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【古代ギリシャ&ローマのブラック仕事】
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生け贄儀式助手:危険はないが血みどろ
きつさ:★★★★☆
汚さ:★★★★☆
危険度:★☆☆☆☆
剣闘士や兵士のように危険は伴わないながら、生理的嫌悪感をもよおす仕事もあります。
神事のために家畜を殺す生け贄儀式助手はその一種でしょう。
この助手は、屈強な男三人組で構成されています。
第一の助手が牛を祭壇まで導き、抑えつけます。
第二の助手が木槌や斧の背で気絶させます。
それから第三の助手がナイフで生け贄の腹を割き、内臓占い師が腹の中を観察して吉凶を判断するわけです。
占いが終わると、助手三人は生け贄の血を青銅の器に集めて、祭壇にふりかけます――と書くとすんなりいくように思えますが、いつもこの通りうまくいくわけがありません。
牛が暴れる、見守る観衆が騒ぎ出したりしたら、不吉だとして内臓占いの結果自体が無効となります。
そうなると最初からやり直しです。
ユニフォームに血がつくと、高いクリーニング代を払い、洗濯する羽目になります。
生け贄となる動物を丁寧に扱い、さらにできることならばユニフォームに血をつけないで済ませることができる、慣れと技術が必要とされました。
少しでも失敗すると一からやり直しという点もなかなか厳しそうです。
不器用な人、血とプレッシャーに弱い人には向かない職業でしょう。
ウェスタの巫女:恋愛絶対禁止! でも待遇は最高
きつさ:★★☆☆☆
汚さ:★☆☆☆☆
危険度:★☆☆☆☆
昔、男性との交際疑惑が発覚したアイドルが涙ながらに謝罪し、頭を丸刈りにするという痛ましい事件がありました。
年頃の少女が男と交際して何が悪いのか?
そんな擁護の声もありましたが、熱心なファンからしてみれば「アイドルは純潔を求められ提供するのだから当然だ」という意見も聞かれました。
古代ローマにはもっと厳しい恋愛禁止の女性専用職がありました。
処女神・ウェスタの秘儀を行う巫女たちです。
彼女らは純潔を失うと、僅かな食料だけを持たされて、そのまま彼女自身の墓穴となる地下室に閉じ込められ、「生き埋め」にされてしまうのです。
何故そんなことになってしまうのか。
それは彼女らが竈の女神であり、ローマの象徴である処女神ウェスタにその身を捧げた巫女であったからです。
神の力を信じていた当時の人々にとって、ローマの象徴たる処女神の巫女が、純潔を失うのは国防に損害すら与えかねない行為です。
なぜわざわざ生き埋めという面倒かつ残酷な手段で死刑としたか?
と言うと、処罰を与えるにせよ聖なる巫女の血を流すことは禁忌であったからです。
実質的には生き埋めですが、建前上は「誓いを破った巫女が地中に自発的に入っていった」ということにされました。
【恋をしたら生き埋め】という強烈な処刑のためか。ウェスタの処女は気の毒な存在というイメージもあるようです。
しかし実際のところ、処刑された者はごく一部でしたし、純潔厳守という一点をのぞけばかなり恵まれた立場にありました。
巫女は自主的に選べる職業ではありません。
まず自由民の両親から生まれた少女たちから、二十人の候補者が選ばれます。
そこからさらに六人にまで絞られた巫女たちは、家族から離れて広々とした屋敷で共同生活を送ります。彼女らは最初の十年で秘儀の手順を学び、次の十年で秘儀を行い、そして最後の十年は後輩を指導します。
引退後は結婚するもよし。
昔をなつかしみながら悠々自適な老後を送ってもよし。
ローマ人は、親や夫の支配下のもとで人生を送る女性がほとんどでしたが、彼女らは数少ない例外だったのです。
彼女らにはウェスタ神の聖なる秘儀以外に、俗世の大切な仕事がありました。
誓いを守るものとして遺言書を保管すること。また死刑判決に異議申し立てをすることもできました。
ユリウス・カエサルが政敵から処刑リストに載せられた時、ウェスタの巫女は助命嘆願をしています。
カエサルの死後、甥のオクタヴィアヌスを後継者にすると書かれた遺言書が託された時も守り抜きました。
カエサルとオクタヴィアヌスは巫女たちに感謝し、その礼として居住区の改装を行い、様々な特権を与えました。
巫女たちに感謝をしたのは皇帝だけではありません。
遺言作成や保管の世話になった富豪たちも、しばしば彼女らに謝礼金を贈りました。
お陰で頭の切れる巫女の中には、一財産築き上げる者もいました。
こうした彼女らの特権を保証された生活は、四世紀のキリスト教徒による解散令まで続きます。
恋愛ペナルティはアイドルよりも厳しいとはいえ、給与や福利厚生面に関しては21世紀のアイドルより恵まれていると言えるかもしれません。
我々の労働環境は「ガレー船の漕ぎ手」よりマシなの?
悲惨な労働環境の譬えとして、
「これではまるで古代のガレー船の漕ぎ手じゃないか!」
というような言い回しを聞いたことがある、そんな方もいるかもしれません。
しかしこうして考えてみますと、実は「俺よりもガレー船の漕ぎ手の方がマシだ!」と言った方がよい人も少なくないのではないでしょうか。
「働き方改革実現会議」で決められた一ヶ月あたり100時間残業の生活では、一日から労働時間と通勤時間を自由にできる時間を換算すると、7~8時間程度でした。漕ぎ手と大差ありません。
そもそも漕ぎ手は兵士と兼業であり、さらに兵士といっても平時はギリシア市民として生活しているわけです。
年間総労働時間を比較した結果は、現代日本人ブラック労働者の方が上回る可能性が高いでしょう。
労働基準法もあったものじゃない昔の人と比べたら、現代人はマシではないか。そう思って調べてみた結果、あまり幸せではない結果に達してしまった気がします。
もちろん現代人は猛獣の生き餌にされる、生き埋めにされるといったペナルティはありません。
それでもこう言いたくなります。
「何故こんなに働かなければいけないのだ!」
他の国、時代にもきっとそう嘆く労働者はいたはずです。
次回は日が沈まぬ大英帝国のためならば、ブラック労働も厭わなかった、イギリス編です。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考】
ヴィッキー・レオン/本村凌二『図説古代仕事大全』(→amazon)