スコットランド女王メアリー・スチュアート

スコットランド女王メアリー・スチュアート/wikipediaより引用

イギリス

スコットランド女王「メアリー・スチュアート」英国女王に執着し過ぎて処刑され

1587年2月8日は、スコットランド女王メアリー1世の命日です。

ほぼ同時代に”イングランド女王”のメアリー1世がいますので、メアリー・スチュアートといったほうがわかりやすいでしょうか。

彼女の血縁関係としては、

【祖母】イングランド王・ヘンリー8世のお姉さん

【母】フランスの大貴族

【父親】スコットランド王

と、ヨーロッパによくある”各国王侯貴族のハイブリッド”です。

まあ、血の繋がっている王侯の数が多いほど、長じた後のトラブルが多くなるわけで……本記事ではメアリ・スチュアートの生涯を振り返ってみましょう。

スコットランド女王メアリー・スチュアート/wikipediaより引用

 


生まれながらのスコットランド女王

メアリー・スチュアートの父はジェームズ5世。

彼女の誕生直後に逝去したため、メアリ・スチュアートは生まれながらにしてスコットランド女王として生きていくことになりました。

物心つく前から周囲のさまざまな思惑によって波乱万丈の生涯を送ることになります。

当時はまだヘンリー8世が存命中で、その息子エドワード6世と婚約するはずだったのですが、母が阻止したため実現せずに終わります。

ヘンリー8世/wikipediaより引用

その代わり、母の実家同然のフランス王家と縁を結ぶことになります。

お相手はフランス王太子フランソワ、後のフランソワ2世でした。

そのため一度はフランスに渡りフランス式の教育を受けたのですが、肝心の旦那さんが夭折してしまったため、早々にスコットランドへ帰国。

二人とも十代半ば、しかも新婚二年目でしたので子供もおらず、メアリー・スチュアートにはフランスに留まる理由がなかったのです。

もしエドワード6世と結婚していたら、この時点で問題がほとんど解決していたかもしれません。

なぜならメアリー・スチュアートの人生のほとんどは、ヘンリー8世の後を継いだエリザベス1世との確執によるドタバタだからです。

どっちかというとメアリー・スチュアートのほうがいろいろやらかしていて、エリザベスが「この従姉妹、どうしよう……」みたいな感じですが、順に見ていきましょう。

 


イングランド王位を主張

上記の通り、メアリー・スチュアートにはイングランド王家の血も入っています。

ゆえに一応は「私は正当なイングランド王なのよ!」と主張する根拠はある。

しかもエリザベス1世のお母さんはヘンリー8世に身勝手な離婚(&処刑)をされていたため、一時期「エリザベスは庶子」とされていました。

エリザベス1世/wikipediaより引用

庶子には王位や財産の継承をさせないのが当時のセオリー。

この考えでいえばエリザベス1世は正当なイングランド王ではありません。

一応、ヘンリー8世の晩年に王女の地位に戻っていたので「今更それ言う?」って感じですが。

メアリー・スチュアートがそこを根拠として「私が正当な後継者」と言い出すと、意外にも賛同する人がたくさんいました。

今でこそ「エリザベス1世=イギリスを代表する絶対的君主」ですが、当時はまだ王になったばかりで不安定な状態でしたから、いつ引っくり返るかもわからなかったのです。

これまたヘンリー8世が離婚をしたいがためにカトリックと大ゲンカしてしまったのが尾を引いてました。

さらに、もうひとりのメアリーことエリザベス1世の異母姉・メアリー1世がカトリックに執着したために、国内事情を顧みずアレコレやってしまったので、エリザベス1世もイングランド国民も「カトリックはもう懲り懲り!」という状況になっていたのです。

もうひとりのメアリーことエリザベス1世の異母姉・メアリー1世/wikipediaより引用

しかし密かにカトリックの信仰を守っている人もおり、彼らが

「カトリックのメアリー・スチュアートこそイングランド王にふさわしい!」

として支持していました。

 


フランスとの関係は?

実家のスコットランドも嫁ぎ先のフランスもカトリックでしたので、当然メアリー・スチュアートもカトリックでした。

となるとこれまた当然ながら、ローマ教皇はエリザベス1世よりもずっと彼女のことを気に入ります。

「教会はメアリー・スチュアートこそ正当なイングランド女王であると認めます^^」

そう言ったことにより、さらに他国も同調し、メアリー・スチュアートは自信満々になるという悪循環が起きました。

そのためエリザベス1世を怒らせるようなことを度々やります。

イングランド王位継承権を持つことを意味する紋章を使ったり、イングランドからそれにクレームをつけられても無視したり。

エリザベス1世が忍耐強い人物でなかったら、この時点でイングランドとスコットランドが大規模な争いになっていたかもしれません。

幸い?なことに当時のイングランドの財政が悪化していたこと、エリザベスやイングランド議会が賢明だったことにより、戦争にまではなりませんでした。

「いくら元嫁ぎ先でカトリック同士とはいえ、なんでフランスがそんなにスコットランドに口を出すの?」

そう疑問に思った方もおられるでしょうか。

これは、メアリー・スチュアート以前の古い時代から、スコットランドはイングランドに対抗するためにフランスと手を組むという伝統があったためです。

しかしこの時代になると、スコットランドでもプロテスタントが増え始めており、その中には「カトリックなことを理由に口と手を出してくるフランスとは縁を切ったほうがいい!」と考え、スコットランド国内でもイングランドと手を組むために動いている人もいました。

そんなわけで、この時点のフランスからスコットランドを見ると、

「お前たちの女王様はウチの王家の嫁だったし、お互いカトリックなんだからウチと組み続けるのが当たり前でしょ?一緒にプロテスタントをぶっ潰して今まで通り仲良くしような^^」

となるわけです。

そんな感じでフランス軍がスコットランドに上陸しようとしたため、イングランド軍がこれを追い払うという騒動もありました。

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