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スペイン継承戦争への関与
前王はスペイン継承戦争に加わるべく準備をしており、それはアンの時代である持ち越されました。
一体どんな戦争なのか?
簡単にまとめると、以下の通りです。
1700年にスペイン王カルロス2世が亡くなる際、実子がなかった
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彼の異母姉マリア・テレサとその夫であるフランス王ルイ14世の孫であるフィリップ・ダンジューを後継者に指名
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同時にフィリップのフランス王位要求権を放棄することになった
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フィリップはスペイン名に改めてフェリペ5世として即位
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オーストリア・ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝レオポルド1世はこれを認めず、直ちにフランスと国交断絶
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翌年、ルイ14世がフェリペ5世のフランス王位要求権を主張
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放っておくと、いずれスペインがフランスの傀儡国家化し、他国にとって重大な脅威となるおそれがでてくる
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アメリカ大陸にあるスペインの植民地もフランスの支配下に入ることになる
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イギリスが困る
イギリスとオランダがオーストリアと同盟を組み、フランス・スペインと開戦に至ったのです。
総司令官となったマールバラ公の大活躍によってイギリス軍が連戦連勝したことにより、イギリス国内では主戦論のホイッグ派の人気がうなぎ登りに。
アンとしてはトーリー党を推していたのですが、これで動きづらくなってしまいました。
マールバラ公は女王の信頼するサラの夫でもあり、その縁からもある程度アンが引いたのかもしれません。
しかし、戦争が長びくと厭戦気分が強まり、アンも和平を望むようになったため、1710年にサラと決別し、和平へ動いていきました。
スペイン継承戦争の講和条約である1713年のユトレヒト条約では、イギリスが
【スペインから】地中海方面のジブラルタル、メノルカ島
【フランスから】北アメリカのニューファンドランド、ハドソン湾地方、ノバ・スコシア
などを獲得。
地中海の西と現代のカナダ北西部という要所の港を手に入れ、軍事上も貿易上もイギリスが優位に立っていく緒となりました。
また、1702年から1713年にかけてフランスとは北アメリカの植民地を巡って戦争があり、これは彼女の名をとって「アン女王戦争」と呼ばれています。
こちらもユトレヒト条約で終結しました。
スコットランド併合
上記2つの戦争とさらに変更して起こっていたのが、1707年のスコットランド併合です。
これまた大きな出来事ですね。
前提として、スコットランドの立ち位置を軽く振り返っておきましょう。
1603年にスコットランド王ジェームズがエリザベス1世からイングランド王位を引き継ぎ、両国の王を兼ねるようになっていました。
そこからスコットランドはイングランドと同君連合を形成していたのですが、併合には至っていませんでした。
また、スコットランドでは名誉革命でジェームズ2世が追放されたことに不満が強く、反乱が起きるなど、独自性は失っていませんでした。
まあ、独自性については現代でも同じなんですけれども。近年でも独立投票やってたりしますし。
それはともかく、アン女王が即位したあたりから「スコットランドとイングランドの議会を合同化させよう」という動きが出始めました。
そしてスコットランド議会を廃止し、イングランドのウェストミンスターにスコットランドの代表議員を送ることになります。
吸収合併みたいな感じですかね。
こうして、1707年にグレート・ブリテン連合王国が成立しました。
著作権法制定
また、アンの時期に定められた法律として特徴的なのが「著作権法」です。
1710年、書物を始めとした印刷物に関し、作者の権利を守る法律が作られました。
アン女王の名をとって「アン法」や「アン女王法」とも呼ばれています。
当時は印刷会社が作者から作品を買い取った場合、その作品を印刷する独占権も手に入れられることになっていました。
作者が別の業者で出版することはできず、現代でいう所の印税も受け取れなかったのです。
アン法は、印刷の独占権を作者に与えることを主軸とした法律です。
もちろんこれだけでうまく行ったわけでありませんが、著作権という概念が一歩進んだといえます。
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