近年、日本の10月の風物詩はハロウィン一色となりました。
街ではオレンジ色の「ジャックオーランタン」があちこちで飾られ、週末ともなれば若者たちが渋谷で大仮想パーティ。
警察まで出動する騒ぎとなっておりますが、ハロウィンの起源がもともとケルトの祭りであることなど、おそらくや彼らの誰も知らないでしょう。
この祭りは、スコットランドやアイルランド、ウェールズなど、ケルトの文化を色濃く残す地域で続けられてきました。
※以下はハロウィンの考察記事となります
なぜハロウィンでは仮装をするのか?古代ケルト人の収穫祭「サフィン」が発展して
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ところが、ところが、です。
同じく英国においてイングランドだけは、同時期、ハロウィンよりも人気の高いイベントがありまして。
それが11月5日に行われる【ガイ・フォークス・ナイト】です。
ガイ・フォークスという男の人形をひきまわしながら、花火をあげ、火をたく――
という、一行で説明されても「何がなんだかサッパリわからん(´・ω・`)」という同イベント。
実は、凶悪な爆弾テロ事件が未然に防がれたことを記念する日です。
詳細を見て参りましょう。
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妖精と喩えられた名君エリザベス一世も晩年になれば……
ときは1603年。
日本では江戸幕府が開かれた年。
イギリスの偉大なる女王エリザベス一世が崩御しました。
妖精と喩えられるほどの名君だったエリザベス一世も、晩年になると、国民はその治世にただよう暗さを感じていました。
独身だった彼女の宮廷に家族はおらず、寂しい限り。
肖像画の中では衰えない美貌も、実物はそうではありません。
美しい髪は抜けました。
真珠のごとく白かった歯も、砂糖を長年大量摂取したため虫歯になってボロボロでした。
そして、いざ彼女が亡くなると、
「女王崩御! 新王陛下万歳!」
国民たちは、スコットランドから大急ぎでロンドンに辿り着いた新王ジェームズ一世を大歓迎するのでした。
処女王のあとにやってきたのは変人王
宮廷には、ジェームズ一世が連れてきた、若い王女や王子が加わりました。
国民たちは年老いた女王の元で忘れかけていた、若さあふれる宮廷の華やかさを思い出したのです。
しかし間もなくして、宮廷には奇妙な雰囲気が漂い始めます。
まず国民は、王室のメンバーが増えると言うことの意味を知りました。
老女王一人だけの頃と比較すると、王室の使う額は大幅に増加。ジェームズ一世の王妃アンは浪費癖が激しく、湯水のようにバンバン贅沢三昧をしているのです。
スコットランド王がイングランド王も兼ねるようになれば、そりゃ生活レベルは跳ね上がるワケで、浮かれてパーッと浪費しても仕方の無いことかもしれません。
国民は、そんな彼女のことを「アホの王妃」と容赦ない言葉で呼ぶのでした。
ジェームズ一世にも問題がありました。
彼は風呂嫌いで、体はいつも垢で薄汚れていました。さらにジェームズ一世は、大変なセクハラ気質でした。
人の目の前で自慰行為をし、下劣な冗談を口にするのです。見せられるほう、聞かされるほうはげんなりします。
そして、ジェームズ一世はバイセクシャルでした。
宮中で好みのイケメンを見つけると、人が見ていようが抱きつき、唇を重ね、愛撫するという、非常にタチの悪い人だったのです。
デュマの小説『三銃士』に登場することでも知られる、バッキンガム公爵ジョージ・ヴィリアーズは、王の寵愛をいいことに、いろいろな意味でやりたい放題となります。
『三銃士』の作中で、彼の暗殺は悲劇として扱われていますが、実際には奸臣と見なされており、その死は国民から喝采を浴びています。
ただし、バッキンガム公のリアクションは、あくまで例外。
大半の家臣は王のセクハラに激怒し、軽蔑の目を向けていました。
「あーあ、エリザベス女王の方がよかったなぁ……」
「なんやねん、あのアホの嫁はんは」
「イケメンのケツを追い回すゲス王なんて聞いていないぞ!」
国民は彼にそう漏らすようになります。
イングランドの宗教問題は混沌を極める
かような状況の中、彼に最も不満を感じていたのが、カトリック教徒たちでした。
イングランドの宗教は、エリザベス一世の父であるヘンリー八世以来、ジグザクを描くように混沌とした状態に陥っていたのです。
ヘンリー八世は、エリザベス一世の母であるアン・ブーリンと結婚するため、離婚を認めないカトリックと袂を分かちます。
修道院に解散を命じ、その財産を没収してしまいました。
ヘンリー八世の後、エドワード六世の短い統治を経て、ヘンリーの長女であるメアリー一世が即位します。
彼女の母キャサリン・オブ・アラゴンは、スペイン出身の敬虔なカトリック教徒でした。
母とその祖国を愛しているメアリー一世は、イングランドの宗教を再びカトリックに戻します。
そして彼女は断固たる態度を見せるため、反対するプロテスタントを火あぶりにしました。
そんな苛烈な態度と親スペインの態度は国民の反発を買いました。
メアリー一世は、本来、気品も思いやりもある女性でしたが、反対派を焼き殺していては、そうは思われません。
「血まみれメアリー」
そんな名前で彼女は呼ばれるようになってしまったのです。
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