの戦士は40才まで。
18-20才になるとズールー族から徴兵され、兵舎での共同生活を送ります。
まさに職業としての軍人というわけです。
彼らは「連隊」単位で行動するよう義務づけられ、派手な装飾品も連隊ごとに色分けされていました。
戦士の一団は年齢ごとに分類されているため、同程度の身体能力のものが集まります。
その身体能力は極めて高いものでした。
脱げやすいサンダルは履かずに、厳しい訓練の成果でガチガチになった裸足で、一日32キロメートルを踏破。これは当時の英国軍のおよそ倍のスピードにあたります。
食料は掠奪に頼っており、輜重部隊がないことも行軍速度の高速化の一因となりました。
「信賞必罰」が強い軍隊には必要とされますが、インピも例外ではありません。
ライバルの戦士同士が切磋琢磨しあいました。
「敵の血で槍を洗った」、つまり敵を殺した者は、最高級の頭飾りを身につけることができました。
勲章のようなシステムであり、彼らの誇りとなったでしょう。
密集した陣形「牛の角」と諜報を巧みに使い
また、彼らは「牛の角」と呼ばれる合理的かつ密集した陣形を用いていました。
「角」両翼の部隊(敵を包囲する)
「胸」中央突破部隊
「腰」中央で控える予備部隊
「インピ」は斥候を放ち、ジックリと遮蔽物を利用しながら敵に近づき、射程距離まで来ると「投槍」や「掠奪した火器」で遠距離攻撃をしかけ、相手が崩れたところで一気に突進します。
彼らの軍事行動は合理的であり、優れた戦術を用いていました。
諜報も彼らの強い味方。
降伏した敵兵や斥候に主力部隊を煽動させ、敵に奇襲を仕掛けるのです。
イサンドルワナの戦いも、彼らは奇襲攻撃により勝利したものでした。
確かにこれは、強いでしょう。
そして何より重要なことは、彼らが、かつて強力な指導者に率いられていたことです。
その名はシャカ。
イサンドルワナの戦いから遡ること約100年前に、彗星の如く現れた軍事指導者によってズールー族の戦術は一変し、南アフリカに一大勢力を築いたのでありました。
※続きは【次のページへ】をclick!