こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【英国領インドの飢饉】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
「貧乏人を助けたら自立しない」という詭弁
実はインド人にもともといた支配者たちは、備蓄食料を蓄えていました。
経験的に干ばつが起こると危険なことを知り、備えていたわけです。
しかし、支配者であるイギリス側はこうした食料を売り払い、換金してしまいます。
彼らに言わせれば金を儲けるために植民地を経営しているのですから、それが当然なのでしょう。飢えた人々に食料を配っても儲けにはなりません。
さらに彼らは、イギリス流儀の「貧民の救済」理論を植民地にも適用しました。
「貧乏人が貧しいのは、怠惰ゆえの自己責任!」
人がゴミのようだ!った英国「救貧法」地獄のブラック労働とは?
続きを見る
飢えて死ぬのが嫌ならば働け、というわけです。
彼らは食料を求める人々に対して「食べ物が欲しいなら働きなさい」と言いました。
そして厳しい労働の待ち受ける労働キャンプに送り込みました。
この労働キャンプで働くことができるのは、身体の頑健な人々に限られます。健康を害した弱い人が飢えていたならば、結果は言うまでもないでしょう。
食糧配給のある労働キャンプへ向かう人には、たどり着けずに亡くなった人々の屍がいくつも転がっていました。
彼らはこうした残酷な仕打ちをこう正統化しました。
「貧乏人を救うと彼らは怠惰になる。助けてもらって当然だと思うようになる」
「飢えた人々を救えば、彼らは子供を産みさらに増える。そうなったら飢える人々も結果的に増えるのだ」
そう考えた彼らの配給食料はどんどん減っていきました。
ナチスの強制収容所よりも摂取カロリーが少なかったとする説もあるほどです。
植民地主義の罪
イギリスがインドを植民地にしていた二世紀の間で、2600万人もの人々が餓死したという説があります。
こうした統計は取るのが難しいものです。
武器を取って虐殺したような事例とは異なり、見えにくくもあります。
また、飢饉は「天災」だから不可抗力であるという見方も根強くあります。
これはイギリス領インドに限ったことではありません。
1845年から1852年にかけて、アイルランドではジャガイモが病害により壊滅的な被害を受け、飢饉となりました。
にも関わらず、イギリス政府はアイルランドからイングランドへ食料を輸出し続けました。
インドもアイルランドも、植民地経営において現地人の生活よりも、支配国の経済を優先させたことが根底にあります。
「植民地支配は何も悪いことばかりじゃない。インフラだって整備した」
このようなロジックはしばしば口にされる話ではありますが、植民地主義には現地から搾り取って支配国を豊かにするという構造がありました。
支配される側からすれば「結局搾り取って利益を得たいというのが本音だろう」と不満が出るのは当然です。
植民地主義というのは結局のところ「貧しい国を整備してあげましょう」という慈善行為ではないのですから。
植民地が消滅した21世紀においても、多国籍企業が現地民の生活インフラを破壊しながら利益を追求するような搾取構造はまだ残存しています。
イギリス領インドの飢饉は過去のものではなく、経済的利益の過度な追及は人々の命すら奪いかねない――そんな教訓として、今日でも有効なのです。
※飢餓の恐ろしい惨状を表す画像がウィキペディアに掲載されております。凄絶ですので自己責任でご確認ください→コチラ
あわせて読みたい関連記事
大英帝国全盛期の象徴・ヴィクトリア女王はどんな人で如何なる功績があるのか
続きを見る
天明の大飢饉は浅間山とヨーロッパ火山のダブル噴火が原因だった
続きを見る
隅田川花火大会の歴史はいつからかご存知?それは1732年享保の大飢饉から始まった
続きを見る
大英帝国全盛期の象徴・ヴィクトリア女王はどんな人で如何なる功績があるのか
続きを見る
人がゴミのようだ!った英国「救貧法」地獄のブラック労働とは?
続きを見る
文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
マシュー ホワイト/住友進『殺戮の世界史: 人類が犯した100の大罪』(→amazon)