ヴィルヘルム1世/wikipediaより引用

ドイツ

ドイツ統一の皇帝ヴィルへルム1世 ビスマルクと共に国をマトメた功績とは?

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プロイセンという国に誇りを持っていたため、国名が「ドイツ帝国」になることによって「プロイセン王国」が消えてしまうのがイヤだったそうです。なんてロマンチストな方でしょうか。

昔、大ゲンカした議会から冠を受けるのがイヤだったという話もありますが、いずれにせよ当時70代の国王にしては困ったもんです。

結局、ビスマルク以下の人々がアレコレ根回しして何とか言い包めたので、ヴィルヘルム1世はドイツ皇帝の座に着きました。めでたしめでたし。

ケーニヒスベルク城でのヴィルヘルム1世の戴冠式/wikipediaより引用

 

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岩倉使節団にもアドバイス

さすがに三回も対外戦争を続けた後なので、ドイツは戦争ではなく内政に力を入れます。

統一によって民衆からの人気を得ていましたので、皇帝となったヴィルヘルム1世の発言力は強まりました。が、独裁に走ることはありません。

ビスマルクとしては社会保険なども早く導入したのに対し、ヴィルヘルム1世が価値を感じなかったため後回しになっています。

もしここでOKが出ていれば、日本ももっと早く社会保険制度ができていたかもしれません。

岩倉使節団がやってきたのがちょうどこの頃だからです。

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統一したばかりでドタバタしてたでしょうに、ヴィルヘルム1世もビスマルクもそんな素振りは毛ほども見せず、あれやこれやと岩倉具視たちにアドバイスをしているのは流石というか面の皮の厚さが違うというか。

しかし、うまく行っていたのはここまで。岩倉使節団が西洋の諸々を学んで帰国し、ヴィルヘルム1世やビスマルクが世を去ってからのドイツはしばし迷走の道を辿ります。

そして二度の世界大戦に大きく関与していくのですが、それでも今EUの稼ぎ頭なんだからすげえ話ですよね。

長く培われてきた民族性や社会制度、いわば伝統のお陰でしょうか。

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長月 七紀・記


【参考】
『とびきり陽気なヨーロッパ史 (ちくま文庫)』(→amazon
ヴィルヘルム1世/wikipedia

 



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