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【フン族のアッティラ】
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崩れゆくローマ帝国
ローマ帝国の決断は、果たして正しかったのでしょうか?
フン族は、その後も撤退しようとはせず、ヨーロッパ大陸をうろつき回りました。
一度条件に屈したからには、また搾り取れると思ってしまったのです。
「貢ぎ物が足りないだろ」
「まだ脱走兵を帰していないだろ」
「お前ら、俺たちの先祖の墓を荒しただろ」
いくつもの難癖をしつこくつけ続け、441年まで脅迫は続きます。
武装した者が誰もいない修道院は格好の餌食。
多くの修道士と修道女が惨殺されました。
その悪辣さが「神による災い」「神の鞭」と呼ばれたのです。
広く豊かなローマ帝国は、危機に瀕していました。
穀倉地帯である他の属州でも反乱が起こり、その対処のために兵を動員せねばならなかったのです。
この時期はローマ帝国の各地で、綻びるように反乱が続発。
帝国弱体化の表れとも言えるでしょう。
フン族はオーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ロシア南部まで進出し、勢力拡大を続けていきます。
はじめの協定から2年間で、ローマの差しだす黄金は400キログラムに増加。
これに賠償金を加算すると、さらに2000キロの追加が必要でした。
それだけあれば黄金を身につけ、金銀の皿で食事をしてもおかしくない。
しかし、ローマの使者が見たアッティラは、いたって質素な木の食器で食事をしました。定住しようとする気もありませんでした。
彼らはライフスタイルを変えることなく、ただ嵐のように略奪と殺戮をするだけ。
それだけに、付け入る隙もなかったのです。
アッティラこそ軍神なり
前述の通り445年頃にブレダが事故死。
首長はアッティラ一人でした。
448年、ある牛の群れからはぐれた牛が、血を流して戻って来ました。
牛飼いが周辺を探ると、牛は落ちた剣によって負傷していた模様。
「なぁんだ、そういうことね」で、終わらないのがこの話です。
牛飼いは錆びた剣をアッティラに献上しました。
「これは軍神の剣に違いあるまい」
誰がどう見てもただの錆びた剣なのですが、アッティラは突如そう言い出します。
この怪しげな剣以外に、もう一つ西を目指す理由がありました。
西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世の姉であるユスタ・グラタ・ホノリアは、野心家でした。
彼女は弟にとって最悪の敵の妻となることで、政治的権力を得たいと考えておりました。
そんなホノリアから、
「私と結婚したら、持参金として西ローマ帝国の領土を譲ります」
という手紙が、印章付き指輪とセットでアッティラへ送られます。
軍神の化身となったアッティラは、花嫁ホノリアと結婚するため西へ西へ。
現在のドイツとフランスの都市は、その影響で支配下に置かれ、壊滅的な打撃を受けました。
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