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部下を罰し、悪政を働き、人心は離れるばかり
しかしイヴァン4世は「妻の死は暗殺ではないか」と疑ったり、「戦況が芳しくないのは、誰かが自分を陥れようとしているのではないか」と考えたり、文字通り疑心暗鬼に陥ってしまったのです。
部下を理不尽に罰するわ、貴族の女性が土地を相続できないようにするわ……ますます人心が離れるようなことばかりをし始めます。
当然のことながら方々から大ブーイングをくらいました。
さらに、最も信頼されていた部下が交戦相手であるリトアニアに亡命した上、イヴァン4世を避難する手紙を送りつけてきたため、ついに皇帝はプッツン。
なんと、いきなり家族を連れてモスクワを出ていき、退位宣言をしてしまったのです。
34歳のやることとは思えません。まぁ、上杉謙信も似たようなコトしてますね。
余談ながらイヴァン4世と上杉謙信は同い年だったりします。
ダイナミック家出をしたのもだいたい同じ年頃でした。
秘密警察のような組織を作り罪のない者たちが犠牲に
謙信の場合は内輪もめに呆れたという流れだったので、家臣たちが「すいません私達が悪かったです」(超訳)と頭を下げて血判まで出して何とかなっています。
一方のイヴァン4世も似たような経緯で解決しています。
というのも、政治でも宗教でも中心である皇帝がいなくなってしまっては、国の何もかもが滞ってしまうからです。
「陛下、お願いですから帰ってきてください;;」(超訳)という声を聞いたイヴァン4世は少しだけ機嫌を治し、モスクワへ二通の手紙を送ります。
一通は貴族や聖職者に向けて避難する内容。
もう一通は一般市民に向けて「ワシはお前たちには怒ってないよ。貴族たちに苦しめられている仲間だよ」(超訳)という優しい感じのものでした。
これに対し、貴族たちが頭を下げたことで、ようやくイヴァン4世はモスクワへ帰ってきます。そして思うままに統治をするため、強引な手段を用いるようになりました。
中央集権化を徹底しようと、オプリーチニナという秘密警察のような組織を作り、犯行の兆しがある貴族を見つけ出しては処刑していったのです。
とはいえ、こういう組織はほぼ100%の確率で暴走するもの。
このときも案の定暴走し、罪のない一般市民や聖職者、真面目な役人までが犠牲になりました。
当時にも後世にも「イヴァン4世は恐ろしい人だ」ということしか記憶されないのは当然のこと。
ロシアでは「皇帝=逆らえない絶対的な権力者」という認識が広まったのでした。
もはや暴君、間違いなし
他にもイングランド女王エリザベス1世に求婚したり。
オスマン帝国にケンカを売ったり。
ノヴゴロドという都市がまるごと「リトアニアに寝返ろうとしている」と思い込んで虐殺を命じたり。
もはや暴君としか言えないようなことばかりするようになったイヴァン4世。
そうこうしているうちにモンゴル系国家のひとつ、クリミア・ハン国から攻められてモスクワが焼かれてしまいます。
クリミア・ハン国の公表では6万人、別の記録では30~80万人もの人が虐殺されたといわれています。
幅がありすぎるのは、残虐さや強さを強調するための脚色が入っているせいでしょう。
イヴァン4世はここで自らの過ちに気づきました。
が、その反省の仕方がオプリーチニナのお偉いさんを処刑するというダイナミックすぎるものだったので、やはり彼の恐ろしい印象は拭えません。
なぜオール・オア・ナッシングの思考になるのか……。
しかもその後も粛清はしてますし。
ついには息子も殺してしまう
家庭内でもかなり暴力的になっており、頭に血が上って跡を継ぐはずだった次男とその妻、そしてお腹にいた子供を殴り殺してしまっています。
さすがにこれは自分でもショックだったらしく、精神的にも肉体的にもボロボロになった皇帝は、三年後に突如死亡。
晩年は息子たちのことや、虐殺した人々にたいして懺悔をしていたこともあったようです。遅すぎるがな(´・ω・`)
もしも最初の妻・アナスタシアがもっと長生きしていたら?
イヴァン4世はこんなに荒れず、その後のロシアの歴史は違ったものになっていたでしょう。
イヴァン4世は都合8度の結婚をしているのですが、最初の妻にして最愛の妻だった彼女がいれば、彼の猜疑心も史実ほど悪化しなかったように思えます。
もしくは、アナスタシアの他に信頼できる人がいれば、もう少しマシだったのでは……。
人間、一番の敵は他の誰でもなく、自分の内側にあるものなのでしょうね。
長月 七紀・記
【参考】
『図説 ロシアの歴史 (ふくろうの本)』(→amazon link)
イヴァン4世/wikipedia