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【中国料理(中華料理)の歴史】
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美食を楽しんでこそクール&ルールだ!
美食を楽しむことはよいことなのか?
それとも悪いことなのか?
これには、いろいろな考え方があります。
ヨーロッパの場合ですと、宗教改革の結果、真っ二つに分かれました。
カトリック:美食に凝って何が悪いの? いいじゃないの
プロテスタント:美食に凝るとか、軽薄でありえないから
実はこうした結果は、戦争や歴史にも影響があります。
ナポレオン戦争の後半にある「半島戦争」においては、フランス軍とイギリス軍が対峙します。
ここで、両者のグルメへの対応が明暗を分けます。
◆フランス軍
「戦場で食料を得るのは大変だ! だが、俺らは工夫して美味しく食べられるんだぜ」
「だよな!」
「こりゃうめえ!」
◆イギリス軍
「戦場で食料を得るのは大変だ。しかも、俺らは調理できねえ!」
「もうダメ、マジで腹減った……」
「ここで終わりかもしれない……」
まぁ、結果的にはナントカ、半島戦争ではイギリス側が買ったとはいえ、こういうこともあるんです。
しかしこれは日本人もイギリス人を笑えた義理じゃありません。
「武士は食わねど高楊枝」と、言うではありませんか。
井伊直政は、若い頃食事に苦労して、「醤油ないですかねえ」とボヤいたところ、周囲から小馬鹿にされたそうです。
「武士は粗末な食事で耐えてこそでしょ!」というわけ。
確かに細川藤孝(細川幽斎)や伊達政宗のように、グルメを極めたい人もいるにはいました。
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しかし、天下を取ったのは「飯なんてものは食えればいいんだ!」という三河武士です。
贅沢は敵だったんです。
その点、中国は違います。
「孔子の教えにもある通り、贅沢はダメだけれども、その土地にあるグルメを存分に味わってこそってやつなんですよ!」
そんな考えを実行に移した代表格が、北宋の天才・蘇東坡です。
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彼だけではありません。
例えば清の袁牧も、グルメについてまとめた『随園食単』を刊行しております。
『随園食単』は、西のジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン『美味礼賛』と並ぶ、究極のグルメ本として名高いものです。
ただ、こうした美食礼賛の思想は、プレッシャーともなりえます。
中国の文人¥士大夫は
「琴棋書画(※琴・囲碁・書道・絵画)」
が出来てこそとされます。
大変です。
科挙合格も目指しながら、数々の素養とグルメを身に着けねばならないんですから。
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要は、勉強だけでなくグルメでまでチェックが入るんですね。
「あの人は、あのお店に入ったらしいよ」
「あの人が好きなメニューは、絶対に食べたいよね」
「あの人って、料理人をちょっとえこひいきし過ぎている」
「ガッカリだよね。食事マナーがなっていないなんて」
とまぁ、こんな風に言われ続け、辛い。
だから鍛えるしかない……てなわけで中国で食文化が発達するのも納得がいきます。
確認される項目は、こんなところですね。
・きちんと料理人を扱っているのか?
・あまりに美味い料理を作るからと、料理人に高い地位を与えていないか?
・宴席マナーはちゃんとしているのか?
・来客にきちんと料理をふるまっているのか?
・過剰な贅沢をしていないか?
・食品衛生に注意しているのか?
・旬の食材を使っているのか?
・食器もチェックポイント! 料理にあっていない食器はダメ
・酒ももちろんチェックの対象です
いかがでしょう?
厳しいですよね……。
(゚A゚;)ゴクリと飲み込みながら先へ進みましょう。
食べ物をケチったばかりに国滅ぶ
美食の世界って、実は無茶苦茶厳しい。
フランスでも、あまりの厳しさに死人が出たケースもあります。
宴席の食事を準備していた料理人フランソワ・ヴァテール。
彼は魚介類の到着遅延に気を病み、自殺してしまうのです。
狂乱のパリピ・石崇も、宴席でホステスを殺害しまくりましたが、これだけではありません。
中国には、こんな言葉があります。
「民以食為天(民は食をもって天となす)」(『漢書』孟子の言葉)
食を重んじればこそ、民は食べることこそ天下とする。つまり、食に手を抜いたらそりゃもうダメよ、ということです。
これが本当に大変で。
食べ物をケチったばかりにとんでもないことになった事例をご紹介しましょう。
『春秋左氏伝』より宋・華元の場合
華元は、敵を迎え撃つために慰労会を開催。
しかし、自分の御者である羊斟に、羊の羹(あつもの・スープ)を食べさせることをうっかり忘れてしまいました。
戦場で、イライラが頂点に達していた羊斟は、主人である華元にこう告げます。
「あなたは誰に羊を食べさせるか決めましたけど、今日の勝敗は俺が決めますんでッ!」
そう言うと、戦車を敵陣に突っ込ませたのです。
華元は戦死し、宋は大敗してしまったのでした。羊のスープ一杯のせいで……。
『戦国策』司馬子期の場合
中山国のある宴で、司馬子期だけはむっつりしていました。
彼だけ、羊の羹がなかったのです。
「もういい、俺は楚に行くからな!」
キレた司馬子期は、楚に亡命。
中山国を攻めるよう進言し、実行に移したのでした。
中山国の王は逃亡しながら、こうぼやきました。
「たった一杯の羊スープのせいで、滅亡かよ! どういうことなんだよ!!」
「食い物の恨みは恐ろしい」という言葉がありますが、国の存亡が左右されていて、それどころではないと言いましょうか。
こういう古典を読んでいる中国の人々が、
「たかが食い物ごときで」
と思うわけがありませんので、気をつけましょう。
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