ルネサンス建築

イタリア

ルネサンス建築の始まりが想像以上に壮絶だ!ブルネレスキvsギベルティの大聖堂

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フィリッポ・ブルネレスキ

もう一つの候補は、フィリッポ・ブルネレスキの作品です。

こちらも彼の略歴から見ておきましょう。

フィリッポ・ブルネレスキ/wikipediaより引用

生没年:1377年~1446年

当時24歳。
制作については、とにかく秘密主義を貫いておりました。

アイデアを盗まれるのが大嫌いで、全て一人で制作したのです(このスタンスは、生涯を通じて貫かれます)。

彼の作品は、とにかくダイナミック――その一言につきます。

フィリッポ・ブルネレスキ『イサクの犠牲』バルジェッロ国立美術館/wikipediaより引用

身をよじる少年に、今しも刃物を突き立てようとする父親。

そこに「ダメーーっ!!」とばかりに、文字通り画面の外から突っ込んでくる天使が、父親の手首を掴み、力ずくでも止めます!!

ギベルティに比べて、緊迫感溢れる表現になっていますね。

 


「じゃあ、ワシ、優勝いらんわ」

ご覧の通り、二人は制作姿勢も作風も全てが対照的でした。

どちらを勝者とするか。審査員たちは、頭を悩ませます。

好みから言えば、ギベルティ。彼の作品の方が、ブロンズの量も少ないし、これから大きな扉を作ることを考えても経済的です。

しかし、ブルネレスキの表現力も捨てがたい。

どうする?

いっそ、二人とも優勝にして、共同制作させようか――。

そんな意見に傾きかける中、それに異を唱える人物が一人いました。

ブルネレスキ本人です。

「あの野郎と協力なんざごめんだ!やるなら、俺の単独で、だ!」

しかし、それが受け入れられないと「じゃ、いらんわ」と、自ら優勝を辞退します。

彼にしてみれば、誰かの風下に立つのも並び立つのも、まっぴらごめんというわけです。

自分に絶対の自信がある分、ややもすると周りがバカに見えて仕方がない、といったところでしょうか。

困った人ですが、芸術家たるものそれもスタンスの一人かもしれません。

結果、扉はギベルティに一任され、約20年の歳月をかけて制作されました。

ブルネレスキは、このコンクールの後、ブロンズ彫刻から完全に手を引いてしまいます。

そして、新たなジャンル――建築で羽ばたくことを目指し、ローマに向かい、そこで古代の遺跡を研究しながら、飛躍の時に向けて力を蓄えるのでした。

 


プロジェクト:大クーポラを建造せよ!

1417年、聖堂造営委員会は、ついにプロジェクトにおける最難関に挑もうとしていました。

クーポラ(ドーム屋根の建造です。

大クーポラを乗せる案自体は、当初からありました。

直径46メートル(大事な数字なのでご記憶を)。地上からの高さは107メートル。

現在の高層ビル10階建てと同じくらいです。

完成すれば、当時最大のものであり、まさにフィレンツェの国力を示すチャンス、一大モニュメントです。

しかし、それはあくまで「完成すれば」の話。

「どうすれば実現できる?」

「うーん……大きすぎて、想像もつかない……」

プロジェクト実現のため頭を悩ませる造営委員会たちは、再びアイディアを募集することにします。

『イサクの犠牲』同様、コンクールを行おうと考えたのです。

1417年――この時を待ち続けていた男がいました。

前回、自ら優勝を辞退したブルネレスキです。

 

ブルネレスキの秘策は、ローマのパンテオンにあり

前述の通り、1401年のコンクール以来、ブルネレスキは建築へと転向しました。

「今度こそ、ナンバーワンになってやる!」

心を熱くする彼にとって、古代の遺構が多く残るローマはまさに宝物庫だったでしょう。約15年にわたって滞在、ひたすら遺跡の研究に没頭し、その成果を血肉としておりました。

そんな彼の研究対象の一つとなったのが、パンテオンです。

パンテオン(ローマ)

2世紀ハドリアヌス帝によって建てられた神殿で、7世紀には聖堂に転用されます。

大きな円堂の上にドーム屋根が乗った構造で、その直径は43.2メートル。フィレンツェの人々の頭を悩ませているクーポラとほぼ同じ大きさです。

しかし、内部を見ると、柱は使われていません。

パンテオン内部/wikipediaより引用

カギは、二重構造にありました。

まず分厚い内殻で骨組みを覆い、少し間を空けて薄い外殻で覆う――こうして重量を軽減し、また二つの殻が互いを支え合うようになります。

「これだ!」

ブルネレスキもそう思ったことでしょう。

コンクールの告知が出るや否や5000個ものレンガを使い、模型を制作します。

しかし、15世紀当時から見れば、大きく常識を外れた「仮枠や柱を一切使わない」というブルネレスキのアイデアはなかなか理解されず、批判も少なくありませんでした。

それでも、最終的にはブルネレスキの案に落ち着きます。

本番はここからです。

ブルネレスキ、最高の見せ場……と言いたいところですが、彼にとっては我慢のできない事態を迎えておりました。

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