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【王莽】
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通貨のクセがスゴすぎて どう見ても使いづらい
実力のないハリボテ王莽が、周公旦気取りで行った王朝「新」(8-23)。
まるでコスプレごっこでありますが、何が悲惨かって自身が猿真似であることを忘れてしまい、何かやれば聖人君子のようにウマくいくと本人すら騙すようになってしまったことでしょう。
彼は次々に
・非現実的な理想先行の経済政策
・横柄な態度で異民族に臨んだ外交
・次から次へと発行される貨幣
といった政策を実行し、人々を大混乱に陥れ、流民を溢れさせました。
目に見えてわかりやすいのが、このクセのスゴい貨幣でしょう。
こうした王莽の政策を「革新的だ」と評価する動きもあるようですが、どうなのでしょうね。
例えば通貨も、カタチそのものより信用が大事なわけであって。
いくら考え方が革新的でも、実行に移して結果が出ないなら、それはやっぱり失敗でしかありません。
こうした状況に対して、全国各地で反乱が頻発。
王政権に、致命傷を与えたのが「赤眉の乱」でした。
反乱が起こり オカルトグッズで対抗だ
キッカケは些細なことです。
息子を役人に殺された呂母という女性がおりました。
彼女は、居酒屋を経営していて、酒代を奢るかわりに息子の仇討ちをして欲しいと、地元の気のいいお兄ちゃんたちに声を掛けたのです。
お兄ちゃんたちは役人を殺して仇討ちを果たし、呂母も満足しながら世を去りました。
しかし、彼らは解散しようとしません。
「いっそ、このまま世直ししちまおうぜ!」と、ノリで眉毛を赤く染めて、反乱軍として挙兵するのです。
そこへ、腐りきった政治に腹を立てていた、若者が続々と合流。
新王朝に攻撃を仕掛けると、王莽の取り巻き達は、アッサリその場から逃げ出しました。
では、迎え撃つ王莽は何をしたか?
というと、これがなかなかのズッコケで、「威斗」というオカルトグッズを製造し、親衛隊に持たせたりしています。
掲げて呪文をとなえれば、反乱軍がたちまち退却する――そんなふれこみでしたが、いや、これはどう考えてもアウトでしょ。
長安に押し寄せた反乱軍を前にして、王莽は「威斗」を手にしながら逃げ惑うところをメッタ斬りにされて最期を迎えました。
享年69。
反乱が起こる中 オカルトに走る王莽
王莽に同情の余地はありません。
しかし、平帝の皇后であった王莽の娘は気の毒です。
彼女は漢王朝が復興したら人々に会わせる顔がないと恥じ、燃えさかる炎に身を投じて自殺しました。
赤眉軍も、目的を果たすと指揮系統がめちゃくちゃになり、長安で遊び呆けてしまいました。
そんな彼らとは別に挙兵していた緑林軍が赤眉軍を倒し、世の中に平和が訪れます。
緑林軍を指揮していたのは、イケメンのナイスガイ劉秀。
漢王朝の血を引く男でした。
彼は皇帝に即位し、漢王朝を復興させ、「後漢」の光武帝となります。
王莽というのは、なんともくだらなくて、ハリボテのような嫌な奴だと思います。
人気取りと権力奪取だけに長けていて、中身は何もないような男です。
しかし、あなたの周りにもプチ王莽がいるのではないでしょうか。
上に取り入ることだけが上手で出世する無能上司とか。
人気取りだけで妙に上手で、当選したのはよいものの、ろくに実績をあげない政治家とか。
王莽がオカルトに奔った話も、笑い話だけにはできないと思います。
21世紀を生きる私たちもマイナスイオンや水素水に高い金をつぎこんでしまったりするわけで。
私たちは、王莽の話が笑い話ではなくて、痛い話として共感できる時代に生きているのかもしれません。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
井波律子『裏切り者の中国史 (講談社選書メチエ)』(→amazon)