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【シンガポール陥落】
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負け濃厚ながら急遽オーストラリアから増兵あっても
こんな調子でしたので、開戦後の展開も実に惨憺たるものがありました。
マレー半島のペナンを放棄するに当たり、軍の施設を十分に壊さないままだったので、占領した日本側に早速利用されてしまった事などは、その最たる例でしょう。
特に放送施設を破壊し損なったのは致命的で、
「一週間しないうちに、激烈な反英宣伝の奔流が流れ始めた」(80ページ)
ようです。
しかも「ペナンから避難できる民間人は白人に限る」という通達を日本側は入手。
それをどう利用したかは、書くまでもありませんね。
文字通りのキラー・コンテンツです。
急遽オーストラリアから増援が到着したのが1942年1月23日ですから、戦いの大勢が決まりつつあった頃です。
諦めが悪いのは賞賛できるかもしれませんが、問題は兵士の質でした。
「彼らは金曜日に召集され、次の週にはマレー行きの船に乗せられた」(豪州軍司令官、H・ゴードン・ベネット少将)
そんな兵士たちに答えを出せというのが無理な相談でしょう。
一矢を報いた唯一の存在が、中国系のゲリラ部隊だったというのは、もはや悲劇を通り越して喜劇ですらあります。
準備の拙劣さ、事後の対応の酷さは……
なお、本書は2007年8月の発行です。アマゾンでは1円で売られていました。
新刊として読んだ当時は、1人の日本人として痛快さを感じなくも無かったのですが、今読み返すと、どうしても日本における様々な政治的対応の稚拙さと重なってしまいます。
準備の拙劣さ、事後の対応の酷さ。歴史は繰り返すものですね。
著者によると、戦後永らくシンガポール陥落を調査する政府委員会は開かれず、1957年になってようやく公式の政府報告書がまとめられたそうです。
どこの国も、大失態に向き合えないようです。
英国にもまた、ムラ社会があるとなるのでしょうか?
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南如水・記
【参考】
『シンガポール陥落 (光人社NF文庫)』(→amazon)