エドワード8世/wikipediaより引用

イギリス

「王冠をかけた恋」を選んだエドワード8世 英国王を325日で退位して問題行動連発

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退位後

話をエドワードに戻しましょう。

ラジオで退位を表明した翌12日、エドワードはポーツマスから船で出国し、オーストリアやフランスでしばらく暮らしました。

王室としては、さぞかし扱いに困ったでしょう。

1937年3月に「ウィンザー公」の称号、そして生活費の援助をしています。

離婚手続きを済ませたウォリスとは同年5月に再会し、6月3日にこぢんまりとした結婚式を挙げています。

ちなみにこの日はジョージ5世の誕生日でもあり、父親が好きなのか嫌いなのかよくわかりませんね……。

ユーゴスラビアでウォリスとともに休暇を過ごすエドワード8世/wikipediaより引用

そして「その後は幸せに暮らしました」と〆たいところですが、エドワードはこの後もイギリス王室と政府をしばらく悩ませることになります。

前述の通り、退位後のエドワードはイギリス王室から年金をもらって生活していました。

しかし1937年、「アドルフ・ヒトラーに招かれてドイツを訪問する」というやらかしをしてしまうのです。

これでは「ヒトラーの協力者の生活費をイギリス国民が払っている」も同然。

当然、イギリス政府や王室、国民から批判を浴びました。

1939年にドイツがポーランド侵攻を開始すると、エドワード夫妻は強引に帰国させられますが、イギリス滞在や軍への所属を拒否してヨーロッパ各地を放浪。

1940年にはヒトラーが「イギリスに対して和平交渉をする用意があるが、この提案を無視するならイギリス本土を攻撃する」と発言したことを受けて、エドワードはイギリス政府に和平を呼びかけました。

それ自体がドイツのシンパ同然であり、一体なにを考えていたのか……。もしかして状況を理解できてなかったのかもしれません。

首相ウィンストン・チャーチルは「この人を放っておいたら、無駄に引っ掻き回される」と判断。

ウィンストン・チャーチル/wikipediaより引用

当時イギリスの植民地だったバハマ総督の地位を与えて、エドワードとウォリスを現地へ強制的に送りました。

ウォリスもドイツ高官と親密な関係だとされていたため、夫婦揃って危険だと判断したようです。

同地では1945年まで過ごし、主に貧困対策を行っていました。

しかし人種差別をする面は変わらなかったようです。

また、ドイツと密かに「イギリス政府転覆に協力する代わりに、ドイツが勝利したらイギリス王に復帰する」というとんでもない約束をしていた疑惑が浮上し、当然これも批難されました。

終戦直前にバハマ総督を辞任した後、エドワードはアメリカやフランスで過ごしました。

この時期になってもイギリス王室との関係は悪いままで、特にウォリスは頑なに拒否されています。まあ、これまでの経緯からすれば仕方ないですよね。

本来ならば公的な場には夫婦で参加すべきながら、弟ジョージ6世の葬儀にはエドワード一人で参列。

ジョージ6世の娘であるエリザベス2世の戴冠式には参加していません。

しかし、1965年にエリザベス2世らによってエドワードとウォリスを夫婦で招待したところから、夫婦ともに王族として扱われるようになりました。

以降はアメリカ大統領リチャード・ニクソンと交友を持ったり、1971年に昭和天皇と再会したり、要人との付き合いもあったようです。

ニクソン大統領と共に/wikipediaより引用

 


死去

エドワードは1971年の末から食道がんにかかり、治療を受けたものの、1972年5月28日に亡くなりました。

葬儀の際ウォリスは号泣していたそうなのですが、晩年には二人の仲は冷えていたともいわれており、どちらとも言い難いようです。

まぁ、その辺は二人にしかわかりませんし、下世話な話ですね。

死後、エドワード8世はたびたび創作物のネタにもなりました。

映画では『英国王のスピーチ』(2010年)や『ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋』(2011年)が有名でしょう。

『英国王のスピーチ』/amazonより引用

前者は弟・ジョージ6世が主役ですが、エドワード(デイヴィッド)やウォリス(シンプソン夫人)も登場。

家族や「トラウマの克服」を描いた映画という面から見ても良作ですし、物言わぬシーンの演出も見事な作品です。

史実よりも誇張されているシーンもありますが、「ジョージ6世からはこう見えたかも」として見れば良いかと。

後者はタイトル通り。

ヌードシーンや不妊問題・DVなどの描写もあり、「ウォリスに自分を重ね合わせる現代女性」という要素が盛り込まれて複雑になっているため、なかなか万人向けとはいい難い感じです。

同じ話で同じ構成だとしても、小説であれば場面転換がわかりやすかったかもしれません。

結末についても、現代では意見の分かれるところでしょう。

とはいえ、エドワードが「前座」である上の作品より、こちらのほうが人柄をよく描いているかもしれません。

ウォリスについても全く異なる描き方をしているので、見比べてみるのも一興でしょう。

なんというか……愛を優先するなら、早いうちに王位継承権を放棄しておいたほうが、本人にとっても周りにとってもよかったのではないでしょうかね。

少なくともジョージ6世にとっては。


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長月 七紀・記

【参考】
君塚直隆『物語 イギリスの歴史(下) 清教徒・名誉革命からエリザベス2世まで (中公新書)』(→amazon
指昭博『イギリス王室1000年の歴史』(→amazon
森護『英国王室史話〈下〉』(→amazon
岩波 世界人名大辞典

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