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【メアリー・スチュアート】
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二人目の夫は殺されすぐに三人目と
こうして存在そのものが火種になりかねない立場になったメアリー・スチュアート。
さらに自ら火の元へ突っ込んでいきます。
スコットランドの貴族であるダンリー卿ヘンリー・スチュアートと再婚したのです。
彼もまたイングランドの王位継承権を持っており、イングランドとエリザベスにとっては好ましくありません。
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二人目の夫となったヘンリー・ステュアート (ダンリー卿)/wikipediaより引用
後にダンリー卿がとてつもなく傲慢な人だとわかり、メアリー・スチュアートが冷めていったため、どちらにせよあまり良い結婚ではなかったといえます。
一応、二人の間に後のジェームズ6世となる男の子が生まれはしたものの、関係が改善することもなく……メアリー・スチュアートは愛人を作ったり、別の男性に惹かれたり、トラブルの種を蒔き続けます。
カトリックって結婚に厳格なはずなんですが、この辺の行動はフランス王家の薫陶なんですかね。
ダンリー卿に対しては、メアリー・スチュアートだけでなく他の貴族たちも反感を持っており、彼は現在のエディンバラ大学で殺害されてしまいました。
これを機にボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーンがメアリー・スチュアートにプロポーズ。
ダンリー卿が殺されてからわずか数ヶ月で、彼女は三人目の夫を迎えることになります。
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ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーン/wikipediaより引用
しかし、コトはそう上手くいきません。
あまりにも再婚が早かったため、
「メアリーとボスウェル伯が共謀してダンリー卿を殺したに違いない!」
そう考える貴族たちもおり、反乱を起こされてしまったのです。
これに対しメアリー・スチュアートも兵を挙げましたが、反乱軍に敗れ、なんとイングランドに亡命します。
エリザベス1世もさぞ驚いたことでしょう。メアリー・スチュアートもよくイザコザを起こしている相手の下に逃げ込んだものです。頭が柔らかいってことですかね。
ちなみに息子のエドワードは置き去りにされ、1歳でスコットランド王として担ぎ上げられます。
まあ、貴族たちがメアリー・スチュアートに反感があっても、「旗頭」として担げるエドワードを害する理由はあまりないですし、彼はこの後もなんやかんやありつついろいろな意味で成長しているので、結果オーライではあります。
しかし、どうにも気分のいい話ではありませんね。
亡命先のイングランドで処刑され
亡命したメアリー・スチュアートは、命を助けられたからといって大人しくしていたわけではありません。
自らのイングランド王即位を目論み、物騒な陰謀に度々加担し、ついにはエリザベス1世の暗殺計画にまで関与したのです。超えちゃいけないラインを超えてしまったわけですね。
イングランドに来たからには大人しくしておいて、機を見て
「スコットランド王に返り咲きたいので、あなたの力を貸してくれませんか。その代わりにイングランド王の座は諦めます」
とでも言っておけば、エリザベス1世も協力したのではないかと思うのですが……。
そもそも軟禁状態とはいえ、イングランドで20年も生かしてくれていたのですから、エリザベス1世だってメアリー・スチュアートのことをどう扱うのが最善か悩んでいたはずです。
ともかく暗殺計画に関与したメアリー・スチュアートに対し、イングランド貴族達もブチギレ。
物的証拠を集め、共犯者を捕え、正式に裁判をして彼女に死罪の判決を下します。
血縁的にはいとこ同士ですし、スコットランドの強い反発も予測されたため、エリザベス1世は死刑執行をためらったようですが……。
「あの女をいい加減始末しないと、陛下もイングランドもヤバいですよ!」
貴族たちにそう迫られ、やむなくゴーサイン。
メアリー・スチュアートは処刑されました。
前述の通り、置き去りにされた男の子がスコットランド王ジェームズ6世になっており、スコットランドが直ちに滅亡するということがなかったのは不幸中の幸い。
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ジェームズ6世(スコットランド王として)/wikipediaより引用
物心付く前に生き別れになっていることもあってか、ジェームズは母の処刑に対して形式的な抗議に留め、問題にはしませんでした。
穿った見方をすれば、彼なりの母への復讐だったのかもしれません。
ついでにいうと、メアリー・スチュアートの処刑から16年後、エリザベス1世が独身のまま危篤になったため、ジェームズ6世がイングランド王も兼ねることになります。
「カーチャンが一番欲しかったものが息子の懐に転がり込んできた」
って、なんとも皮肉なオチですね。
あるいは前述のように、メアリー・スチュアートのほうから同じ話を持ちかけるという手もあったでしょう。
余計なことをしなければ、息子と共同統治にするか、メアリー・スチュアートがジェームズの摂政に就くくらいは許されたかもしれませんし。
少なくとも処刑という最悪の結果にはならなかった……ハズ。
君主が「損して得取れ」といった考えをできないと、本人ばかりか周りまで巻き込んでどえらいことになる……というお手本かもしれません。
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長月 七紀・記
【参考】
君塚直隆『物語 イギリスの歴史(上)古代ブリテン島からエリザベス1世まで (中公新書)』(→amazon)
青木道彦『エリザベス一世 (講談社現代新書)』(→amazon)