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【フン族のアッティラ】
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名将フラウィウス・アエティウスとの対決
ここでローマに、スキタイ人の父を持つ名将が登場します。
フラウィウス・アエティウス――彼は人質としてフン族の中で育ち、青年期を迎えました。
そんな若き日には、アッティラとも友人であったとも言われています。
フン族のやり方を、アエティウスは熟知していました。
451年、フン族とローマ軍は、現在のシャロン=アン=シャンパーニュで激突。
両軍ともに5万から8万の兵がぶつかったというカタラウヌムの戦いです。
この戦いで両軍とも大損害を受けますが、より深刻だったのはフン族でした。
ヨーロッパ支配という夢は、この地で打ち砕かれたのです。
イタリア侵攻
フランスから撤退したアッティラは、元の目的であるホノリアとの結婚を求めて、イタリアになだれ込みました。
アエティウスは、ここでは戦うことができず、他の武将がフン族を迎撃。
劣勢のローマ軍はなんとかとどめようとするものの、戦況は不利です。
多くの都市が破壊されました。
しかしアッティラは、ローマ帝国の息の根を止めませんでした。
教皇レオ1世との話し合いに応じ、撤退したのです。
こうして間一髪でフン族が立ち去る「奇跡」は、何度か記録されています。
パリでは、聖ジュヌヴィエーヴが民に呼びかけ熱心に祈ったところ、フン族はフン族は立ち去り、オルレアンに向かいました。
教皇レオ1世の求めに応じたのは、彼の背後に聖ペトロと聖パウロの幻を見て圧倒されたからと伝えられました。
この教皇とアッティラの図は、美術作品の題材として人気があります。
神による奇跡として信じられてきた伝説ではありますが、こうした敵にとっては不可解な撤退は、大抵別の事情があるものです。
食料不足。疫病の蔓延等。
何らかの理由で、彼らは進軍の理由を失ったのでしょう。
あまりにあっけない最期
453年、アッティラは西ヨーロッパからドナウ川側の本拠まで引き返しました。
そしてゴート人の美女イルディコを娶ります。
婚礼の宴が終わり、二人は寝室に向かいました。
そして同衾中、新婦の悲鳴が響きました。
なんとアッティラは、夫婦の営みの最中に鼻血を噴いて、突然死してしまったのです。
一体どういうことなのでしょうか。
ヨーロッパを荒らし回った恐るべき男が、鼻血で死ぬってそれでよいのでしょうか。
これがドラマの最終回ならブーイング間違いなしです。
アッティラには多数の子がいましたし、フン族にはもっと多くの戦士がいました。
しかし、誰もアッティラの代わりにはなれません。
偉大な指導者を失った一族は、歴史の彼方に消えてしまうのです。
恐怖の伝説の中、アッティラはたくましいコーカソイド系の巨漢として描かれて来ました。
しかし実際には、アジア系モンゴロイドではないかとされています。
長い歳月は、その実像すら不明にしておりますが、その名は現在でも恐怖と嫌悪感を呼び起こすものとして、口にされるのです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
トマス・クローウェル/蔵持不三也/伊藤綺『図説 蛮族の歴史 ~世界史を変えた侵略者たち』(→amazon)