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【科挙】
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やっと念願の科挙に合格したぞ!
この「挙試」まで合格すると、晴れてウルトラエリート「挙人」になります。
この時点で一応「あがり」。
しかし試験そのものはさらにあります。
・挙人会試
・会試
・会試履試
・殿試
ここまであるのです。
ただし、時代によって異なっており、皇帝の前で受ける「殿試」はまさにミラクルエリートの試験です。
トップ3はそれぞれ一位からこう呼ばれました。
1. 状元
2. 榜眼
3. 探花
彼らは現代ならば北京大学主席卒業くらいのスーパースターでしょうか。
もし独身であれば「うちの娘をもらってくれ!」と、有力者たちが押しかけてきます。
関東料理には「状元及第粥」という、レバー入りのお粥があります。
その昔、これを食べていた受験生が状元になったことが由来の一説です(状元及第粥・百度の検索結果へ)。
現代でも中国では大学入試の主席合格者を「状元」と呼ぶことがあり、伝統として根付いているのと感じます。
挙人になったは、よいけれど
スーパーエリートになることを人生の目標として生きてきた、中国の受験生たち。
しかし、合格すれば人生バラ色とはならないところも難しい。
合格した時は既に70を超えていた、なんて場合は、青春と人生を試験勉強に費やして終わってしまっているわけです。
合格時点で燃え尽きて、官僚になって出世するどころではありません。
では、若くして合格すればよいか、というとそうでもなく……。
試験に強いけれども実務能力がない人も含まれているわけで、役人として大成できるかどうかは、また別の話なのです。
武官には「武科挙」という試験がありました。
ただし格がかなり落ちる試験で、武科挙合格者よりも、科挙合格者の方が上級の指揮官になることもあります。
人生の大半を試験勉強で費やした者が軍隊を率いて大丈夫なの、と不安になってしまいますね。
中には意外な才能を発揮して名将になる人もいましたが、まったく駄目な人も当然いるわけです。
明代の周延儒は、十代で状元になるという、とんでもない神童ぶりを発揮しました。
しかも、ルックスもイケメン。
それでも彼の人生のピークはそこまでだったかもしれません。
その後軍の指揮を任され、まったく使い物にならなかった挙げ句、功績を偽装して最後は死を賜ってしまいます。
死語、彼の列伝は『明史』の列伝で「奸臣」に分類されました。
なんとも悲しき生涯です。
科挙だけが人生じゃないんだぜ
「実務能力はないけれど、運と試験への適性がある」
その反対があるとすれば、
「実務能力はあるけれど、運と試験への適性がない」
になりましょうか。
そんな人物は、試験対策の教師になったり、参考書を書いたりして、生計を立てていました。
中でも才能がずば抜けていると、別の形で歴史に名を残すこともあります。
明代の唐寅は、肉屋の息子ながらも神童と名高い少年でした。
29才で南郷解試に主席合格し「解元(郷試主席合格者)」として殿試に挑みます。
しかし、どうやらカンニングか不正行為に巻き込まれ、投獄された挙げ句、受験資格永久停止とされてしまいます。
「やってらんねえ! もう役人になんかならねえぞ!!」
ヤケになった唐寅ですが、人生捨てたもんじゃありません。
彼はその明るい人柄が故郷で大人気ですし、何よりずば抜けた才能がありました。
絵も文章も書も抜群にうまいということで、彼の作品はすぐに買い手がつきました。
かくして彼は、定職につかずとも、素敵な友人や妻にも恵まれ、優雅で楽しい人生をエンジョイできました。
中央で官僚として生きるよりもはるかに自由で楽しい人生が、落第したからこそ待っていたのです。
明代は政治腐敗が激しく、せっかく科挙に合格して官僚になっても、政変に巻き込まれて命を落としたり、宦官相手に頭を下げたりしなければならないという、官僚受難の時代でした。
唐寅のようにのびのびと好きなことをして才能を伸ばした方が、真の勝者と言えたのかもしれません。
現代でも彼は有名かつ大人気です。
その作品は目玉が飛び出るような高値で取引され、映画やテレビドラマの題材にも取り上げられます。
日本でも人気の周星馳が演じたこともあります。
受験勉強の豊かな副産物
科挙に合格しなかったものの、試験勉強を通して文才を身につけた人々は多数おりました。
彼らは文人や画家として名声を得た者も多いのです。
科挙による人材の選抜は、中国文化をより豊かにするという素晴らしい副産物もうみだしています。
明末の馮夢竜は、文才に恵まれており、小説家やエッセイストとして成功をおさめました。科挙を受験し続けるも、どうにも要領が悪かったのでしょうか。唐寅といちがい、科挙の前段階である「院試」合格の「生員」どまりでした。
それでも「生員」の中でも優秀だとみなされた「貢生」として認められます。
そして、還暦を過ぎてからやっと知県として行政に関わっています。
彼は自分の領地内で女児の間引きを禁止するという、人道的な政策を行いました。
馮夢竜は明が滅亡すると職を辞し「明に殉じた忠臣」として名声を高めました。
なんとも人生とは皮肉であると言えましょうか。
そんな馮夢竜の著作は、日本の文芸にも影響を与えています。
落語の「饅頭こわい」、「野晒し」は、彼のまとめた笑話集『笑府』収録の作品を翻案したものです。
華やかな美少年状元としてエリートコースを歩んだ周延儒は、奸臣として名を残す一方。
生員どまりの馮夢竜は、明に殉じた忠臣として名を残しています。
科挙そのものも興味深い制度ですが、合格した者、しなかった者の人生模様もまた、なかなかドラマがあって興味深いものです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
宮崎市定『科挙―中国の試験地獄 (中公新書 (15))』(→amazon)