こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【ジャンヌ・ダルク】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
オルレアン解放!
聖女が味方についたことで、テンションあげあげ祭りのフランス軍。
イングランド軍が包囲していたオルレアンという街に到着します。
現代のルートで距離換算しますと、パリから南へ約130kmのところですね。
この地の領主が敵の捕虜になっており、その弟がオルレアン奪回を目指して頑張っていたのです。
領主の弟は、なかなかジャンヌダルクを信用してくれませんでした。
が、彼女は冷たい視線を無視して軍議に参加し、戦場へも出ました。といっても女性ですし「神のお告げ」を聞くものとして剣を取って戦うのはふさわしくありません。
そこでジャンヌはフランス軍の旗を持ち、味方の士気を保つ役目を果たしたといわれています。
それまで慎重にも程がある消極策を取っていたフランス軍は、ジャンヌ・ダルクがときには命令違反をしてでもやってのけた強攻策によって、見事オルレアンを奪い返すことに成功するのでした。
彼女たちが到着してからわずか10日ほどの出来事。
ジャンヌダルクの指揮によって、ほぼ1日に一つという超ハイペースで砦を奪い返したこと、ジャンヌが首に矢を受けても生きていたこと、彼女が常に前線で指揮を取ったことなどから、彼女はエライ人(=前線に出ない人)よりも現場の兵士達から熱狂的な支持を得ます。
そのうち彼らの中から「やっぱりジャンヌ・ダルクは神の使いなんだ!聖女様バンザイ!!」と称える人が現れ始め、いつしか「オルレアンの乙女」と呼ばれるようになりました。
ジャンヌの出身は「ドンレミ村」という小さな農村なんですけどね。今なおオルレアンの名を冠して呼ばれているのはこのためです。
しかし、皆さんご存知の通り彼女は19歳にして火刑に処せられてしまいます。この奇跡の勝利から処刑までの間に一体何があったのか?
世間はすでに厭戦気分
ジャンヌ・ダルクはシャルル7世を正式にフランス王にする――というデカイ功績も残しました。
同時に、この頃までが彼女の絶頂期でもありました。
世間はすでに厭戦気分が漂っており、それはシャルル7世の側近も同じでした。
しかし、首都・パリがイングランドの手に落ちたままでは、シャルル7世は本当のフランス王とはいえません。
あくまでパリ奪回を主張するジャンヌと、「もう戦争やめてどっかテキトーに手を打とうよ(田舎娘の言うことなんぞいつまでも聞いてられるか)」と言い始めた側近達の間で意見が分かれてしまったのです。
しかもこうした内輪揉めの間に、イングランド側についていたブルゴーニュ公国(五大ワイン産地の一つ)が「イングランドさん危なそうなんで助けに行きますね」と援軍に来てしまい、フランス軍はアチャー(ノ∀`)な状況に陥りました。
いつの時代もどこの国でも内輪揉めするとロクなことがないですね。
ここでフランスが大敗しなかったのは不幸中の幸いです。
その後、戦闘中に負傷したのをいいことに「前線から退きなさい」と言われてしまったジャンヌダルクは、直後に休戦協定が結ばれたこともあり、一時手持ち無沙汰になってしまいました。
戦場での士気高揚が彼女の一番のお役目ですから、もうやることがないのです。
すると程なくして休戦が破られます。彼女にとっては運が良かったのやら、悪かったのやら……。
※続きは【次のページへ】をclick!