こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【エドワード8世】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
多趣味が女性関係にまで
エドワードは一般社会にも脅威を持ち、国内の工場などを訪れて、失業問題に関心を示しました。
一方でタバコを吸う所を新聞社に撮らせたり、ラジオに出演したり、スポーツを好んだりと親しみのあるところも診せたため、国民から人気を集めています。
オーストラリア訪問の際にはアボリジニへの差別発言を発してしまうなど、悪い意味でこの時代の白人の特徴も持っていました。
この他にもエドワードの趣味は多々ありましたが、その中で問題となったのが女性関係。
独身相手ならまだしも、既婚女性ばかりと交際していたのです。
母や乳母が厳しかったために母からの愛情を感じ取れず、母性を求めていたのでしょうかね……。
紳士的な外見と女性関係の多さから、「世界で一番魅力的な独身男性」とまで言われていました。
父王ジョージ5世も、人妻ばかりと交際することについては倫理的に問題がありすぎるので苦言を呈していました。
しかしエドワードの”癖”は変わりませんでした。
特に1931年頃から始まったアメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの交際は熱烈そのもので、彼女に離婚してもらって妃に迎えようとするほど。
彼女にはエドワードと出会う以前にも離婚歴があり、色々な面から「次期国王の妻にはふさわしくない」とみなされていました。
当然父王も大反対し、父子仲が最悪に……。
問題続きの中で即位するも
そうこうしているうちに、ジョージ5世の体調が急激に悪化してしまいます。
1936年1月に首相のスタンリー・ボールドウィンが見舞いに訪れると、王は「息子は私の死後1年以内に破滅するだろう」とつぶやいたそうです。
おそらく、エドワードがこの時点でもウォリスとの関係を続けていたからでしょう。
程なくしてジョージ5世が亡くなり、エドワードが王位を継ぎました。
エドワードは一応独身のままでしたが、王の最大の責務は世継ぎを設けること、そのためにふさわしい妻を迎えることです。
立憲君主制になっていたとはいえ、国の象徴は存続し続けねばなりません。
しかし、エドワードはどうしてもウォリスを諦められませんでした。
即位式ではウォリスが付き添ったものの、前述の理由で王妃候補としてはみなされません。
しかしエドワードは諦めず、旅行に同行させたりペアルックで公の場に現れたりと、アピールを続けました。
また、ウォリスの夫に離婚を迫るなど、強硬策にも出ようとしていました。
しかし、ここでウォリスは別の男性との関係も疑われ、国教会・王族・議会の全てが二人の関係に大反対。
さらにエドワードがファシスト寄りの言動をしたため、ますます世間の批難を浴びました。
ここまでくるとエドワードかウォリスのどちらかが諦めてもおかしくはありませんが、二人は全く引きません。
エドワードは、ウォリストの関係を認めてもらうべく、ラジオで演説しようと考えましたが、草稿の時点でボールドウィン首相に大反対されました。
これをきっかけにエドワードは愛を取り、王位を捨てることを決意。
1936年12月11日夜にBBCのラジオで退位に関するスピーチをします。
「愛する女性の助けと支えなしで、国王としての義務を果たすことはできない」
そして退位を表明しました。
この件が「王冠を捨てた恋」として語り草になっているものです。
在位はわずか325日ですので、一年ももたず戴冠式もしていません。
こうしてエドワード本人は割とスッキリしたものの、突然王位を押し付けられることになった弟のジョージ6世は、思い悩みながら国王としての役目と責任に向き合うことになります。
当人たちのロマンスとしては劇的ですが、近親者からしたらたまったものではありませんよね。
ジョージ6世は映画『英国王のスピーチ』で描かれたように、生まれつきの病弱さと吃音がありました。
しかし、治療を受けて克服したという努力家。
持ち前の忍耐力で第二次世界大戦中のイギリスを支えていくことになります。
※続きは【次のページへ】をclick!