徳恵翁主

徳恵翁主(右の写真は1925年・13~14才の頃に撮影したもの)/wikipediaより引用

アジア・中東

朝鮮王朝のラストプリンセス・徳恵翁主~心を闇に閉ざされた悲しき後半生

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入院と離婚

終戦時、徳恵は33才になっておりました。

夫の武志は37才で、娘の正恵は13才。

1947年(昭和22年)には、華族が身分を失い、宗家も伯爵家ではなくなります。

李王家の人々も、皇族に準じる地位を追われ、祖国は南北に分裂し、激しい戦いに巻き込まれました。

【朝鮮戦争】です。

このころ既に、徳恵は松沢病院に入院させられていました。

1950年(昭和25年)には、韓国人記者の金乙漢が、松沢病院にいる徳恵と面会しております。

やつれた様子で、うつろな目をした翁主。

彼女の姿を見た金乙漢の目から、涙がこぼれおちました。

「高宗が愛した翁主が、このような痛ましいお姿になられて……」

金乙漢はとらわれの翁主を救うべく、ジャーナリストとしてペンを執ります。

彼の義憤に満ちた記事を読んだ人々は、ただちに解放し帰国させるべきだという思いを強くしたのです。

そうなると、宗武志とは離婚せねばならず、徳恵本人が知らぬところで離婚協議が進められ、1955年(昭和30年)に成立します。

妻を精神病院に入れていた冷酷な夫――武志は、そんな非難を浴びましたが、彼としても経済的困窮という、やむにやまれぬ事情がありました。

宗武志は詩集を刊行しています。

愛のない政略結婚と思われがちな二人ですが、武志は妻を愛していたようで、彼女との別離を悲しむ作品が多く残されています。

 


近くて遠い祖国

離婚が成立した徳恵は、「李徳恵」ではなく、母方の姓をとって「梁徳恵」となりました。

朝鮮王朝の王女(公主または翁主)が離婚するのは、彼女が初。そのため、一族の恥という意識があったのかもしれません。

離婚したら簡単に帰国できるのか?というと、そうではありませんでした。

時の権力者である李承晩は、李氏王族に対して冷淡な態度を取っていたのです。李承晩自身が、先祖をたどれば李氏と同族であったとされます。

李承晩は、王族が担ぎ上げられて権力を握る可能性を考えていたと思われます。

そのため徳恵の兄である李垠も、帰国を妨害されました。

結局、王族の彼らが帰国できたのは、李承晩政権が倒されてからのことです。

1962年(昭和37年)、金乙漢らが尽力し、徳恵はついに帰国。

周囲は感動していましたが、彼女自身は自分がどこに向かうのかすら、わからない様子でした。

38年ぶりに故郷の土を踏んでも、何の感慨も浮かばず、足下はふらついています。

かつて彼女に仕えた乳母や尚官(女官)らが空港で出迎え、彼女は尚官たちが捧げる花束を受け取りましたが、やっぱり虚ろな目を浮かべています。

「おいたわしや、翁主……」

人々はそんな徳恵の姿に、悲しみを覚えるのでした。

 


まるで忘れ去られたかのように

徳恵の行き先は、王宮でも家でもなく、療養先のソウル大学病院でした。

そこで7年間も療養しながら、症状は一向に改善しません。

徳恵にとって終の棲家は、昌徳宮の一部である寿康斎でした。

兄・李垠の死を告げられても何も理解できない徳恵の様子は、痛ましいものです。

最晩年の徳恵は、テレビを見て、時折アリランを口ずさんでいました。

その様子は、まるで幼子――彼女は日本で娘の正恵が行方不明になったのち死亡したことも、夫の宗武志の再婚も死も知らず、閉じた心の中で生きていました。

そして1989年(昭和62年)、看護人二人に見守られ、徳恵翁主はひっそりと永眠。

忘れられたような翁主の死を、人々は悼みました。

その亡骸は、父・高宗の側に葬られます。

若くして祖国を離れた寂しさから、口を閉ざし、そのうち心まで閉ざしてしまった徳恵翁主。

かつて日本においても「童謡の姫さま・徳恵姫(とくえひめ)」として親しまれていたにも関わらず、まるで忘れられたかのようです。

高貴な王族に生まれたため、翻弄されてしまった人生は、まさに悲劇のプリンセスといえるのではないでしょうか。

※映画『ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女』予告編。ただし、本作は脚色がかなりあります


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから(→link

【参考文献】
本馬恭子『徳恵姫―李氏朝鮮最後の王女』(→amazon

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