アッティラ

アッティラの復元像/photo by A.Berger wikipediaより引用

欧州

歴史上最も凶悪な男フン族のアッティラが欧州人に恐れられる理由

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崩れゆくローマ帝国

ローマ帝国の決断は、果たして正しかったのでしょうか?

フン族は、その後も撤退しようとはせず、ヨーロッパ大陸をうろつき回りました。

一度条件に屈したからには、また搾り取れると思ってしまったのです。

「貢ぎ物が足りないだろ」

「まだ脱走兵を帰していないだろ」

「お前ら、俺たちの先祖の墓を荒しただろ」

いくつもの難癖をしつこくつけ続け、441年まで脅迫は続きます。

武装した者が誰もいない修道院は格好の餌食。

多くの修道士と修道女が惨殺されました。

その悪辣さが「神による災い」「神の鞭」と呼ばれたのです。

広く豊かなローマ帝国は、危機に瀕していました。

穀倉地帯である他の属州でも反乱が起こり、その対処のために兵を動員せねばならなかったのです。

この時期はローマ帝国の各地で、綻びるように反乱が続発。

帝国弱体化の表れとも言えるでしょう。

フン族はオーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ロシア南部まで進出し、勢力拡大を続けていきます。

年と共に欧州を制していくフン族の侵攻/map by Stw wikipediaより引用

はじめの協定から2年間で、ローマの差しだす黄金は400キログラムに増加。

これに賠償金を加算すると、さらに2000キロの追加が必要でした。

それだけあれば黄金を身につけ、金銀の皿で食事をしてもおかしくない。

しかし、ローマの使者が見たアッティラは、いたって質素な木の食器で食事をしました。定住しようとする気もありませんでした。

彼らはライフスタイルを変えることなく、ただ嵐のように略奪と殺戮をするだけ。

それだけに、付け入る隙もなかったのです。

 


アッティラこそ軍神なり

前述の通り445年頃にブレダが事故死。

首長はアッティラ一人でした。

448年、ある牛の群れからはぐれた牛が、血を流して戻って来ました。

牛飼いが周辺を探ると、牛は落ちた剣によって負傷していた模様。

「なぁんだ、そういうことね」で、終わらないのがこの話です。

牛飼いは錆びた剣をアッティラに献上しました。

「これは軍神の剣に違いあるまい」

誰がどう見てもただの錆びた剣なのですが、アッティラは突如そう言い出します。

この怪しげな剣以外に、もう一つ西を目指す理由がありました。

西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世の姉であるユスタ・グラタ・ホノリアは、野心家でした。

彼女は弟にとって最悪の敵の妻となることで、政治的権力を得たいと考えておりました。

そんなホノリアから、

「私と結婚したら、持参金として西ローマ帝国の領土を譲ります」

という手紙が、印章付き指輪とセットでアッティラへ送られます。

軍神の化身となったアッティラは、花嫁ホノリアと結婚するため西へ西へ。

現在のドイツとフランスの都市は、その影響で支配下に置かれ、壊滅的な打撃を受けました。

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